対抗戦と岐路 ③
JJHコンペティションは、数年ぶりに競馬学校の優勝で幕を閉じた。
チームには優勝トロフィーが贈呈され、個々の選手にも記念品が贈られた。
それらを手に集合写真を撮った後、運営の好意で、学校の馬をナチュラルアリーナで散歩させてもらえることになった。
「すごい、池が二つもある」
あいはサファイアの隣を歩きながら感心した。
「ここはクロスカントリー競技に使われる場所でね。あの左のは水濠で、コースの一部なんだ」
一緒に歩いている山南が、片方の池の方を指さして言った。
もう片方の池の水面には小さな蓮の葉が密生し、すぐ傍に屋根付きのベンチが据えられている。
「普段はこうして一般の人々に憩いの場として開放しているんだ」
万が一にも一般客に迷惑をかけないよう、馬の手綱は厩務員課程生や同期数人が手分けして握っている。
大矢他数名は、厩舎に残って使わせてもらった馬房の簡単な清掃を引き受けてくれた。
張り巡らされた芝は、枯れた色をしてる。地面にはなだらかな起伏があった。人の手で整えられ、自然本来の力強さはあまり感じられない。
馬郷は、もっと手付かずの自然が残っていたな、とあいは思った。
ナチュラルアリーナには、年寄りから子供連れの若い夫婦など、様々な人がぽつぽつと見てとれた。
「綾は、元気にしてますか? 馬郷の人達も」
「うちのスタッフは、毎日通っていたあいさんがいなくなって寂しがっているよ。綾は、そうだ、渡すものがあったんだ」
山南は思い出したように言って、コートの内ポケットから便箋を取り出した。
あいはサファイアの手綱を近くにいた加奈恵に持ってもらい、便箋を受け取った。
「これは?」
「綾からの便り、といったところかな」
「綾から」
午後になって風が出てきていた。
便箋が危うく強風に浚われそうになり、あいは慌てて懐に抱いて守った。
「あとで開けるといい」
「そうします。綾に、なにかお返しをしたいんですけど、お願いしてもいいですか」
「構わないよ」
「なにがいいかな」
「馬は嗅覚がええからな。なんかあいの匂いのするもんとか、ええんちゃう?」
あいがジャンパーやズボンのポケットを裏返しにして探していると、加奈恵がアドバイスをくれた。
「それなら」
思いついた勢いで、ジャンパーを脱ぎ、山南に差し出した。
「これ、綾にお願いします」
「うん、届けるよ」
冷たい風に、ぶるりと震えあがった。
山南は微笑むと、自分のコートを脱いであいの肩に掛けた。
「そんな、悪いです」
「事務所にCRAから運営陣に配られたジャケットがあるんだ。僕はそれを着て帰るよ」
「す、すみません。それじゃあ、お言葉に甘えて」
男物のコートはあいには大きく、腕を伸ばしても袖の先が余った。裾が地面に届いてしまうので、たくし上げなければならなかった。
ナチュラルアリーナを縦断し、逆側から走路に出た。
走路の外埒沿いに駐車してあった馬運車にサファイアたちを乗せていった。
馬運車を見送り、あいたちが乗ってきた競馬学校の送迎バスが停まっている駐車場へ行った。
馬房の掃除を終えた大矢たちが、先に駐車場で待っていた。
対抗戦で競い合った他のチームの選手と談笑している最中だった。
大矢と話していた古屋敷が、あいに気づいて近づいてくる。
「二走目の最後、馬具トラブルがあったのに果敢に障害に向かっていった君の心胆の強さには驚かされた」
「そ、そんな。あれはサファイアのおかげ、なので」
鐙が使えなくなったことを察したサファイアが、すぐさま側対歩に切り替え、障害もほぼ水平に跳んでくれた。おかげで振り落とされずに済んだのだ。
鞍を着けずに綾に乗って山中を駈けていた時、綾も同様の気遣いをしてくれたものだ。
「だとしたら、君はあの馬にとても慕われているんだな」
「うへへ、そう、ですかね」
サファイアとの絆を認められた喜びで、うねうねと芋虫のように身体を捩るあい。
「気味悪がらないでやってくれ、古屋敷。隊長はなんつーか、褒められ馴れてないんだ」
あいの反応に引き気味の古屋敷に、大矢がそっとフォローを入れた。
「皆さん揃ってますか。そろそろ我々も引き上げましょう」
遅れて駐車場へやって来た落合が、一同に集合をかけた。
競技会のあと、落合に呼ばれて別行動をしていた正士郎も、戻って来た。
正士郎の母親が観客席にいたのには、気づいていた。
落合の計らいで、母親と二人きりで会って話してきたのだろうが、正士郎は普段と変わらない表情をしている。
古屋敷が正士郎に声をかけ、わずかな言葉を交わし、去っていった。
バスが競馬学校へ向けて出発した。
「はぁ、なんだか怒涛な一日だったな。早く学校に帰って飯が食いたいぜ」
後ろの座席で大矢が暢気な調子で言った。
学校に帰る。考えてみると妙な言い回しだが、不思議とあいも同じ気分だった。
「正士郎、聞いたか?」
「なにを?」
「古屋敷のやつ、地方騎手は目指さずに就職して馬術を続けるってよ」
「ああ、本人からな」
「俺は心のどっかで、あいつは地方から中央に出てくるんじゃないかと思ってたぜ」
「馬術向きだと、競技を見ていて俺は思ったがな」
「騎手のセンスもあったと思うぜ」
「どちらにしろ、本人が決めたことだ」
「まあな」
正士郎と大矢の話を聞くともなしに聞きながら、あいは山南が届けてくれた便箋を取り出した。
「綾からの手紙か。ウチも一緒に見さしてもろうてもええ?」
隣の座席から、加奈恵が顔を覗かせてきた。
「もちろん」
丁寧に封を開けた。中から、写真が一枚出てきた。
「へえ、この子が綾か。あいの絵で何度も見てたからか、はじめて見る気せえへんな」
加奈恵はそう言ったが、心の中にいる綾と、写真に映っている綾とで、なにかが違う、とあいは感じた。
「お腹」
「ん?」
「綾のお腹、膨らんでる」
あいに言われ、加奈恵はまじまじと写真を見つめる。
「確かに、言われてみるとそう見えるな。この膨らみ具合やと、五、六カ月ぐらいか」
「綾が、お母さんになる」
綾が自分の道を歩きはじめた、ということなのか。
喜びに、心がふるえた。
「あい、鳥肌立っとるで」
「あはは、嬉しくって」
本音をいえば、ちょっぴり寂しくもあった。
姉が知らない誰かと結ばれ、子の親になる。実際の姉妹も、こんな複雑な感情になるのだろうか。
それでも、やはり喜びの方が大きい。
自分を気遣ってくれてばかりいた綾に、綾の道を生きて欲しかった。だから、綾から離れ、騎手になる道を選んだのだ。
あいが馬郷にいた頃、山南が綾に雄馬を当てがおうとしたこともあったが、綾は決して雄馬を近づけはしなかったのだ。
その綾が、子を宿し、自分の道を歩き出した。
私も自分の道を迷わずに進んでいきたい、とあいはあらためて思った。
「私も、綾に負けずに頑張らなきゃ」
あいが決心を口にすると、なぜか隣で加奈恵が息をのんだ。
「加奈恵、どうかしたの?」
「いや、なんでもあらへん。そういう意味とはちゃうよな」
「?」
加奈恵が頬を染めて取り乱している理由が、あいにはわからなかった。




