対抗戦と岐路 ④
起床後の検量を受け、作業着に着替えて寮を出た。
外はまだ薄暗かったが、東の空は白んできている。
同期の男子たちと合流し、厩舎作業にかかった。
糞尿で汚れた底の方の寝藁を搔き出し、床を掃き清めてから、新しいものを足して敷き直した。
掃除の間、厩舎前に出していたサファイアを戻すと、服の裾を食んでじゃれついてきた。
「まだ仕事中だから、遊ぶのはあとでね」
あいが言うと、サファイアはあっさりと諦め、ごろんと寝転がってふかふかになった寝藁の感触を満喫する。
新しい飲み水を汲み、飼葉桶に飼料を入れてから、作業着を脱いであいたちも食堂で朝食をとった。
「隊長、サファイアの馬房の清掃、ずいぶん時間かけて丁寧にやってたな」
対面の席で焼き魚の小骨をより分けていた大矢が話しかけてきた。
普段はがさつな大矢だが、食事の仕方だけは人より几帳面なくらいなのだ。
「もう何回もないんだと思ったら、つい」
「そうか、サファイアの引っ越しの日にち、決まったんだっけか。いつなんだ?」
「五日後」
「クリスマス会の翌々日か」
クリスマス会は競馬学校の年中行事だ。
騎手課程生がコントや寸劇を披露するのが恒例らしく、あいは大矢に誘われ、劇をやる予定だった。
JJHコンペティションが終わると、最初からそのつもりだったのだろうが、大矢は正士郎も引き入れた。この数日、時間を見つけては三人で芝居の練習をしていた。
「年の瀬ぎりぎりに忙しねえな。サファイアにとっちゃ、活躍するまたとない機会だろうが、隊長はさびしいな」
「寂しくないっていったら、嘘になるけど。公式戦で活躍するサファイアを見てみたいから、笑って送り出してあげたいんだ」
サファイアを馬術競技でデビューさせる段取りがまとまったのは、十一月初旬だった。
あいはその話を、サファイアとJJHコンペティションに出られるという話とともに、小早川から聞かされた。
以前のサファイアの馬主の紹介で、サファイアを引き取りたいという乗馬クラブが見つかったらしい。
どうやら最初から、行き先が見つかるまで学校で預かるという約束が、校長と前馬主との間にあったようだった。
年内に乗馬クラブの厩舎に移り、環境に慣らしつつ、年明けから四月のデビューを見据えて調教を開始するという話だった。
「もっと別れを名残惜しんでるかと思ったぜ」
「対抗戦でのサファイアを見ていたら、寂しい以上に、サファイアのことをもっと多くの人に見てもらいたいな、って」
「なるほどな。なに、あいつならきっと活躍するさ。もしかしたら、オリンピックの種目で馬術が復活して、サファイアがメダルを獲るなんてことも」
「お気楽だな。現実はそんなに甘くないだろ」
味噌汁と啜っていた正士郎が、ぽつりと言った。
「お前なぁ」
「オリンピックは低コスト化を掲げてるんだ。そういう流れもあって、馬術は除外されたんだぞ。まぁ、仮にそういう時流でなければ、メダルを獲るポテンシャルはある、とは僕も思うが」
苦言を口にしかけた大矢が、ほう、と感心した。
「お前がデレるなんて、雪でも降らなきゃいいが」
「誰がデレた。血統や気質なんかを勘案して、障害競走でデビューさせる話が持ち上がったんだろう。そう判断できると、僕は事実を言っただけだ」
「はいはい、わぁったよ」
むきになる正士郎をあしらう大矢。二人のやり取りに、あいはくすりとほくそ笑んだ。
「クリスマス会、楽しみだね」
「お、隊長がこの手のイベントにのり気なんて珍しいな」
言って、自分でも驚いた。
文化祭でも体育祭でも、同級生と一緒になにかをする催しは、ずっと苦手だったはずだ。
「よかったぜ。俺の中には三人で芝居をやる計画があったからな。正士郎が隊長にぶちぎれたときは、どうなるかと冷や汗かいた」
「蒸し返すなよ」
ばつの悪そうに正士郎が箸を置く。
正士郎にきつい言葉を投げかけられたのが、もうだいぶ前のことのように感じられた。
人の本音の言葉の怖さを、あれであいは知った。
しかしおかげで、中学時代、そういう本音をぶっつけられずに済んでいたのは、朔が守ってくれていたからではないのかと、気づくことができた。
幼馴染の朔には、特に中学になると、どんくさいことでよく笑いものにされた。
見方を変えると、朔が笑いに変えてくれていたから、それ以上誰かに悪口を言われたり、いじめられたりすることもなかったのではないか。
朔の真意はわからない。当時、学校が辛かったことも確かだ。
ただ、一度も学校を休もうとは思わなかった。綾が心の支えになっていてくれていたからではあるが、もしかすると、それだけではないのかもしれない。
朔と話したい。
言葉は人を傷つけもするが、一方で人と人を繋げる力もある。
それを知ることができたのも、正士郎のおかげだった。
正士郎とは、それからお互いの肚の内を言い合った。
「俺たちの芝居で、皆の心を鷲掴みにしてやろう」
「できるかな。他の人達はコントとかするのに、その中で私たち、フランダースの犬をやるんだよね」
そこだけは、不安だった。
原作版では、主人公のネロはあいたちと同年代である。
それが理由ではないだろうが、芝居の演目をなににするかの話し合いで、フランダースの犬を発案したのは正士郎だった。
三人で演じるために省略はするが、ストーリーの大筋はそのままである。
「ほとんどのやつらが人を笑わせるための出し物を用意してくるんだ。そんな中で、コントをやったって、埋もれるだけだろ。そこで、僕たちは本気で悲劇を演じる。嫌でも関心は引くさ」
正士郎が不敵な笑みを浮かべる。
「策士だぜ、お前はよ」
正士郎の自信に、大矢は全幅の信頼を置いている。
「そうかなぁ」
かくして、クリスマス会。
笑い声があがり、楽しげだった空気は、あいたちの芝居のあとには通夜のように静まりかえった。
唯一、教室の後方で腕組みをして観劇していた落合だけが、優しい微笑を浮かべていた。




