対抗戦と岐路 ②
対抗戦に出る競馬学校の馬の搬入が落ち着き、軽食を挟んでから、選手一同は集められた。
ゼッケンやヘルメットなどの装備を整え、山南が先導し、メインアリーナに移動した。
「ここが今日の会場だ。コースを案内するから、付いて来てくれ」
山南に続いて馬場の下見をする。
オリンピックの馬術競技の会場として、大改修されただけあり、近代的な作りになっている。四方を観客席が占め、南西に立っている棟に審判員が入るのだという。
前を歩く横須賀の背中が、緊張で強張っていた。
下見をしてから、馬を連れてきて試走の時間が与えられた。
一人につき三回の障害飛越の練習が許されている。
古屋敷は自分の練習もそこそこに、各選手の挙措に注視した。
選手個々人の力量は、それである程度掴めた。
競馬学校チームは、やはり大矢と正士郎が強力だった。
藤刀とかいう珍しい苗字の、競馬学校唯一の女子選手も、幅百センチほどあるオクサー障害を軽々と跳んでいた。
今日のために用意された馬は十頭だった。
競馬学校から移送された馬以外は、近隣の大学の馬術部が所有している馬を貸し出してもらっている。
どの馬もよく手入れされているのは、ひと目でわかった。
十頭は第一走と第二走で五頭ずつに分けられ、三チームの選手が五頭に一回ずつ乗って競技を行う。
第一、第二走りと合わせて全三十回の走行で、総減点が少ないチームの勝利となる。
ただ、減点数が並んだ場合は、第二走目で無失点だった選手のタイムで勝敗を決めることになる。
「雰囲気に呑まれて、馬に振り落とされるなよ」
試走を終えて一旦馬を降りると、古屋敷は横須賀に声をかけた。
横須賀の表情がふっと和らいだ。
「落ち方さえ誤らなければ、落馬を怖れる必要はない。また乗り直せばいいんだ」
「お前の言葉じゃないな、横須賀」
「山南先生の言葉だ。お前に言われて思い出した」
第一走に出走する馬は、鞍が乗せられたままで、メインアリーナに隣接する丸馬場で待機している。
第二走で走る競馬学校の馬は、メインアリーナと厩舎の間にある放牧地に連れて行かれた。
運営のスタッフに、一番手の横須賀が呼ばれた。
「じゃ、いってくる。お前も気負うなよ」
ヘルメットの留め具を締め直した横須賀が古屋敷の腹を突き、馬のもとへ向かった。
出番が先の古屋敷たちは、アリーナと管理棟を結ぶ通路の横にある、選手控え所に移動した。
少し離れたところに、正士郎が学校の同期たちといた。
試走での正士郎には、なんの乱れも見られなかった。
正士郎の父による家庭内暴力が週刊誌に取り上げられたのは今月の頭だった。
それ自体は事実のようだが、どれだけの期間、どの程度の暴力行為があったかなど、あやふやな内容だ。
どうあれ、古屋敷は口を出す立場ではない。
正士郎に負け続けてきた。
JJHコンペティションで優勝し、一矢報いてやろう、というだけでいい。
決めかねている自身の進路も、その先に見えてくるはずだと、古屋敷は思うことにした。
ただし、万全の状態の正士郎に勝たなければ、意味はなかった。
週刊誌の報道があり、古屋敷が心配したのはそこだ。しかし、杞憂だった。
自分と横須賀が正士郎と大矢を押さえれば、あとはこちらに一日の長がある。
横須賀が、馬に乗って馬場に現れた。馬に軽い準備運動をさせ、競技会がはじまった。
横須賀の第一走が終わると、入れ替わりで、すぐに少年馬術団の選手が馬場に入った。
横須賀は減点なく、タイムも五十九秒と上々だった。
「まずまずの出だしだ」
「上々だろ」
馬を次に乗る競馬学校の選手に引き継ぎ、横須賀が控え所に入ってきた。
昼になっていくらか気温は上がったものの、馬上ではまともに風を食らう。上着を渡すと、そそくさと着込んだ。
つつがなく競技は進み、正士郎が出てきた。
見ていたかったが、出番が迫っていた。
丸馬場に入り、馬に飛び乗った。
進路や、勝負へのこだわりなど、余計な思念は捨て去った。
メインアリーナに進み出た。すでに一度コースを走っている馬の身体は温まっている。
タイミングを見計らって馬腹を蹴った。冬のかたい風が、顔にぶつかってくる。心地いい、と感じた。
意識は冴え渡っていた。古屋敷の扶助に、馬も淀みなく応えた。
九つ全ての障害を、一つも落とすことなく越えた。あっという間だった。
控え所に戻り、スコアシートに書き込まれた自分のタイムを確認した。
全選手が第一走を終え、高校馬術連盟チームはリードする展開になった。
しかし、競馬学校チームとは減点数四の差しかない。少年馬術団も健闘しており、ほぼ横並びだった。
コースの障害の設定が変えられ、第二走がはじまった。
第二走は最大百十センチクラスの障害がある。
今度は古屋敷が一番手で出走し、再び減点なしで戻った。
「競馬学校の馬は、調教の仕上がりが一段違うな」
横須賀から上着を受け取り、肩に羽織った。
「どうだ?」
「大矢もミスなく完走したよ」
「諏訪も、きっとミスはしないな」
競馬学校の一学年は七名で、その全員に出走機会を与えるため、第二走ではメンバーが二名入れ替わっている。
正士郎と大矢、あいの三人は、どちらにもエントリーしていた。
少年馬術団の選手の一人が、馬の不従順で失権となった。乗っていたのは立派な体格をした青鹿毛の馬だ。
「あの馬、競走馬の血が入っているらしい。名前は、サファイアジャケットだったか」
「試走で乗ったが、ちょっと難しい馬だぜ」
横須賀が唸るように言った。
跳躍力は他の中間種とは一線を画している。その分、乗りこなすのには苦労しそうだった。
「お前は失権になってくれるなよ」
「善処する」
横須賀が出ていった。
横須賀は進路を内へ内へ絞りタイムロスこそしなかったが、後半で肝心のバーを二本落とし、減点八を食らった。
続く競馬学校の選手は、バーを一本落としたが、落ち着いて対処し、減点四で抑えた。
タイムの勝負になる流れだった。
「すまん」
戻って来た横須賀が、苦い表情で詫びた。
「まだ勝負が決したわけじゃない」
「競馬学校チームの最後は、あの青鹿毛の馬と藤刀って女子のコンビか。バーの一本でも落としてくれたら、俺たちの勝ちなんだが」
「人の失敗を期待するのはよせよ。それで勝っても惨めなだけだ」
「勝ちにこだわっていたお前の台詞とは思えないな」
古屋敷はスコアシートを横須賀に手渡した。
「一番早いのは、正士郎の四十八秒だ。俺は、五十秒を切れなかった」
届かなかった。古屋敷の胸中には、その思いがあった。
「まだ勝負はついちゃいないんだろ」
「ああ。だが、できることはもうなにもない。あとは結果を待つだけだな」
まばらに入ってる観客から、歓声が上がった。
「なんだ」
サファイアジャケットがコースを駈けている。目を離していた古屋敷は、なにが起こったのかわからなかった。
「障害を跳んだ拍子に鐙革が切れて、馬上から落ちかかったんだ。けど、まさかあの体勢から持ち直すなんて。とんでもないぞ、あの藤刀って子」
近くにいたチームメイトが、一部始終を熱っぽい口調で教えてくれた。
見ると、確かに片足が鐙から外れてしまっている。鐙革の長さを調節する穴がある部分が切れたのか。
「おい、あのまま大障害に向かうつもりか」
目を疑った。しかし、藤刀あいはサファイアジャケットを制止するどころか、馬腹を蹴って勢いをつけた。
強い意志を宿した瞳で、最後の障害を見据えている。
サファイアジャケットも、突然のアクシデントに見舞われた直後だというのに、取り乱す気配はない。あいを信頼しきっているのか。
あいは残っている鐙からも足を抜き、膝をやや屈めて前傾姿勢をとった。腿でしっかりと馬の背を挟み、障害を跳んだ。
隣の横須賀が、呆然としている。
競馬学校には面白いやつがいる。
山南に言われたことを、古屋敷はふと思い出した。




