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ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第八話
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天道厩舎と密談 ⑤

 山南が、二杯目に芋のロックを注文した。


 天道はひたすらハイボールで、それは騎手時代から変わっていなかった。


 都内の、どこにでもあるような居酒屋である。週明けの夜で、店内は大して賑わってもいなかった。


 山南から誘いの連絡が来たのは昨夜だった。


 小早川は、午前中に一学年を指導し、陽のあるうちに事務仕事を片付け、学校を出た。その足でこの居酒屋に直行し、二人と合流したところだった。


「急にすまない、久しぶりにこの三人で顔を突き合わせて飲みたくなってな」

 山南が、ビールで喉を潤した小早川に、焼き鳥を勧めつつ言った。


「明日も仕事だよな」


「そうだが、問題ない」


「まぁ、そうか。お前が明日に残すような酒の飲み方をしているのは、見たことないしな」


 酒を飲んで酔うのは、自然なことだった。しかし、酔っぱらうことは、恥だ。


 酔うことと、酔っぱらうことは、同じ言葉だが、小早川の中では明確な差がある。


「山南は言わないけど、今日は俺の祝勝会だから、そこのところよろしく」


「わざわざ自分で言うなよ、天道。だから、小早川も来てくれたのだろうし」


「どうだか。こいつは昔から、山南の誘いは断らないんだ」


「そうかな。ともかく、三人揃ったんだ、中京記念の話でも聞かせてくれよ」

 山南は、天道が調教した馬に騎乗し、初の重賞で勝利した今春零のことを聞きたがった。


「自分が楽しむことしか興味がないね、彼女は」


「レースで一着を獲ることしか頭にない、ということか?」


「それは、彼女にとってはただの結果でしかないさ。馬に乗って駈けている。で、あるとき、風と一体になる感覚って、あるだろ。そうだな、彼女は、常に風になりたがってる」


「よくわからないな。風になる感覚というのも、経験はないし。しかし、なんだ、お前に似ていそうな子だな」


「俺が若手だった頃は、もっと可愛げがあったよ」


「よく言う。勝手気ままに振舞って、先輩騎手からも調教師からも、煙たがられていた。なにも言われなかったのは、レースに出せば勝つからさ」


 話題は、自然と昔のことになっていった。


 学校で、天道が落合によく叱られていた、と言って山南が笑い、天道はデビュー戦で勝って、落合に飯を奢ってもらった思い出を話した。


 二人の話を聞きながら、小早川は淡々と酒を飲み続けた。


 山南は天道の話に付き合いつつ、それとなく空いた皿の片付けなどに気を配っていた。

 小早川の酒がなくなると、注文用のタブレットを差し出してもくれる。


 学生時代から、三人で集まったときはこんなふうだった。


「落合教官は、まだ教鞭を振るわれているのだよな。あの歳であれほど矍鑠かくしゃくとされているのは、少し恐ろしいほどだな」


 中央競馬からは離れ、田舎で牧場を営む山南だが、恩師や古い知人とはいまだ連絡を取り合っているようだった。


 開業直前、人員不足だった天道厩舎を、山南がその人脈でたすけた、というような話もしていた。


「あいさんは元気にやっているかい?」

 小早川は箸を止め、山南にちょっと目をやった。


 山南は、今春零の話をしているときから、藤刀あいのことを思い出していたのだろう。


 話したいことがあっても、すぐ口にしたいところは、山南らしかった。


 天道なら、思ったことはすぐ口にするし、行動する。


「健康という意味で訊いているなら、元気だ。栄養管理は、学校側で徹底している」


「そうじゃなくてだな」


「訓練は順調に進んでいる。最近は、なにか焦りがある様子だが」


「焦り? それはどういう」


「知るか。そんなに心配なら、連絡をとって、直接話せばいいだろう。俺に聞くな」


 普段は自制しているのだろうが、酔うと、山南はうっとうしくなる。人の世話を焼く性格も、行き過ぎれば迷惑なだけだ。


「山南、ほら、水」

「ん、すまん、天道」

 山南は水を飲み、少し落ち着いたようだ。


「小早川は、まだあいを認めてないのかい?」

 天道が、言った。


 三人の中では一番飲んでいて、目元に酒気が滲んでいるが、活舌はしっかりとしている。


「認めていなければ、入学させていない」


「二次試験の個人面接。中身をあいから聞いたけど、意地悪だったな、あれは」


「中途半端な試験で合格を許されたとして、あとで苦しむのは本人だ」


「それだけかい?」


「なにが言いたい」


「大人の言うことに素直に従うだけの子どもなんてつまらない。理不尽を前にしてもくじけないガッツがあるか。そんなところを試していたんじゃないかと思ってさ。あいは、素直ではあるけど、あれで結構頑固な面もある」


 天道の言うことは矛盾していない。


 なにかを成そうとするなら、素直なだけでは果たせない。頑固さも併せ持っていなければ、騎手として勝ち上がっていくことは難しい。


 しかし。

「俺は、あの娘が騎手に向いているとは思っていない」


 喋り過ぎている、と小早川は言ってから気づいた。

 口が滑った。思っていても、教官である自分が、口にしていいことではなかった。


「なら、また試してみるか?」

 天道の口調が、ふっと真剣味を帯びた。


「試すだと」


「そうだな、例えば、お前とあいで、レースをしてみる」


「馬鹿な。そんなこと、学校が許すか。それに、まだ一年だ。結果はわかりきっている。無駄なことだ」


「退学を賭けるのさ。負けたら、退学。この条件なら、あいは勝つしかなくなる。騎手としての素質があるかどうか、見られるとは思わないか?」


「藤刀あいの闘争心を引き出すのに、ひと芝居打とうというのか」


「ないものは、どんなに叩いても出てこないさ。あるのなら、扱いさえ覚えれば、いつでも使えるようになる。武器にできる」

 天道の口調が普段の調子に戻った。


 どこまで本気で言っているのか、小早川は計りかねた。

 天道は冗談のような思いつきを、実践し、不可能を可能にしてきた男だ。


 あいをトップジョッキ―にする。


 それが、いまこの男が成就させようとしている野望なのは、間違いない。


「二人とも、馬鹿な話はその辺にしておけよ。それよりお前たち、もうじき四十だぞ。そろそろ身を固めてもいい時期だ」

 三人の中で、唯一所帯を持っている山南が、話の腰を折った。


「二人とも、ルックスはいいんだ。馬相手だけでなく、人との折り合いも覚えろよ。そうすれば、お前らなら、すぐ相手も見つかる」


「親戚のオバチャンみたいなこと言うなあ」


 天道が笑い、先ほどの話はなんとなくうやむやになった。


 やってみてもいい、という気分でいるのは、酔っているせいなのか。

 小早川は、店員を呼び、水を一杯貰った。


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