天道厩舎と密談 ⑤
山南が、二杯目に芋のロックを注文した。
天道はひたすらハイボールで、それは騎手時代から変わっていなかった。
都内の、どこにでもあるような居酒屋である。週明けの夜で、店内は大して賑わってもいなかった。
山南から誘いの連絡が来たのは昨夜だった。
小早川は、午前中に一学年を指導し、陽のあるうちに事務仕事を片付け、学校を出た。その足でこの居酒屋に直行し、二人と合流したところだった。
「急にすまない、久しぶりにこの三人で顔を突き合わせて飲みたくなってな」
山南が、ビールで喉を潤した小早川に、焼き鳥を勧めつつ言った。
「明日も仕事だよな」
「そうだが、問題ない」
「まぁ、そうか。お前が明日に残すような酒の飲み方をしているのは、見たことないしな」
酒を飲んで酔うのは、自然なことだった。しかし、酔っぱらうことは、恥だ。
酔うことと、酔っぱらうことは、同じ言葉だが、小早川の中では明確な差がある。
「山南は言わないけど、今日は俺の祝勝会だから、そこのところよろしく」
「わざわざ自分で言うなよ、天道。だから、小早川も来てくれたのだろうし」
「どうだか。こいつは昔から、山南の誘いは断らないんだ」
「そうかな。ともかく、三人揃ったんだ、中京記念の話でも聞かせてくれよ」
山南は、天道が調教した馬に騎乗し、初の重賞で勝利した今春零のことを聞きたがった。
「自分が楽しむことしか興味がないね、彼女は」
「レースで一着を獲ることしか頭にない、ということか?」
「それは、彼女にとってはただの結果でしかないさ。馬に乗って駈けている。で、あるとき、風と一体になる感覚って、あるだろ。そうだな、彼女は、常に風になりたがってる」
「よくわからないな。風になる感覚というのも、経験はないし。しかし、なんだ、お前に似ていそうな子だな」
「俺が若手だった頃は、もっと可愛げがあったよ」
「よく言う。勝手気ままに振舞って、先輩騎手からも調教師からも、煙たがられていた。なにも言われなかったのは、レースに出せば勝つからさ」
話題は、自然と昔のことになっていった。
学校で、天道が落合によく叱られていた、と言って山南が笑い、天道はデビュー戦で勝って、落合に飯を奢ってもらった思い出を話した。
二人の話を聞きながら、小早川は淡々と酒を飲み続けた。
山南は天道の話に付き合いつつ、それとなく空いた皿の片付けなどに気を配っていた。
小早川の酒がなくなると、注文用のタブレットを差し出してもくれる。
学生時代から、三人で集まったときはこんなふうだった。
「落合教官は、まだ教鞭を振るわれているのだよな。あの歳であれほど矍鑠とされているのは、少し恐ろしいほどだな」
中央競馬からは離れ、田舎で牧場を営む山南だが、恩師や古い知人とはいまだ連絡を取り合っているようだった。
開業直前、人員不足だった天道厩舎を、山南がその人脈で扶けた、というような話もしていた。
「あいさんは元気にやっているかい?」
小早川は箸を止め、山南にちょっと目をやった。
山南は、今春零の話をしているときから、藤刀あいのことを思い出していたのだろう。
話したいことがあっても、すぐ口にしたいところは、山南らしかった。
天道なら、思ったことはすぐ口にするし、行動する。
「健康という意味で訊いているなら、元気だ。栄養管理は、学校側で徹底している」
「そうじゃなくてだな」
「訓練は順調に進んでいる。最近は、なにか焦りがある様子だが」
「焦り? それはどういう」
「知るか。そんなに心配なら、連絡をとって、直接話せばいいだろう。俺に聞くな」
普段は自制しているのだろうが、酔うと、山南はうっとうしくなる。人の世話を焼く性格も、行き過ぎれば迷惑なだけだ。
「山南、ほら、水」
「ん、すまん、天道」
山南は水を飲み、少し落ち着いたようだ。
「小早川は、まだあいを認めてないのかい?」
天道が、言った。
三人の中では一番飲んでいて、目元に酒気が滲んでいるが、活舌はしっかりとしている。
「認めていなければ、入学させていない」
「二次試験の個人面接。中身をあいから聞いたけど、意地悪だったな、あれは」
「中途半端な試験で合格を許されたとして、あとで苦しむのは本人だ」
「それだけかい?」
「なにが言いたい」
「大人の言うことに素直に従うだけの子どもなんてつまらない。理不尽を前にしてもくじけないガッツがあるか。そんなところを試していたんじゃないかと思ってさ。あいは、素直ではあるけど、あれで結構頑固な面もある」
天道の言うことは矛盾していない。
なにかを成そうとするなら、素直なだけでは果たせない。頑固さも併せ持っていなければ、騎手として勝ち上がっていくことは難しい。
しかし。
「俺は、あの娘が騎手に向いているとは思っていない」
喋り過ぎている、と小早川は言ってから気づいた。
口が滑った。思っていても、教官である自分が、口にしていいことではなかった。
「なら、また試してみるか?」
天道の口調が、ふっと真剣味を帯びた。
「試すだと」
「そうだな、例えば、お前とあいで、レースをしてみる」
「馬鹿な。そんなこと、学校が許すか。それに、まだ一年だ。結果はわかりきっている。無駄なことだ」
「退学を賭けるのさ。負けたら、退学。この条件なら、あいは勝つしかなくなる。騎手としての素質があるかどうか、見られるとは思わないか?」
「藤刀あいの闘争心を引き出すのに、ひと芝居打とうというのか」
「ないものは、どんなに叩いても出てこないさ。あるのなら、扱いさえ覚えれば、いつでも使えるようになる。武器にできる」
天道の口調が普段の調子に戻った。
どこまで本気で言っているのか、小早川は計りかねた。
天道は冗談のような思いつきを、実践し、不可能を可能にしてきた男だ。
あいをトップジョッキ―にする。
それが、いまこの男が成就させようとしている野望なのは、間違いない。
「二人とも、馬鹿な話はその辺にしておけよ。それよりお前たち、もうじき四十だぞ。そろそろ身を固めてもいい時期だ」
三人の中で、唯一所帯を持っている山南が、話の腰を折った。
「二人とも、ルックスはいいんだ。馬相手だけでなく、人との折り合いも覚えろよ。そうすれば、お前らなら、すぐ相手も見つかる」
「親戚のオバチャンみたいなこと言うなあ」
天道が笑い、先ほどの話はなんとなくうやむやになった。
やってみてもいい、という気分でいるのは、酔っているせいなのか。
小早川は、店員を呼び、水を一杯貰った。




