149 珍しい表情
ニコニコで振り返った私にいやらしく笑っていた女性がギョッとする。
「どうかされました?」
そこにいたのは……誰かしらねぇ?
若いのでおそらく学園生徒なのだろう。
しかし、相変わらず覚えていない。とりあえず寄子の家の令嬢ではないわね!
ということは少なくともマロット公爵家派閥の人間ではない。
公爵家ということで表立って敵対されることは稀だけど、派閥関係で距離を置かれる場合もある。
社会的に敵対しているというか、前世でいえば同業他社みたいな家も一応あるのだ。
そういう家の相手だと、あまり爵位の威光は利かなかったりもする。
下位貴族の者を相手していたら『あそこの公爵令嬢は下位貴族相手に……』などと、本命の敵対者からは格好の的になる場合もあるのよ。
とはいえ、故意にワインをかけられた場合に黙っているべきかというと、そんなことはない。
かかってないけどね! 一滴も! ふふ。
避水訣は『水から身を避ける』のではなく、『水のエネルギーを寄せつけない』術なので、ワインは私にかからず、手前の床に落ちている。
「手が滑りましたの……」
「あら、そう。手が滑って、それで何がどうしたのかしら? 私に何か関係でも?」
「は? 気づいて……」
私は、その場でスカートの裾を持ちながら、華麗なターンを一度。
「…………」
「ふふふ、汚れ一つない、綺麗なドレスでしょう? 今夜のデビュタントのために用意した物なの」
そうしていきなりドレス自慢を始める浮かれた令嬢を演じてみせる。
もう、ニッコニコよ。なにせ避水訣によるワイン避け実績を解除したので。ウキキ!
「それで、貴方はどちら様?」
「い、いえ……私は……その」
「なぜ、急に私に向かって謝ったの? 手を滑らせてどうなったの?」
ノーダメージスマイルにタジタジになる女性。
おそらくワインがかかって汚れたドレスを基点に責めてくる予定だったのだろう。
その予定が崩れたおかげで戸惑っている様子。
「わ、私は……」
「ええ、貴方は? どちらの家の方?」
グググッと私は身を近付ける。逃がさないわよー? と。
手持ちの扇を口元に寄せ、相手の目を見つめる。
「ペディット子爵家ですわ……」
子爵家。それがなぜ、公爵令嬢に喧嘩を売るのか。何を考えているのだか。
「たまたまワインがかからなかったけれど、貴方、私が公爵令嬢であることはわかっていて? 喧嘩を売るにしても相手くらい選びなさいよ」
「け、喧嘩なんて。手が滑っただけで……」
「その言い訳が通じる相手かどうかくらい判断できないのかしら。貴方個人の損得だけ考えても悪手もいいところじゃない? 私はこの場で、殊更に大声で騒ぎ立てたりはしないけれど。この場だけ流して、あとからもっと致命的な傷を家門ごと負わせることさえできるのよ?」
「その……」
「ええ」
「も、申し訳ございません……」
「わかればいいわ」
そこで一歩下がる私。顔を近付けられたくらいでビビるなら、こんなことしないでよねぇ。
「なんだったの? それで。わざわざ子爵家の貴方が公爵令嬢のドレスにワインをかけるって。個人の判断じゃないでしょう」
「…………」
「ペディット子爵家というと……ああ、あの家に従う家ね」
自信満々に言ってみるテスト。ハッタリである。
残念ながら派閥関係と数の多い男爵家・子爵家の名は把握できていない。
正直、この数の男爵家・子爵家を把握しているのはけっこうなエリートだと思うわ。
……もしかして私が社交界ズレしているだけじゃなく、我が家が私に甘いから?
公爵家とは思えないくらい温かな家族関係なのよねー。
「……ち、違……」
「違うの? では、これを機に貴方の家は切られるかもしれないわね。だって従うべき家の指示もなく、こんなことをしでかすなんて必要のない家だわ」
サーッと青くなる彼女。いや、こんなことで青くなるなら本当にするなと言いたい。
私は彼女から目を逸らして、離れた場所から様子を窺っていたヴィル様に合図を送る。
すると彼はすぐにやって来た。飲み物をきちんと持って。
「マイン、どうぞ」
「ありがとうございます、ヴィル様」
ヴィル様が私に微笑んだあとに、表情を冷たく変えてペディット子爵令嬢を見下ろす。
「彼女、ペディット子爵令嬢なんですって」
ヴィル様なら知っているかしら、彼女の家の派閥。
「……離れた場所からマインを見ていたよ。彼女がマインに向かってワインをかけることもね」
「……!」
「あら、手が滑ったなんて言っておいて」
「くだらない言い訳だ。そんなものが通るわけがない」
おお、ヴィル様が冷徹な態度と言葉を口にするのは、逆に新鮮。
戦場で出会ってからこっち、紳士対応しかされていなかったもの。
「しかし……」
「どうかされました、ヴィル様」
「……ペディット子爵家といえば、ブランシー公爵家の寄子だね」
「……まぁ」
そこかぁ。さっきまで友好的……でもない態度だったブランシー公爵令嬢。
よりによって、その派閥の子がやらかすとは。
「私のドレスを汚させてどうしたかったのかしら」
「彼女に利点があるとは思えないが……。家同士というより令嬢同士のやり取りかな」
確かにブランシー公爵が圧力をかけて子爵家を動かしたなんて大げさな感じはなさそうだ。
それは流石に止めるだろうし、やる気があるなら、もっとちゃんとした嫌がらせをするだろう。
「嫌がらせがしたいにしても、彼女はそこまで浅はかではないと思いますね」
なんたって現生徒会長だもの。
「もしかして脅されているのかい? ペディット子爵令嬢」
「……!」
あら。ヴィル様の冷徹モードが解除されて紳士モードに切り替わったわ。
「マロット家とブランシー家の間で諍いを起こすように画策した者がいるんじゃないかな」
「あー……」
なるほど! そっちの方が納得するわね。
ブランシー公爵令嬢が犯人だったとすると微妙だもの。
「わ、私は……!」
さっきまでとは一転、ウルウル上目遣いをヴィル様に向けるペディット子爵令嬢。
カーッ! いやしか女ばい! この場で足をひっかけて転ばせるわよ!
「だが、俺は君の表情も観察していた。君は嬉々としてマインにワインをかけていたな」
ヴィル様に今にも縋りつきそうにしていたペディット嬢の足がピタリと止まる。
あらあら。
「そ、そんなことは……」
「裏に何者がいるのか知らないが、ブランシー家とも話し合う必要がありそうだ」
「ま、待って……その」
「悪いが、もう君に用はない。それとも大きな騒ぎになった方がいいか? 騒いだところで君には、なんの得にもならないと思うが。両家からの処分を大人しく待つがいい。それが最も傷が浅く済むだろうね」
「…………」
ガクリと肩を落として、フラフラと立ち去るペディット嬢。
「なんだったのかしらねぇ」
「黒水晶一派と関係があると思うかい?」
「いえ、流石に……」
そこまではないと思うけど。私にワインをかけてどうなるって言うのか。
「ヴィル様、それよりもありがとうございます」
「マイン一人でも十分に対応できていたよ」
「ふふ、それでもです。ヴィル様もあんな顔をなさるんですね」
「……その、嫌われたかな」
「まさか! 格好良かったですよ」
「そ、そうか」
意外な、でもないか。普段は見ない彼の表情を見られた分だけお得なイベントだったわね!
そのあと、いつまでも小さな騒ぎに気を取られてデビュタントを楽しめないのは嫌なので、適度に解決への道筋を整えてから、あとで処理することにした。
ヴィル様ともう一度ダンスを踊って、楽しくパーティーを終えられたと思う。
私のエスコート役がヴィンセント殿下ではなくヴィル様だったことを目撃した者は多くいる。
はたして、このことが社交界にどう影響を出すか。
後日。
「マイン、先日のデビュタントで問題のあったペディット家の令嬢だけれど」
「はい、お母様」
一応、追加調査というか処理は親任せにしていた。
「アイゼンハルト小侯爵の見立て通りみたいね」
「ということは?」
「ブランシー公爵令嬢は関係ないわ。ペディット嬢が交際している相手に唆されて動いたみたい」
「交際相手?」
「あのパーティーにも出ていたらしいのだけれど。家門すら名乗っていない男だそうよ」
「ええ……?」
何それ。
「身元不明の男性と恋仲になっていて、それに唆されて私にワインをかけた?」
「そうなるわねぇ……」
「その男性は」
「それがわからないみたい。雲隠れというか、姿を見せなくなったそうだから」
一気に陰謀めいてきたー!? たかがワインかけに! どこまでも手間のかかることを!
もう自分でワインをかけに来なさいよ、何者か!
「ただ、おかしいのが彼女の周りの使用人たちの証言が一致していないみたいなのよねぇ」
「証言が一致していない、とは」
「その交際相手の容姿がね。バラバラだそうなの」
なんだそれは。……もしかして変化の術?
西遊記系ギフテッドは、もはやデフォルトで備わっている節もある。
多くの西遊記キャラが、孫悟空ほどではなくとも人間に化けることがあるのだ。
その中の誰か、かしら。
「娘のデビュタントに余計なことをしようとした分の責任は取らせるつもりだけど」
「別にそこまで苛烈な罰は必要ありませんよ。ワインは一滴もかかりませんでしたから」
「そう?」
「ええ、まぁ、甘すぎると舐められない程度で」
「わかったわ」
さて。こういうことは日常茶飯事なのが社交界というものかもだけど。
モヤっとしたことが起きたものねぇ。
まぁ、今回はヴィル様のレアな表情を見られたということで。
プラス収支かしらね! ふふ。
ちょっとした短い話、投稿しました!
【悪役令嬢のゲーム実況!】
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