藤刀あい
校外へ外出する際は、教官室へ申請書を書いて事前に提出しなければならない。
外出申請書の記入欄には、学生の名前の他、目的を記入する欄があった。
三学年全員の名前を列記した下の欄に、大矢は、決起集会の為、と書いて持って行った。
「騎手課三年大矢、入ります」
教官室にいるのは、小早川だけだった。
もっとしっかりとした理由の書き方をしてくればよかった、と後悔する気持ちになったが、嘘ではない。
「外出許可をもらいに来ました」
小早川の前まで行き、大矢は申請書を差し出した。
「決起集会だと」
申請書に目を通し、小早川が低い声で言った。次には、書き直してこい、と突っ返される覚悟をした。
「申請書は受け取った。門限までには遅れるなよ」
「え、いいんですか」
「なにがだ」
「いえ、では、失礼します」
大矢は一礼し、そそくさと教官室を出た。
本館の入り口のところで、私服に着替えた同期の面々が待っていた。
「やべえ、小早川教官しかいなくて、怒られるかと思ったぜ」
「最初からちゃんと書いていけばよかったんだ」
正士郎が溜息混じりに言った。
「でも、すんなり受け取ってもらえてよかったぜ」
「今年入学した一学年には、相変わらず鬼教官と恐れられているみたいだが、根はやさしい人だよ」
「そうだね」
正士郎の言葉に、あいが同意を示した。他の四人は、首をかしげていた。
七人で、駅前の焼き肉屋へ行った。
「よし、今日はたらふく食うぜ」
大矢は卓上のタブレットを引き寄せ、次々と肉を注文していった。
赤く灼けた炭が運ばれてきて、卓の中央の穴に入れられた。その上に網が被せられる。肉もすぐに運ばれて来た。
「おい、肉と肉を重ねて置くな。それに、葱タン塩は引っ繰り返したら、葱が下に落ちるだろう」
「焼肉奉行かよ、正士郎」
「お前ががさつなんだ、大矢」
「あんまり細けえと、女にモテねえぞ」
なにか言い返してくるかと思ったが、正士郎は黙って肉を焼きはじめた。
網の手前の部分だけに肉を並べているのは、自分が置いたものだと見分けるためだろう。
ほとんど会話もせず、肉を食った。大皿がすぐに空になった。誰かが注文した追加の肉と、空になった皿が入れ替えられる。
白米は二杯まで。それだけは決めておいた。
最初に正士郎が箸を置き、次に杉本が続いた。
杉本が、隣の同期と実習での出来事を話しはじめた。聞いていると、東西のトレセンならではの違いがあり、各厩舎でも、やり方は微妙に違っているようだった。
正士郎が実習に行った日野宮の厩舎では、馬にクラシックを聴かせていた。
同期の一人が、あいの実習の話を聞きたがった。
「裸馬に乗って、姿勢の崩れた馬の補正をやったんだって? 美駒トレセンでも噂になってたぜ。どうやったら、そんなことができるんだよ」
「どう、って言われても。やったらできただけで」
「こりゃあ、聞くだけ無駄か?」
「ごめんね」
あいは申し訳なさそうにしつつ、肉を食い続けている。
以前は小食なイメージがあったが、いつからか人並以上に食うようになった。もとが小柄なので、体重を気にする必要もあまりないのだ。
「隊長の特殊スキルだ。それで、他の調教師にも関心を持たれて、色んな厩舎に呼ばれて馬に乗ったりしてたぞ」
「それだけ、乗鞍数も多かったんだろう。くそ、羨ましいな」
あいの場合、コース調教に出るのは遅かった。天道になにか考えがあったのか、大矢は知らない。
一時期、あいは明らかに焦りを滲ませていた。
遠目で何度か見かけ、心配していたが、なかなか声をかけられなかった。杉本もそうだろう。お互い、自分の実習で手一杯だったというところがある。
「そういや、トレセンでは多くても三頭立ての併せしかやらなかったな」
杉本が言った。
「おう、そういやそうだな。学校だと、七頭立ての走路訓練とかもやったよな。明日も、教官が二人加わって、九頭で出走からゴールまでの流れを通しで練習するって説明されたし」
「実質、模擬レースの練習だな」
正士郎は水を飲むだけで、もう肉に箸をつけようとしない。
「モギモギレースってところか」
大矢は女の乳を揉みしだくような手つきで冗談を飛ばしたが、誰もなにも言ってくれなかった。
「俺は、全部勝つつもりでやるぞ。練習などとは考えずにな」
「そりゃ、この場にいる全員そうだ、正士郎」
正士郎は、あまり自分を隠さなくなった、と大矢は感じていた。
競馬学校に入学する前から、乗馬クラブで交流があったので、なおさらそう感じるのだろう。
いい変化だと思えた。以前の正士郎は、笑顔でも、どこか息苦しそうに見えたものだ。
「一度だけ、言っておきたかった」
「いいじゃないか、大矢。諏訪の言葉で、決起集会らしくなった」
同期の一人が言い、杉元やあいも頷いた。
卓に残っている肉をすべて腹に入れ、店を出た。
少し寄りたい店があると言って、大矢は一行と別れた。
駅からしばらく歩いた。
閑静な住宅街の中に、ぽつんとある喫茶店が見えた。時間を確認し、入店した。
「大矢、こっちだよ」
昭和モダンな雰囲気のある店構えで、奥まった席から、志摩の呼ぶ声がした。
「お久しぶりっす、先輩」
「先輩はよしてくれよ」
「元気そうでよかったです」
「とりあえず座ろう。俺たちが二人で立っていると目立つ」
大矢はテーブルを挟んで志摩の正面のソファに座った。
「志摩さんからメッセージが来たときは驚きました。園田競馬場で働きはじめたんですね」
「ああ。去年の冬からお世話になってる」
「なら、もっと早く連絡くれてもよかったのに」
「そっちはトレセン実習で、それどころじゃなかっただろう。やりとげられなかったが、実習の大変さは身に染みてるからな」
「志摩さん」
「悪い、湿っぽい話をしに来たんじゃないんだ。頑張ってくれと、会って言いたくてね」
「それなら俺だけじゃなく、同期のみんなに言ってやってくださいよ」
「もちろんみんな応援しているよ。ただ大矢は、俺と同じ苦労を背負ってるからな。勝手に、親近感を覚えていたんだ」
「勝手だなんて。嬉しいです。けど、俺ならへっちゃらですよ。さっきまで、焼肉に行ってたんすよ。模擬レース前の決起集会だって、同期の連中と」
「お前らしいよ。そうやって人前では明るく振舞って、裏で血の一滴まで絞るような努力をする」
「志摩さん、前よりお喋りになりましたね」
「そうか。そうだな、余計なことを言った」
それから志摩は、園田での話をした。
厩務員として働きながら、地方競馬協会が発行している騎手免許を取る準備を進めているという。二年後か、早ければ来年には、試験を受けるつもりらしかった。
大矢は、実習での苦労話などを面白おかしく話し、志摩の笑いを誘った。
会話が途切れた。客は、他に読書をしている老人が一人いるだけだ。
カウンターの奥で、サイフォンが微かな音を立てている。
「いいっすね、この店」
「俺の秘密基地だった。教えたのはお前で二人目だよ」
最初の一人は、志摩と仲の良かった同期の渋川だろう、と大矢は思った。




