133 鼉竜の精
黒水河の川上を辿って筋斗雲を飛ばすと山中に入る。
当たり前だけど日本ほど山道が整備されていることはなく、原因を探ろうと地上ルートから川辺を辿ろうとしても、どこかで無理が生じるだろう。
私は筋斗雲で空から川を辿れるから余裕があるだけだ。
「見つけた!」
黒く染まった川の流れ。
だが川を辿ってくると、ある地点からそれが発生しているのがはっきりとわかる。
おそらく西遊記の舞台、黒水河はもっと幅が大きいものだろう。
だが、ここの場所の川はそこまでじゃない。日本の河川と似たような規模だ。
「でも、滝の途中から? まさかあれは」
流れる滝があり、その滝の途中から水が黒くなっているのだ。
これはやっぱり滝の裏に洞窟があるとか、そういうやつでは?
孫悟空の故郷、花果山の水簾洞のように!
「避水訣!」
如意棒を持たない方の手の指で印を結び、法術を発動する。
水のエネルギーを退ける秘法だ。
火眼金睛、その他ギフトによる能力補正は全開にしておき、そのまま滝の裏へ飛び込んでいく。
「ぁあああ!」
これで岩に激突するだけだったらどうしよう!
そんな恐怖心を抑え込みつつ、突撃してみる。
すると滝を通り抜けた先に本当に洞窟が存在し、私は岩肌にぶつからずに済んだ。
「きゃああ!」
ぶつからなくてよかったけど、それはそれとしてやっていることはジェットコースター!
金剛不壊の肉体だから怪我はしないでしょうけど、怖いものは怖い。
洞窟の中は滝の向こうからの光だけでなく内部で灯りが灯されている。
人の手がすでに入っている様子だ。ただし人の気配は感じない。
「ここは……」
西遊記に出てくる敵地のように親切に場所の名前を彫った看板はない。
人の手が入っている部分は中国寄りではなく西洋風……というか、今世のこの国の物だ。
異世界から紛れ込んだ妖怪たちが悪さをしているのではなく、あくまでこの世界の人間が何かを企んでいる証拠。
筋斗雲に乗ったまま洞窟の奥へと進むと、そこには小規模な神殿、いえ、これは。
「……祭壇?」
そうとしか思えないものがあった。もしや、黒水晶を祭っているのかと思ったけど、そんなことはなく。その代わりに確かな気配を感じた。
「そこにいるのは誰!?」
私は如意棒を構え、筋斗雲から飛び降りる。
なんだかんだ雲捌きには慣れてきたものの、動きやすいのはやっぱり地に足をつけた状態だ。
気配の先に目を凝らす。祭壇のある空間は、ちょっとした広さがあるわ。
それこそ……。
「……! 貴方は」
私は形にしかけた言葉を飲み込み、眼前に現れた存在に注視する。
姿を見せたのは爬虫類系の鱗に覆われた存在だった。
二足歩行をしているし、手足に鎧らしきものも纏っている。
獣人化したギフテッド? 顔は人間の顔ではない。
〝ワニ〟の顔と体をしているが、背中に大亀の甲羅を背負っている。
手には鉄製の鞭らしき物。
ビジュアルで判断するのは難しい私だけど、これは間違いなく鼉潔のギフテッド。
原典では沙悟浄が対峙するはずの敵だ。
「アンタがこの黒水河の原因ね!」
『…………』
呼びかけるも鼉潔は返事をせず、代わりとばかりに鉄の鞭を構える。
『グルルゥ……』
「え」
口から洩れた声は人間の吐息というより動物のもの。
もしかして、こいつ?
『グルァ!』
「きゃっ!」
鉄の鞭が振るわれる。私はその攻撃を反射神経と身体能力を頼りに大きく躱した。
武人がギフトを授かったタイプなら厄介だけど。
こいつはどうもラグナ卿や『黒風大王』ルドロフとは別に感じる。
例の如く獣人化と武器の召喚がセットのスタンダードエネミータイプのギフト。
確かに人が授かったなら、一端の兵として使えるギフトにはなりそうだけど。
「ちょっと、話を聞いている? あんた誰!?」
『ァアアアッ!』
これだ。理性がないというより、元からそういう存在かのよう。
……ギフテッドじゃなく、黒水晶を埋め込まれた〝器〟パターン?
ヴィルヘルムがその標的にされるところだったアレよ。
名実ともに優れたヴィルヘルムは〝器〟として素晴らしいものがある。
そのため、おそらく敵が保有している中でも高位の力を持っていたであろう猪八戒のギフトを彼の〝死体〟に埋めようとしていた。
だけど、それをやるにしたって、いくらなんでも鼉潔はマイナーキャラすぎる。
西遊記ファンでも、そうそう名前を挙げる敵キャラじゃない。
どうにも。よく観察すれば、祭壇の様子もどこか埃を被っている。
「……捨てられたギフト?」
『ァアアアアッ!』
私がその結論に達すると同時にさらに鼉潔の攻撃は激化する。
如意棒を鉄の鞭に合わせて打ち合うも、その動きが変則すぎて絡めとられそう。
ただ、ラグナ卿ほどの脅威は感じない。技術もあってないようなもの。
原典では沙悟浄と打ち合って手強いと評された敵だったけど。
それはそれとして援軍にあっさりと負けて拘束される程度の存在。
とにかく、そこまで強いイメージはない。
「くっ……!」
なのだけど! 現実に相対しているのは、あくまで私だ。
いかに能力がギフト込みで上回っていたとしても。
鉄の鞭という変則的な武器の動きに、そう簡単に対応できるかというと微妙!
強敵ではない。パワー負けもしていない。でも技術力という私個人の問題が弱点!
「いつものことすぎる!」
『……!』
案の定、如意棒に鉄の鞭が絡みつく。
強く引っ張られ、あわや如意棒を奪われんとしたけれど。
「はぁああッ!」
生憎と私が行使できるのは如意棒だけではなく、孫悟空の剛力もだ。
単純な力の駆け引きとなったならば、孫悟空の力がそこらの相手に負けることはない!
『ァアアアアッ!』
思いきり引っ張り、鉄の鞭ごと鼉潔を洞窟内壁面に叩きつける。
そうそう、この空間。さっき口にしかけたのだけれど。
いかにも『ボス戦のフィールド』っぽい空間なのよね!
祭壇はせいぜい背景でドーム状の形と手頃な広さ。
これみよがしにここでバトルしてください感がすごいわ。
『グルウ……』
勢いのまま、鉄の鞭を手放した鼉潔は、もうその時点で私の敵とは言えまい。
なにせ、こちとら孫悟空のギフテッドなのだ。
「最後のチャンスよ、貴方は誰?」
如意棒に巻きついた鉄の鞭を振り落とし、壁に打ちつけられて動きを止めた鼉潔に如意棒の先を突きつける。
濁った眼をしたワニの顔には絶望も嘆きも、怒りすらもない。
問われた言葉に対する反論もなく、黙ったまま。
「……NPCみたい」
ゲーム的に考えすぎだろうけど、これはちょっと。あまりにも人間性を感じられない。
かといって魔獣なのかというと、そこまで野性の脅威も感じないわ。
近いのはアイゼンハルトの湖に出てきた量産型バンシーね。
あれもおそらくギフトで生み出された産物だと思う。こいつもきっと似たようなもの。
意識を集中し、鼉潔の姿を観察すると、やはり胸のところにキラキラと光るものが視えた。
「ハァアアア……ハッ!」
如意棒をブンブンと振り回してから、その勢いで光る胸の部位を突く。
すると、如意棒はあっさりと鼉潔の体を貫いた。
手応えがあった先には、やはり黒水晶が。そして。
『……ァア』
短く、小さな断末魔を囁きながら、鼉潔の体が崩れ落ちていく。
残ったのは……骨だ。それも人間の骨というより、それこそワニの骨みたい。
体は崩れ落ち、骨になり、転がり落ちた黒水晶は如意棒の突きによってヒビ割れた。
「……討伐完了ね」
この手応えからして、たぶん以前のバンシー扱いだと思う。
つまり緊箍児の発動には触れないんじゃないかしら。
私は緊箍児の発動に怯えつつ、ヒビ割れた黒水晶を拾い上げる。
まだ中の黒いモヤが残留しているけれど、こうなっては動かないだろう。
これもフィナさんが浄化できるか確かめてみないと。
改めて祭壇に目をやるけれど、やっぱり埃を被っているみたい。
手入れが長くされていない。それでも灯りが……それは今世のインフラの問題か。
本当に影が薄いんだけど、今世、ちゃんと魔法が存在するからね。
主に生活魔法が利用されている。つまり前世のインフラ部分だ。
つまり灯りがついていたのは、その生活魔法が込められた道具のせい。
自家発電機つきのライトが設置されていたようなものよ。
要するに、この場所は長い間捨てられていた場所ってこと。
「……哀れね」
鼉潔には、廃棄済みの実験動物みたいな気配を感じる。
こういう実験を済ませた結果、ヴィルヘルムが狙われたんじゃないかしら。
私は鼉潔の死体に手を合わせつつ、骨を拾っておく。
「七十二変化、変われ!」
拾った木片を風呂敷に変化させ、鼉潔の骨を包んでから筋斗雲に乗る。
「避水訣!」
再び水除けを貼りつつ、洞窟を出て滝の外へ。
期待したのだけれど、鼉潔を倒しても川の汚染に変化がない。
どうやら黒幕の退治だけでは解決しない問題みたい。
「やっぱり『聖女』の助力が必要なのね」
孫悟空のパワーだけでは解決させてくれない世界観というわけだ。
私は骨を包んだ風呂敷を担ぎ、再びフィナさんの捜索に戻る。
少し遠くではヴィンセント殿下のギフト効果が薄れたのか。
とうとう領地戦が始まる声や音が聴こえてきた。




