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ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第一話
2/21

裸馬と少女 ①

 体育の授業で、3×3(スリーバイスリー)バスケの最中だった。

 

 あいは足を動かしつつも、ボールが回ってこないことを一心に祈っていた。

 

 同じチームのクラスメイトが、相手方のディフェンスに捕まった。パスを出そうにも、味方にはぴったりとマークがついている。

 あい以外は。

 

 ボールが奪われ、カウンターで点を入れられた。

 

 ホイッスルが鳴り、相手の最後のシュートが逆転の決勝点となった。


「あ~あ、もうちょっとで勝てたのに」

「悪かったよ」

 試合の最後でボールをられた女子が、学校指定のジャージの袖で汗を拭った。


「パスすりゃよかったじゃん」

「パスコース、全部塞がれてただろ」

藤刀ふじわきさんがいたじゃん」


 自分の苗字を口にされ、あいはびくりと肩を震わせた。


「あの子にパスしたって、結果は変わんなかった」

「まぁ、そうね。は~、実質二対三だったもんな~」


 自分の不甲斐なさに不満を漏らす同級生に、いたたまれなくなり、あいが謝ろうと口を開きかけると、幼馴染のさくが間に入った。


「ドンマイ、ドンマイ、お二人さん」

「おう、ご機嫌だな、朔」

「へへ、そりゃあ気持ちのいい逆転ゴールさせていただきましたんで」

「このやろ〜」

 先ほどまであいへの不満を口にしていた二人は、もう忘れたように、小憎たらしい芝居をした朔を羽交い絞めにする。


 全校生徒で三十二名、一学年十名前後しかいない山間の中学校である。


 その中でも群を抜いて華のある三人組がじゃれ合っていると、体育館の隣コートにいる男子がちらちらと視線を向けてくる。


 自分のことなど、誰も気にも留めていない。こういうとき、あいはいつも、自分が透明人間になったような錯覚を覚える。


「あ、ちょっと、あい」

 あいが転がっていたボールを拾い、片付けに行こうとすると、朔が声をかけてきた。


「気にすることないからね。あいが体育できないのなんて、みんなわかってるんだから」

「う、うん」

「あ、体育だけじゃないか。あと勉強と家庭科と美術と音楽もできないもんね」

 朔は指折り数える素振りをした。


「ちょ、全部じゃねーか。ヒドすぎかよ、お前」

「藤刀さんカワイソウだろ」

 お道化る朔を挟んで、二人も笑顔を洩らしている。


「私は、カワイソウなんかじゃない」

 そういったあいの呟きは、小さく、誰の耳にも届かなかった。



 放課後、あいは一人で逃げるように学校を出ると、まっすぐに馬郷うまごうへ向かった。


「やぁ、あいさん、こんにちは」

 厩舎で馬房の掃除をしていた、牧場を営む山南が、あいに気づき挨拶をくれた。


 山南はまだ四十手前であるが、目尻の皴や温和な物腰もあって、いささか老けて見られがちだった。


「こ、こんに、ちはっ」

 走って来たせいで、あいは息を弾ませていたが、どもりがちなのは常日頃である。


あやなら、いまは放牧場だよ」

「あ、ありがとうございます」

 たった一言、礼を言うにも、声が尻窄んでしまう。


 恥ずかしくなり、再び逃げるような気持ちで、あいは放牧地へ走った。


 馬郷の放牧地は、厩舎の南西にある平地を、柵で囲って作ってある。砂が敷かれ、馬郷で飼育する三十二頭の馬にとっての運動場になっていた。


 厩舎の東側には、丘があり、そちらは牧草地だった。


 どちらでも馬を放牧するが、運動用の砂地側を放牧地、草をませたりしてのびのびと過ごさせる丘を牧草地と、馬郷では呼び分けている。


 あいは朔などの同級生と比べても十センチ以上小柄な体躯で、木組みの柵の隙間を潜り抜けた。


 放牧地で散歩をしている綾に駆け寄った。


「綾」

 声をかけると、綾の耳がぴくんと動いた。綾が白い息を吐き、首を下げた。


 綾は、淡雪のような毛色をした、今年十四歳になる牝馬である。


 綾とは、物心がついた頃には一緒に遊んでいた。人と馬では歳のとり方に違いはあれど、生まれ年は同じで、姉妹同然に育った。


 姉妹とは言っても、離れ離れに暮らしている家族ではあった。


 あいの家がある町から、通っている中学校や馬郷がある集落までは、車で二十分ほど山道を登らなければならない。


 休日や祝日でも、あいは綾に会うため、通学にも使うバスに乗って馬郷へ足繁く通った。

 十四年の間に来られなかったのは、風邪を引いて寝込んだ数回と、大雪が降った年の数ヶ月の間だけだ。


 長野の山間部で降雪は毎年のことだが、静岡寄りで標高が低めな土地柄、交通が遮断されるほどの大雪はさほど多くはなかった。


 あいは、綾の鼻面を抱き、しばらく息が整うのを待ってから、学校での出来事を綾に聞いてもらった。


「いつも、話を聞いてくれたありがとう、綾。私が学校に通っていられるのは、綾のおかげだよ」

 綾の尻尾が揺れている。馬体に隠れて見えなくても、綾の仕草は、気持ちとともに伝わってくる。


 綾は、あいの力になれることがなによりの喜びだった。


 だが一方で、哀しんでもいた。


 あいはからだを離し、憂いを帯びた綾の瞳を見つめた。

 綾が、こういう目をあいに見せるようになったのは、ここ一、二年のことだ。


「だいじょうぶ、だよ。私、ちゃんと強くなるから。だから、心配しないで、綾」

 あいが言うと、綾が優しく微笑んだ。


 物心がつく前から綾と一緒で、ともに育ったあいには、馬の気持ち、表情が、人間のもののように汲み取れた。


 綾が相手なら、人と人が話すように、言葉を交わすこともできた。


 綾はこの辺りに古くからいる馬の血を引いていて、蹄鉄が必要ないほど大きく強靭な蹄をしている。

 綾がその蹄で土を掻き、馬体を揺すった。


 一緒に駈けよう、と綾は誘ってくれていた。


「うん、そうだね」

 あいは綾の腹側に回り、背中によじ登った。


 くらはみも付けていない、裸馬らばの状態である綾に跨り、早駈はやかけをするようになったのは、何歳頃からだったか。


 はっきりとは憶えていないが、まだ幼かった自分が駈歩かけあしする綾の背中にへばりついているのを見て、山南が卒倒した記憶はあった。


 その時の記憶が、ふとよみがえり、あいの頬が緩んだ。


 小四にもなると、背筋を伸ばしたまま、鞍も手綱もなしに綾に安定して乗っていられるようになった。

 山南も、今更あいが裸馬に乗っている姿を目にしても、慌てることはなくなっていた。


 綾が駈け出した。


 他の放牧中の馬が、遠巻きに見つめている。寒風が顔を打つ。



 夕刻になり、西に見える冬枯れした山稜が影を帯びていく。あと十数日もすれば、雪の季節だった。


 一頻り駈けると、綾が鼻を鳴らし、山に誘ってきた。


「今から山に行くの? 陽が暮れちゃわないかな」

 少しだけ、と綾は言う。


 あいは、山南に心配をかけはしまいかと案じたが、あい自身もっと遊びたい気持ちがあった。

 山の起伏に富んだ地形、木立や張り出した枝、倒木、岩、これら天然の障害を避けながら進むのは、ゲームのようで、平場を駆けるのとは違う面白さがあるのだ。


「じゃあ、ちょとだけね」

 綾と、放牧地の柵を跳び越え、山に入った。


 山南の許可は貰っている。ただし、日が沈む前には戻ることが条件だ。


 馬郷が管理し、方角などを示した目印が各所に整備された山ではあるが、夜になるとそれらも闇に隠れ、迷う危険があった。


 山に入り、綾と遊んでいると、時間は瞬く間に過ぎていった。


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