EP 4
【閑話】弟クラウスの憂鬱と、ポポロ村の異常な日常
「兄上ええええええええええっ!!」
ルナミス帝国、クライン公爵城。
執務室に、若き当主クラウスの悲鳴が響き渡っていた。
「なぜです!? なぜ『関税率の計算式』なんて面倒な書類だけ、巧妙に束の下の方に隠して逃げたのですかあの人はっ!?」
彼の目の前には、リアンが投げ出した書類の山。
ノブリス・オブリージュの塊であるクラウスは、生真面目さゆえに一つ一つ丁寧に目を通し、その結果、徹夜三日目に突入していた。
「だいたい、あの空飛ぶ鉄の塊はなんですか! 帝国の機密兵器庫にもあんな記録はありませんよ! ああもう、頭が痛い……っ!」
クラウスは美しい銀髪を掻き毟る。
「……ポポロ村、でしたね。絶対に連れ戻して、この書類の山に埋めて差し上げますからね、兄上……!」
弟の怨嗟の声は、城の天井に虚しく吸い込まれていった。
* * *
「へっくしゅっ」
その頃、ポポロ村。
『ポポロ亭』の厨房で仕込みをしていたリアンは、盛大にくしゃみをした。
「誰か噂でもしてるのか? ……まあいい。今日のランチは、月見大根の煮物と、トライバードの唐揚げ定食だ」
開店準備を終え、暖簾を出そうとしたその時。
「おや、ええ匂いさせてはりますなぁ。新入りの店主さんでっか?」
チリン、とドアベルを鳴らして入ってきたのは、コテコテの関西弁を喋る、派手な着物姿の猫耳族だった。
首にはデカい算盤。口元には煙管。
ゴルド商会所属の商人、ニャングルだ。
「村長はんが、えらい美味い飯屋ができたっちゅうて騒いどりましたわ。……ほな、お手並み拝見といきまひょか」
「いらっしゃい。……商人の朝は早いな。お代は銀貨一枚だ」
リアンが唐揚げ定食を出すと、ニャングルは一口食べ――。
「……!! な、なんやこの衣のサクサク感と、溢れる肉汁は!? これ、帝国の三ツ星レストランでも出せへん味やで!?」
猫耳をピーンと立てて、ガツガツと唐揚げに食らいつくニャングル。
「せやけど、兄ちゃん。こんな美味いもん、銀貨一枚で出しとったら原価割れしまっせ? 商売舐めたらあかんよ」
「原価なら、独自の『仕入れルート(ネット通販)』があるから心配ないさ」
リアンが笑うと、ニャングルは神眼とも言える動体視力で、リアンの瞳孔をジッと見つめた。
「……ほう。嘘は言うてへんみたいやな。おもろい兄ちゃんや。贔屓にしたるわ」
「それはどうも」
「私も、一ついただこうか」
唐突に、静かで、しかし底知れぬ圧を伴った声が響いた。
いつの間にかカウンターの隅に座っていたのは、完璧な執事服に身を包んだ人狼族の男――リバロンだった。
「……気配が全くなかったな。あんたは?」
「私はこの村の宰相兼、村長の執事を務めておりますリバロンと申します。キャルル様が昨日から『リアンさんのご飯しか食べたくない』と駄々をこねておりましてね。毒見に参りました」
リバロンは優雅な仕草で唐揚げを箸でつまみ、口へ運ぶ。
「……ほう」
その瞬間、人狼族の瞳が金色の光を帯びた。
「これは……素晴らしい。肉の繊維を断ち切る絶妙な下処理、そして、この仄かに香るスパイス……『マギー キッチン・サイエンス』の理論を応用していますね?」
(こいつ……只者じゃないな)
リアンは直感した。
金の亡者であるニャングルと、冷徹な空気を纏うリバロン。
この二人が裏で村を回しているからこそ、ポポロ村は三大国に潰されず、独立を保っていられるのだと。
「……気に入ってもらえたなら何よりだ」
「ええ。これなら、キャルル様の胃袋を任せても――」
リバロンが微笑んだ、その時だった。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!
突如として、ポポロ村全土にけたたましいサイレンが鳴り響いた。
ただの魔物襲撃ではない。村の防衛警報レベル『最大』を知らせる警鐘だ。
「……ッ!」
ニャングルの耳が伏せられ、リバロンの顔から笑みが消える。
「来たか……。三大国の阿呆どもなら、外交でどうとでもなるが……」
「この禍々しい気配……天魔窟の『アレ』ですか」
「アレ?」
リアンが窓の外を見ると、村の西側の空が、黒い雲のようなものに覆い尽くされようとしていた。
いや、雲ではない。
「死蟲機の大群や……! 最悪や、あのイカレた魔人が来やがった……!」
ポポロ村の平和な日常が、絶望の羽音によって引き裂かれた瞬間だった。




