諏訪正士郎
座学の授業が早めに切り上げられ、来月に迫ったJJHコンペティションに関するプリントが配布された。
「皆すでに耳にしているとは思うが、JJHコンペティションは本学と高等馬術連盟、少年馬術団の三チームで競い合う障害馬術対抗戦だ。
毎年、わが校からは一年生が、二チームからは競技会で上位入賞を果たした選手が五名ずつ出場する」
開催場所は馬事公苑で、日時は十二月五日。
競技用の馬は、馬事公苑内で飼育されている馬の他、競馬学校からも数頭を移送する予定のようだ。
教官の説明に耳を傾けながら、あいはプリントに目を通した。
「今週から走路訓練と並行して、基礎馬術、障害馬術の練習をしてもらうことになる。内容はたぶん前期のおさらいになるだろうが、対抗戦を意識に入れて、気を引き締めて取り組んでもらいたい」
馬術の訓練が増えるということは、サファイアやオハナと過ごせる時間が増えるということだった。
対抗戦に関しては不安でしかないが、二頭との訓練は楽しみだ。
それから二、三、注意点が伝えられ、学科教官は教室を出ていった。
同期だけになると、教室がにわかにざわついた。
「競馬学校は、ここしばらく優勝できてないんだよな」
あいの前の席で授業を受けていた大矢が、椅子の背凭れに腕をかけて話しかけてきた。
「そうなの?」
「おう、志摩先輩が厩舎実習に行く前に話してくれてよ。昨年なんかは、教官たちから随分プレッシャーを感じたらしいぜ」
「プレッシャー?」
「そりゃ、学校側も面子があるからな。負け続けってのは面白くないだろ」
「そっか。けど、対抗戦に出てくる人たちって、馬術の大会で優勝するようなすごい人たちなんだよね」
「だな。俺や正士郎は幼少から乗馬クラブに通ってたから、競技会に出た経験もあるが、隊長や上杉は、今年からちゃんと馬術をはじめたクチだもんな。そこに関しちゃ、向こうに一日の長があるとは思うぜ」
競馬学校に入るまで乗馬未経験だった上杉は、この一年懸命に練習に食らいつき、なんとか脱落せず上達してきた。
基礎馬術の試験を合格してからは、他の同期と肩を並べて、走路訓練にも取り組んでいる。
とはいえ、競技会の経験はない。それはあいも同じだった。
「俺は乗馬クラブには通っていたけど、競技会の経験はないな」
大矢の話を聞いていた同期の一人が言った。
「となると、ほとんどは初の競技会になるのかな」
大矢が腕を組んで難しい表情をした。
「か、勝てるかな」
あいは再びプリントに視線を落とした。
JJHコンペティションでは、九十センチ級の障害物が設定された一走目と、百十センチ級の二走目がある。
どちらも、障害を落とすことで減点となり、最終的な総減点で勝敗を決める標準ルールが採用されている。
「競技会だからといって、やることはさほど変わらない。尻込みすることはないさ」
「正士郎君」
「ここ数年、競馬学校が負け続きだということも、僕らには関係ない話だ。僕らがJJHコンペティションに参加するのは、今年が最初で、最後なんだ。やれることをやるさ」
「ま、そうだな」
大矢が正士郎の言葉に乗っかった。
「とはいえ、出るからには勝ちたいよな」
「当然」
理知的で頼りになる、いつも通りの正士郎だった。
白囲市の郷土祭で、別居しているらしい父親が訪ねてきたときに見せた冷淡さは、微塵も感じられない。
「あの、正士郎君、お父さんとはあれから」
「藤刀さん、悪いけど、その件に関しては触れないでくれるかい。僕は、あの男を父親だとは思っていない。そして、そのことについて人に深入りされたくもないんだ」
正士郎は穏やかな表情のまま、けれど有無を言わさぬ声で言った。
「ご、ごめん」
「僕は先に行くよ。君らも、あまりのんびりしていると厩舎作業に遅れるよ」
大矢が、労わるようにあいの肩を軽く叩き、正士郎のあとについて教室を出ていった。
教材を寮に置きに戻ってから、厩舎へ行き、馬体の手入れと夕方の飼付けを行った。
夏季期間が過ぎ、課業は通常の時間割に戻っている。
夕食まで、しばし時間がある。
他の同期が作業を終えて出ていく中、あいは残って、サファイアやオハナとしばし語らった。
一人遅れて厩舎を出ると、あたりが薄暗くなっていた。陽が沈むのが早くなった。
「まだ外にいたのか」
寮へ戻る道中、小早川と行き会った。脇に分厚いファイルを抱えていて、本館から出てきたところのようだ。
「ちょうどいい。サファイアジャケットのことで少し話がある」
小早川が事務的に話す。
立ち話をしたのは、短い間だったが、夕食の時間ギリギリになっていた。
食堂に入ると、同期は全員揃っていた。
食後、食事量を記入してから、女子寮に戻った。
寮の前で加奈恵と一緒になった。
「じゃあ、加奈恵も一緒にJJHコンペティションに出られるんだ」
「せや、あいたちの乗る馬の世話は、ウチら厩務員組がしっかりしたるから、任せとき」
寮の階段の途中で、加奈恵が腕に力こぶをつくってみせる。
厩務員課程生も、学習の一環で騎手課程生と組んでJJHコンペティションに臨む。
四人一チームで二頭の馬のコンディション調整に当たるということだった。
厩務員課程生の話し合いの中で、加奈恵のチームはあいと正士郎が当日騎乗する馬を担当することに決まったのだという。
「そや、サファイアが対抗戦に出ることはもう聞いたか?」
「うん、さっき小早川先生と会って」
「あいとサファイア、そんでウチ。最強のチームや」
「正士郎君もね」
「しゃあないな、ついでに仲間に入れたるか」
「加奈恵ったら」
部屋で入浴道具を揃え、風呂を済ませた。
リビングで日誌を書き、以前フィジカルトレーニングの授業で教わった、身体の柔軟性を高める体操を一通り行った。
サファイアとJJHコンペティションに出られるという知らせは、喜ばしいことだった。
しかし、小早川の話はそれだけではなかった。
体操をしても喜びと寂しさがない交ぜになったような気分は晴れず、就寝の時間前にあいは部屋に戻ってベッドに横になった。




