表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第七話
PR
43/71

合宿と適性 ⑥

 月が、雲に隠れた。

 一度は収めたはずの怒りが、再びむくむくと湧きあがってきた。


 目の前には、やはり正士郎が立っている。しかし今度は、正士郎に対する怒りではなかった。


 あいには騎手としての適性がない。

 そう断言する正士郎に反論せず、あまつさえ納得しかけてしまった自分自身に、加奈恵は腹を立てていた。


 それはそれとして。

「やっぱり、ジブンのことは好きになれんわ」


「構わないよ。僕も、君とはそりが合わないと思っていた。

 ただ、寮で藤刀さんと同室の君から見て、彼女がどう映っているのか、少し気になったから訊いてみただけだ。忘れてくれ」


「勝手やな。騎手にとって何が大切かとか、ウチは知らんけどな、あいは馬を大切にしとる。

 馬も、それに応えようとする。呼吸が合うっちゅうんは、そういうことやろう。それは、騎手に必要なことやないんか」


「もちろん。馬がいてこそだ。馬を大切にできないやつは、適性以前の問題だ。僕が言っているのは、原動力の部分さ。動機と言ってもいい」


「動機」


 あいは、姉妹同然に育った馬、綾に、心配をかけない人間になるため、騎手を目指している。騎手として、生きて行こうとしている。


 正士郎の言う、闘争心という言葉と照らし合わせると、その動機は内にむきすぎている、という気はする。


 しかし、あいの動機が相応しくないなどと、誰が否定できる。誰にも、そんな資格はないはずだ。


「あいは騎手になる。そんで、ジブンの鼻を明かすぐらいの戦績をあげる。賭けてもええで」


「君みたいなのを、姉御肌っていうのかな」

 正士郎は関心を失ったように加奈恵から視線を逸らし、立ち去ろうとした。


「そういうジブンは、どうなんや」

 歯噛みして言うと、遠ざかりかけた正士郎の背中が、ぴたりと止まった。


 しばし、沈黙があった。


「憎い男がいる」

 正士郎が、沈んだ声で言った。


「けれど、殴ったって、母さんが悲しむだけで、なににもならない。騎手になって、あの男を越えるしかない」


「それ、親父さんのことか」


 正士郎はそれ以上は答えず、歩き去っていった。


 皮肉なほどに心地よい風が吹いていた。草がなびく、微かな音が聞こえる。


 少し風を浴びてから、加奈恵も民宿に戻った。


 寝室に入ると、あいは布団にくるまるようにして横になっていた。声をかけても、返事はない。


「眠ってもうたんか?」


 布団のふくらみは、ぴくりともしない。

 あいと話したかったが、眠っているのなら仕方なかった。風呂を済ませ、加奈恵も就寝した。



 翌日、加奈恵は日の出前に起き出て、叔父と朝食の準備をした。


「さてと、そろそろ学校まで送ろう」


「ごめんな、叔父さん、面倒かけて」


「賑やかで楽しかったよ。加奈恵が、ここを紹介してくれたおかげさ」


 叔父はあとのことを嫁に任せ、車のキーを取って先に車庫へ行った。


 加奈恵が荷物をまとめて玄関で靴を履いていると、寝間着のままのあいがやって来た。


「おはよう、加奈恵」

「おはよ、ずいぶん早いやん」


 合宿の起床時間には、まだ一時間ほどある。

 二日目は那須ハイランドパークに行く予定であるが、その前に軽い運動の時間がとられていて、起床は五時とされていたはずだ。


「見送りに起きてきてくれたんか」

 あいは、こくりと頷いた。どことなく物憂げな様子だ。


「元気ないな。どこか具合でも悪いんか?」


「う、ううん、ぜんぜん元気だよ、ほら」

 とり繕うように屈伸運動するあい。


 昨夜の正士郎との会話のせいで、なんとなく後ろめたい気分があり、加奈恵もそれ以上は詮索できなかった。


「ほな、また学校でな」

「うん。また、ね」


 あいに見送られ、加奈恵は叔父の車に乗り込んだ。

 那須の民宿からCRA(中央競馬協会)競馬学校までは、車で三時間ほどだった。


 叔父に礼を言って寮に戻ると、手早く着替え、午前の実技訓練から厩務員課程の同期と合流した。


 酷暑だった。訓練からあがると、馬と一緒に水を浴びた。男も女も、肌は浅黒く灼けている。


 厩務員課程生が預かる馬の厩舎は、コの字の形で建てられている。中央には、噴水のような水飲み場があり、訓練後はそこで水を飲ませた。


 昼食を挟み、馬の飼養管理などを学ぶ学科の授業を受けた。


 夕方には厩舎に出て馬の手入れをし、飼葉桶に飼料を補充した。


 CRAでは、厩務員課程の就学期間は二年間と定められている。騎手課程生は三年間なので、加奈恵はあいより一年早く学校を卒業することになる。


 卒業後の進路は、まだ漠然としていた。


 農業高校の畜産学科を卒業し、家業を継ぐつもりだったが、卒業前に家が廃業した。


 両親に、いままで苦労をかけた分、やりたい道に進んでほしいと言われて、真っ先に思い浮かんだのが馬だった。


 馬に関わる仕事がしたい。


 その一念で本学の厩務員課程を受験し、入学したが、その先に明確なビジョンがあるわけではなかった。


 だからだろうか。


 騎手になるという一つの目的にむかって、日々、訓練に明け暮れているあいや正士郎たちが、加奈恵には眩しかった。


 馬は好きだ。けれどいまはそれだけでなく、かれら騎手の力にもなりたい、という思いも芽生えつつある。


 就寝時間となり、加奈恵は寮の自室に入った。


 あいのベッドに腰を下ろした。


 あいを、騎手の適正がないと断定した、正士郎の言葉がよみがえり、きゅっと胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


 壁に並べて掛けてある、二つの蹄鉄に目を向けた。

 装蹄所の職人に魔除けとして貰ったもので、片方はあいのだ。


 あいが傷つくところは見たくない。できることなら、自分が守ってやりたい、と加奈恵は思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ