天道厩舎と密談
先任の調教師、遠野の勇退に合わせて、調教助手と厩務員が数名、天道厩舎から去った。
その全員が高齢だった。
天道は、引き留めはせず、可能な範囲で心付けを渡し、彼らを見送った。
それからすぐ、山南に連絡をとった。
山南は競馬界から完全に身を引いて、山梨で馬郷という名の牧場を営んでいる。
その傍ら、乗馬振興協会の役員を務めており、顔は広く、人脈は豊富だった。
その伝手で、地方競馬や馬術競技から有力な人材を紹介してもらい、人員を補充した。
CRA(中央競馬協会)の規則で、トレーニングセンターの厩舎に従事するには、CRA競馬学校で厩務員課程を修学していなければならない。その点も山南は当然踏まえて、人を選んでくれた。
新しい人員は、経験は積んでいるが、全員が若かった。一番年嵩でも、天道より、三つか四つ上、というぐらいだ。
古い血と新しい血を入れ替える。
厩舎を引き継ぎ、まずやろうと考えていたことがそれだった。成り行きではあったが、ほぼ天道の思い描いた陣容ができあがった。
天道は、御園トレーニンセンター内にある、逍遥馬道に顔を出した。
緩やかな坂になっている場所に出ると、ちょうど天道厩舎の馬たちが折り返して戻って来るところだった。
「やぁ、様子はどうだい」
先頭を務める騎手に声をかけた。
騎手は後続に先を譲り、列を抜けて天道がいる柵の方へ馬を寄せた。
「悪くないです。どの馬もリラックスしてますよ」
騎手は乗っている馬の首筋に手をやった。
逍遥馬道には、馬の脚に負担がかからないよう、土にウッドチップを混ぜたものが敷き詰められている。
道沿いは緑が豊かで、馬でなくても歩いていて気持ちのいい道だった。
「中京記念、もう来週ですね。代わりの騎手は決まりましたか?」
「あぁ、目途はついた。この後あらためて、エージェントも交えて本人と話してくるさ」
「それなら、よかったです。依頼していた騎手が前走のレースで負傷するなんて、ついてなかったですね」
騎手が内心で落胆しているのには気づいていたが、天道はなにも言わなかった。
遠野厩舎の頃から所属している騎手で、腕は悪くないが、重賞では勝ちきれないだろう、というのが天道の見立てだった。
遠野もおそらくそう考えていて、ほとんど重賞挑戦の機会は与えなかったようだ。
ただ、調教の腕は一流だった。
騎乗機会に恵まれない騎手が、所属厩舎で調教を担い、稼ぎを得るのは珍しくない。
中央競馬の騎手は、競馬学校で調教についても一通り学ぶ。
それでも、本職の調教より劣るものだが、この騎手の調教の仕上がりは、本職と較べても遜色がなかった。
気づくと、よく調教助手と話をしている。そうして情報を交換し、実戦して、ということを繰り返してきたのだろう。
そういう実直なところが、この男の持ち味だった。
「それで、誰を乗せるんですか」
「今春零」
「彼女か」
「今年の新人最多勝は、決まりだろうな。デビューからここまで、惨敗したレースはない」
「重賞の経験は、まだないですよね」
「俺も、調教師として重賞に挑むのははじめてさ。ま、こっちは厩舎の看板をかけ替えただけで、遠野さんが積み上げてきたものがあるけどね」
「もっと、がらりと変わるものだと思ってましたよ。古くからの人もいなくなって」
「若いから出せる力ってのは、間違いなくある。でも、調教は積み重ねだ。遠野さんらが年月をかけて培ってきたノウハウを無下にするなんて、もったいないくて僕にはできない」
「もったいないから、か。それが天道さんなりの人情なのかな」
「さぁ、合理的なだけかもよ」
実際、遠野とやり方を大きく変えるとなると、馬主の説得も面倒だった。
厩舎にいる馬は、一頭一頭、馬主から預かっている。
馬主に任せられないと判断されれば、馬房はあっても馬がいない、ということにもなりかねなかった。
そうなれば翌シーズンには馬房数を減らされ、厩舎は縮小せざるを得なくなる。
規模の大小にこだわりがあるわけではないが、馬房整理などで手間取られたくはなかった。
「さてと、そろそろ待ち合わせ場所にいかないと。呼び止めて悪かったね」
天道は騎手と別れ、歩いて駐車場へ行った。
車を一時間ほど走らせ、堺市街に入った。
エージェントから、携帯端末に連絡が来ていた。適当なコインパーキングに車を停め、メッセージを確認した。
高速道路の高架線下の横断歩道を渡り、蟹を振舞う食事処に入った。
店員に待ち合わせだと告げ、店内に進んだ。
厩舎と騎手の間に入り、騎乗依頼の仲介をするエージェントが、真っ先に天道に気づき、席を立って挨拶に来た。
「お呼び立てするようなかたちになってしまってすみません」
「僕も昼飯はまだだったから、ちょうどよかったよ」
「そう言ってもらえて助かります。ちょっと、零ちゃん、天道調教師がお見えよっ」
慌てるエージェントをよそに、今春零は、無心で蟹の身を殻からほじっていた。
天道は店員にもう一人前、蟹を注文し、零のいるテーブルの席に着いた。




