諏訪正士郎 ②
遅れていた来年の文理選択のプリントを職員室で提出し、教室に戻ると、級友の男女が席の周りに集まっていた。
「あ、戻って来た。古屋敷、こっちこっち」
古屋敷は、手招きに応じて友人の輪に加わった。
「どうかした?」
「クリスマスイブに遊びに行く計画立ててんの。古屋敷も来るっしょ?」
「へぇ、楽しそうだ」
皆、気のいい連中だった。
夏休みには海に遊びに行き、花火を見に夜祭に行ったりもした。文化祭や体育祭でも、楽しんだ者勝ちという姿勢で、それは古屋敷も同じだった。
だが、今年のクリスマスはすでに予定がある。
「でも、ごめん、クリスマスには用事があって」
「そういや、馬術の催しがあるって言ってたな。JJHコンペティションだっけ?」
「ああ」
「え、古屋敷って馬術やってるの?」
「なんだ、知らなかったのか? こいつ、小さい頃から乗馬クラブに通ってて、競馬の学校に受験するぐらいガチだったんだぜ」
中央競馬学校の試験倍率の高さも知っている、中学来の友人が言った。
「そういえば先月、公欠で休んでたよね。古屋敷、帰宅部なのになんだろって不思議だったんだ。あれも馬術の大会?」
「うん。そこで入賞できたから、競馬学校の学生とエキシビションマッチに呼ばれてるんだ。それがクリスマスでね」
十月の大会で優勝を果たした。そこには、なんの感慨もなかった。
競技人口は多くなく、幼少からやっていると、自然と同世代の選手とは顔見知りになっていく。
諏訪正士郎も、大矢雅一も、今年の大会にはいなかった。二人とも、小中と上位争いかをしてきた相手である。
乗馬技術はほぼ互角なはずだった。
だが、二人は中央競馬学校の試験に合格し、古屋敷は二次で落ちた。
大会で優勝したことより、JJHコンペティションへの参加資格を得られたことの方が重要だった。
馬術の練習は、幼少から通っている乗馬クラブで続けてきた。
JJHコンペティションにエントリーされると、そこの乗馬クラブのオーナーの伝手で、馬事公苑で練習できるよう計らってもらえた。
「それなら、その大会が終わってから、放課後に近場のカラオケとかで集まってやろうよ。それなら古屋敷も来られる?」
「うん。けど、どこか遠出する計画を立ててたんじゃないの?」
「まぁね。でも全員いた方が楽しいじゃん。ね、皆もいいよね?」
満場一致で日取りが変更になり、そうなれば古屋敷も断る理由はなかった。
帰りのHRがはじまるまで、クリスマスパーティの段取りをあれこれと話し合った。
放課後になり、古屋敷は電車とバスを乗り継いで馬事公苑に行った。
顔馴染みになった職員が、馬房から馬を引き出してくれる。
近隣の大学の馬術部が所有する馬で、対抗戦でも貸してもらうことになっている馬だ。
鞍や銜をつけるのは自分でやった。
「おう、遅かったな、古屋敷」
馬事公苑内に四か所ある、スクエアという名称で呼ばれる四角馬場の一つに出ると、先に馬に運動をさせていた横須賀が轡を並べてきた。
「HRが少し長引いた」
「限られた時間しか練習できないってのはもどかしいよな。競馬学校の学生は毎日、たっぷりと練習の時間を与えられているんだろう」
「環境の違いを嘆くのはよせよ。対抗戦で競馬学校に勝つには、腐っている時間はない」
「相変わらず熱心なやつだな」
「お互い様だ」
同じ乗馬クラブに所属する横須賀も、先の大会で上位入賞を果たし、JJHコンペティションへの参加が決まっている。
連日、二人で練習に明け暮れていた。
「諏訪と大矢。あの二人には、思えば負けっぱなしだった。地方競馬の騎手になるのならともかく、俺は、今回がリベンジする最後のチャンスだ」
横須賀が少し寂しげに言い、馬の鬣を指で梳くように撫でた。
馬がくすぐったそうに首を振った。
古屋敷は地方騎手を目指すか、就職かで、進路を決めかねていた。
地方で実績を積み、中央の騎乗ライセンスを取るという道も、なくはない。どうあれ、馬に関われる場所で生きていきたい、とは考えていた。
「お前とも何度となく競ったがな。今回は同じチームの仲間だ。仲良くやろう」
「まぁ、そうだな」
古屋敷は頷き返した。
それから横須賀の馬とともにウォーミングアップし、障害飛越の練習に入った。
障害の難度は、例年のJJHコンペティションのコースに倣って設定してもらっている。
途中で馬を二度乗り替えた。
その二頭も、対抗戦に参加予定の馬だが、当日誰がどの馬に乗るかは直前までわからない。
日が暮れ、空が暗くなってきた頃合いで、横須賀と屋内馬場に移った。
屋内馬場の利用にも本来手続きが必要だが、馬事公苑側の好意で、利用予定のない日は使わせてもらえることになっていた。
さらに一時間ほど続けてから、練習を終えた。
馬場を軽く均し、馬の手入れをしてから引き上げた。
更衣室で着替え、フロントに挨拶に行った。
「二人とも、お疲れさま」
横須賀と馬事公苑を出ると、山南が路肩に車を停めて待っていた。
「山南先生、どうしてここに?」
山南を恩師と慕っている横須賀が車に駆け寄った。
「オーナーから、君らが対抗戦に向けて馬事公苑で猛練習していると聞いてね」
「激励に来てくれたんですか」
高等馬術連盟の役員を務める山南は、長野の山間で牧場を営む傍ら、定期的に全国の馬術部や乗馬クラブを回り、指導を行っていた。
古屋敷と横須賀も、これまでに幾度となく山南には世話になった。
「大仰だな。顔を見たくなって来ただけだよ。駅まで送るから乗っていきなさい」
古屋敷と横須賀を後部座席に乗せると、山南は車を発進させた。
「山南先生は、当日も馬事公苑に来られるんですか?」
山南の車に乗れた感動で言葉を失っている横須賀に代わって、古屋敷は話題を振った。
「ああ、そのつもりだよ」
「やった。見ていてくださいよ、先生。俺ら、諏訪や大矢よりいい記録出して、今年も高馬連を優勝させてみせますよ」
横須賀が鼻息を荒くして割りこんでくる。
「せっかくの機会だ。そう気負わず楽しみなさい。それに、その二人以外にも、面白い選手と出会うかもしれない」
「面白い選手、ですか」
山南の言葉が引っかかった。同世代の注目株なら知らないはずはない。顔は憶えていないにしても、名前ぐらいは見聞きしているはずだ。
「誰ですか?」
「さぁ、当日のお楽しみかな」
山南は意味ありげに微笑んだ。
駅前で降ろしてもらい、横須賀と駅の改札前で分かれ、ホームに降りた。
一人になり、古屋敷は中学時代、大会で見かけた正士郎の姿を思い返した。
あの頃の正士郎は、暗く、人を寄せ付けない雰囲気があった。
孤立している正士郎が気にかかり、声をかけたこともあったが、まるで相手にされなかった。
競馬雑誌の記事や、CRA(中央競馬学校)が発信している動画やブログを見るに、最近はずいぶん様子が違うようだ。
競馬学校に入学を果たして心情が変化したのか、それとも単に外面を取り繕っているだけなのかはわからない。
確かなのは、自分は正士郎の眼中になかったことだけだ。
大会で勝って振り向かせてやる、と闘志を燃やしたが、中学ではついに叶わなかった。
古屋敷は常に敗者だった。
競馬学校の学生とは、すでにそれだけで選ばれた存在である。対抗戦で彼らにうち勝ち、負け続けた過去に終止符を打つ。
その最大の障害が、正士郎と大矢だ。
他の生徒も侮る気はないが、競技経験はほとんどないはずだ。
山南が言うような、意外な伏兵がいるとは思えなかった。
「今度こそ勝つ」
ホームに滑り込んできた電車の風を頬に浴びながら、古屋敷は意志を固めた。




