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ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第二十二話

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藤刀あい ⑨

 零は、すでに歴戦だった。


 その零を、どこかで凌がない限り、勝ちはない。


 正士郎も大矢も、他の同期も、みんなそれを考えていた。


 ただ勝つだけでは意味がなかった。いずれ、並み居る歴戦の騎手とも、対等に戦わなければいけない。


 模擬レース最終戦を、斤量のハンデ抜きに闘いたいと最初に言ったのはあいだったが、同期の誰一人として異議は唱えなかった。


 あいは、自分を殺した。


 奇しくもそれは、競馬学校に入学する前、居場所のなかった教室で息を殺して時間をやり過ごしていたのに、どこか似ていた。


 そうして、零の後ろに付けた。


 全員から警戒されている零は、中盤まで、外にも前にも押し出していけない状態だった。


 あのままなら、零と一緒に勝負に絡めない展開もあり得たが、あいは、ただ零を信じた。


 零なら、どこかに勝機を見出し、道を切り開くはずだ。それができるだけの経験が、いまの自分にはないが、零にはある。


 零を利用する。事前に考えていた策ではなく、レースの中でそうなった。

 零を凌ぐために、零を利用する。決めてしまえば、迷いはしなかった。


 そして、並んだ。


 もう、零の背中を見るのはやめた。


 並んだ。そして、一瞬でいい、ハナ差でいい、超える。


 勝敗はときの運だ、ということが、模擬レースをここまで闘ってきて、あいにもわかりはじめていた。


 運を引き寄せられたかどうか。そんなことは、やってみて、結果が出てはじめて言えることだった。つまり、幻のようなものなのだ。


 レースの中で騎乗馬に全力を出させる。それは間違いなく騎手の資質で、騎手の手腕で左右できるのは、そこだけかもしれなかった。


 あいは、騎乗する馬に神経を集中させた。

 栗毛の三歳馬で、スターハンドレッドという名の馬だった。新馬戦で勝って以来、五戦していて、勝ちきれない結果が続いていた。


 あいも、幸先こそよかったが、第二回模擬レース以降、一勝もあげられていない。


 勝ちを確信した第五回レースも、正士郎の騎乗馬に迫り負けていた。


 勝敗を意識するのは、やめていた。


 駈ける。生きて、死ぬ。それだけでいい、という心境に、最終戦がはじまってわずかな時の中でなっていった。


 あなたもそれでいい?


 言葉には出さず、あいはスターハンドレッドに語りかけた。


 中山の名物でもある、観客席前の直線にある急坂に、零と横並びのままぶっつかる。


 ふいに、鐙を踏む足の裏に、たしかなものを感じた。


 これは、なんだ。


 不思議な感覚に包まれる。


 大地が、草を育む。その草を食み、馬は命を繋ぐ。


 そうか、これは大地だ。馬が常日頃感じている、大地の力だ。


 坂を登りきり、直線を駈け抜けた。

 最後まで、零とは横並びで、勝敗はわからなかった。


 あいは速歩まで落としてコースの奥へ進んだ。そこで、馬から飛び降りた。


 ぞくぞくとゴールしていた同期から、どよめきがあがる。


「おい、隊長、どうしたんだ」


「え、あれ?」


 馬を寄せてきた大矢を仰ぎ見、それからスターハンドレッドを振り返った。


 あいは、自分がなぜこんな行動を取ったのか、スターハンドレッドを見て理解した。


「力を使い果たして、その子、潰れる寸前だったのよ。だから、鞍から降りたんでしょう。その様子だと、頭で理解するより先に身体が動いたようだけれど」


 零だった。 


 零も馬を降り、手綱を曳いている。しかし零の騎乗馬は、まだあと一ハロンなら駈けられそうな顔をしている。


 判定が出て、ターフビジョンに映し出された。


「同着」


 悔しいという感情は湧いてこなかった。すべてを出し切っての同着だった。


 零の馬には一ハロン分の余力が残っていた。それを馬の質の差とする気にはなれず、自分が負けたのだ、とあいは思った。


「あい」


「なに、零ちゃん?」


「今度は、模擬ではない、本物のレースで」


 零が手を差し出してきた。


 あいは頷き、その手を握り返した。


 二人で笑い合った。


 地下馬道を通って検量所まで戻った。

 西が待っており、一人ずつ講評を貰った。

 第五回模擬レースでも、別のベテラン騎手が講評役に足を運んでくれていた。

 出し切れたと思えても、未熟な部分は多く、指摘をされてはじめて気づく部分も多かった。


「あの、西さん」


「なんだい?」


「いえ、すみません、やっぱりなんでもないです」


 レース終盤、急坂に差しかかったところで体験した、あの感覚はなんだったのか。


 馬が感じている大地の力だ、と思ったが、そのときの記憶はすでにあやふやなものになりつつあった。


 西に訊いてみたい気もしたが、うまく言葉にできる自信がなく、言い出せなかった。


「来ていたのか、駿」


 最後の学生の講評を伝え終えた西が、言うのが聞こえた。

 西の視線の先を見ると、天道が歩いて来ていた。


「どうも。あいも、おつかれさま」


 天道は西に軽く会釈してから、あいの方を向き、笑いかけた。


「課題はある。でも、観ている人間をアツくさせる、いい騎乗だった」


「ありがとうございます」


 天道と一緒に、加奈恵が来ていた。


 加奈恵は、あいに親指を立てる仕草をしただけで、木馬の傍にいる正士郎のもとへ近づいていった。

 二人が、さり気なく馬道の方へ移動する。なにか、奇妙なものを見たような気持ちになった。


「あとは、卒業を待つばかりか」

 天道が言った。


「まだ騎手免許の試験が残ってますよ」


「受かるさ。受からないはずがない」


「はい」


 模擬レースに出走した馬の馬装が、騎手課の後輩の手で解かれていた。


 ガラスを一枚隔てて、あいはその様子を見ていた。

 後輩の手際に、口を挟みたくなる部分は一切なかった。


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