↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第二十一話

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
117/132

天道駿 ④

 函館から戻って来た沼倉は、数日ばかりトレセンで働き、翌週には小倉へ出張に行った。


 加奈恵に呼び出されたのは、その三日後だった。

 月末で、飼料の在庫管理や経理関係を処理している最中だった。


 どこか人のいない場所がいい、と言われ、車を出した。トレセン内だと、どこにしろ人の耳目はある。


「お父さんの容体はどうなんですか?」


「もう退院して、庭で盆栽をいじったりしているそうだよ」


「よかったですね」


 助手席に座った加奈恵は、なにか逡巡している様子だった。


 車内を微妙な緊張感が満たしている。先日の正士郎の告白の一件ではなさそうだ、と天道は思った。


「この前、あいの部屋に遊びに行ったんです」

 加奈恵が切り出した。


「トイレを借りて、気づいて」


「気づいた?」


「埃を被っとったんです、生理用品が」


 加奈恵が言っていることが、すぐには呑み込めなかった。


「あいに訊いたら、もう四カ月、来とらんらしくて」


 天道は、あいの身に起こっていることを理解した。


 大津市南部から、渓谷に通じる道に入っていた。眼下に渓流が見えた。

 窓の外から、滝の音が聞こえた。昨夜、豪雨があり、川は濁った色をしている。


「女性の競技者がしばしば月経異常になる、とは聞いたことがある。現役の女性騎手から、そういう話を聞いたことはないが」


 しかし、考えてみれば、男と同じ乗鞍数を年間にこなそうと思えば、無理が生じるに違いなかった。


「競馬は毎週末、ほぼ年中無休で開かれる」


「そうですね」


 天道はこれ以上なにをどう言えばいいか、わからなかった。


「あいは、なにか言っていた?」


「困ってない、って。おかげで、毎日馬に乗れている、とも言っていました」


 あいが言いそうなことだった。


「でも、身体にはよくない、のかな。すまない、よく知らなくて」


「仕方ないですよ。女のウチかて、よく知りませんでした。だから、調べました。女性競技者の場合、原因は、栄養不全とか、激しいトレーニングとかが主みたいです。あいは、食事には気を配ってます。それこそ、学校で教わった栄養学を参考にして、多すぎず、少なすぎず、偏らんように考えて」


 あいは、自分で献立ノートを作っていた。それを、天道も一度見せてもらったことがある。


 原因は、日々のトレーニング量のせいだと思えた。


 コース調教に出始めてから、並みの騎手と同等か、それ以上の乗鞍数をこなしている。それとは別に、フィジカルトレーニングもやっているのだ。


 オーバーワークにならないよう、気を付けているつもりではあった。


 ただ、月のものについては、頭から抜け落ちていた。というより、考えすらしなかった。


「命がどうこうってことはありません。でも長期間に及んだ場合、最悪、子どもが産めんようになるかもしれん、とありました」


「そうか。話してくれてありがとう。見落としていたのは、僕の落ち度だ」


 加奈恵が首を振った気配がした。


 そこから十分ほど走ると、渓谷を抜けた。


 甲賀の町に出た。適当な道を左折し、栗東市に車を向けた。


 その夜、天道は自宅の地下室でトレーニングをしながら、あいとどう話すべきか考えた。


 最終的に、あいが決めることではある。だが、それは将来のリスクを正しく理解させたうえで、だ。


 男の自分が、それをやるのか。受診させ、医師の口から説明を聞かせた方がいいのではないか。


 しかし、あいは今のままでいい、と考えているらしく、医者へ行けと言って素直に聞くとは思えなかった。 


「渋るようなら、強引に連れていくしかない、か」


 木馬を降りた。

 水を被ったように、全身が汗で濡れている。地下だが、空調設備はしっかりしていて、空気が籠ることはない。



 翌早朝、出勤し、まず調教を開始した。夏のいま、調教できる時間は限られている。あいの件は、一度頭から追い払った。


「なにか賑やかだな」


 一通りの調教が済み、調教スタンドから降りた天道のもとに、北本がやってきた。


「トレセンの一般公開日ですから」

 北本に言われ、思い出した。


 広報担当の職員が、四十名ほどの男女を連れて施設を案内していた。ちょうど、調教スタンドで馬の調教風景を見学し終わり、外に出てきたところらしい。

 そこへ、あいが調教コースから馬を曳いて戻って来た。


「あいちゃん」


 ツアー参加者の中から、一人の女が出てきて、あいに手を振った。あいが喜色を浮かべ、馬を連れたまま女に駆け寄った。


 あいはしばし親しげに言葉を交わしてから、女と別れ、天道たちがいる方へ歩いてきた。


「さっきの人は?」


「あ、美冬さんっていって、一年生の校外学習のときに知り合った人で。そのあとも甥っ子を連れて、白囲《しろい》市郷土祭にも来てくれたりして」


 競馬学校が郷土祭に参加し、乗馬体験や蹄鉄の製作実演などをやって地元の人と交流した、と話題になっていた。


「今日は仕事でこっちの方に来る用事があったみたいで、見学ツアーの日程が重なっていたから、応募してきてくれたみたいです」


「へえ、なにをされている人なの?」


「お医者さんです」


「それは」

 渡りに船だ、と天道は思った。


「北本、ツアーのスケジュールはどうなっていたかな」


「確か、この後は厩舎区画を見学して、食堂で昼食だったかと」


 天道は、頃合いを見計らって食堂に行った。


 美冬はすぐに見つかった。ツアー参加者はまとまって窓際のテーブルで昼食をとっていた。

 そこへ近づいていき、美冬に声をかけた。


「突然すみません。天道です」


 名乗ると、美冬が反射的に立ち上がった。周りからも、ざわざわと声があがる。


「ツアーの後、少しお時間いいですか? 僕の厩舎で預かっている騎手課程の学生のことで、少しあなたに相談がありまして」


 名前を出さなくとも、あいのことだと、美冬は察したようだった。


「わかりました」


 天道は食堂を出ると、事務局に連絡を入れ、応接室を押さえた。


 二時間ほどして、第二通用門から厩舎区画を出て、トレセン事務局へ向かった。


 事務局の建物の前に、ツアーを終えた美冬が待っていた。中へ案内し、二階の応接室へ入った。


「僕のことはご存知ですか?」

「元天才騎手で、現役調教師。それだけでなく、あいちゃんの先生なんですよね」


「先生、という言われ方は馴染まないな。まあ、僕とあいの間柄は、説明不要みたいですね」


 あいから、競馬学校に入学するまでの経緯は、ある程度聞いているようだ。


 美冬は頷き、相談を聞く姿勢をとった。

 医者の顔つきだ、と理由もなく天道は感じた。


 事情を説明した。


「わかりました。確かに、男の人がそういった話を、まだ十代のあいちゃんにするのは難しいですね。私から、話をしましょう」


「頼めますか」


「私は脳外科医なので、専門外にはなりますが。医学に心得のある友人としてなら、あいちゃんに然るべき助言はできると思います」


「よろしくお願いします」


「そうかしこまらないでください。こう言っては不謹慎かもしれませんが、嬉しいんです。まさか私に、あいちゃんのためにできることがあるとは思っていなかったので」


 美冬が遠慮がちに笑った。


 医者の仕事は、傷病の患者がいなければ成り立たない。

 研鑽を積んだ医術の腕を振るうことで充実感を得られても、手放しには喜べない。


 天道は、美冬の人となりを知れた気がした。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。