喜びに囚われて
アルズは思考が追いつかなかった。
「どうして……ここに……」
「どうして?」
ベルデは小さく首を傾げる。
「私は風の加護を受けているのよ? ここにいても何もおかしくないでしょう?」
その笑みは柔らかい。
だが、その瞳の奥には得体の知れない熱が宿っていた。
「魔女様のことだから、あなた達をここへ向かわせると思っていたわ」
ベルデは嬉しそうに微笑む。
「ずっと待っていたのよ」
フィリアが一歩前へ出た。
「アルズを監視して、何が目的なの?」
その声には怒りが滲んでいる。
「監視?」
ベルデはくすりと笑った。
「そんなつまらないことに興味はないわ」
ゆっくりと腕を広げる。
「魔王様があなた達を気にかける理由なんて知らないし、知りたくもない」
ベルデの視線がアルズへ向く。
「私はただ――遊びたいだけ」
ゾクリ。
その一言に、アルズの背筋を冷たいものが走った。
「さぁ……喜びを感じさせて」
バサァッ!
巨大な翼が広がる。
神殿内に暴風が吹き荒れた。
「くっ……!」
アルズは踏みしめた足を滑らせながら後退する。
その時。
「(アルズ、聞こえる?)」
意識の中にフィリアの声が響いた。
「(私達はセフィラさんの修行を乗り越えたんだから。大丈夫だよ)」
アルズは小さく息を吐く。
「(ああ。支援を頼む)」
「(任せなさい!)」
フィリアは両手を胸の前で交差させた。
「フェアディゲン!」
淡い光がアルズを包み込む。
身体が軽くなり、防御力が高まった。
「さぁ、いらっしゃい」
ベルデは微笑む。
「私を楽しませて」
アルズは剣を構えた。
「いくぞ!」
地面を蹴る。
一瞬で距離を詰める。
「たぁぁぁっ!」
ウィンクルムソードが閃いた。
だが。
シュッ――
ベルデの姿が消える。
「遅いわね」
声は背後から聞こえた。
「!?」
「魔女様から何を教わったのかしら?」
アルズが振り向くより早く、
ベルデの爪が心臓を貫こうと迫る。
「じゃあね」
ベルデは笑っていた。
「来世でまた遊びましょう」
バァン!!
透明な障壁が現れた。
ベルデの爪が弾かれる。
「なに……?」
ベルデが振り向く。
そこにはフィリアが立っていた。
「私を忘れてない?」
フィリアは睨み返す。
「幹部でも油断するのね」
ベルデは数秒沈黙した。
そして。
「ふふっ」
笑った。
「いいわ」
翼を広げる。
「二人まとめて遊んであげる」
ベルデは宙へと飛ぶ。
「耐えられるかしら……」
翼を動かし暴風を巻き起こす。
「アルズ、こっちへ来て!」
「了解!」
アルズはフィリアのもとへ行った。
「ミュール!」
目の前に魔法障壁が現れる。
ゴォォォ!
暴風が二人に襲いかかる。
魔法障壁は辛うじて耐えていた。
「くっ……」
「フィリア、大丈夫か!」
その様子を見ていたベルデは微笑んでいる。
「どう? 喜びは感じてるかしら?」
フィリアは魔力が足りるか不安になった。
「アルズ……お願いが……」
アルズはマジックボックスから血の入った小瓶を取り出し、フィリアの口元に差し出した。
「フィリア、口を開けて。魔力を回復だ」
「どうして……わかったの……?」
「フィリアのことは大体分かるよ。ほら、飲んで」
ゴクッ
「やっぱり最高だわ! ありがとう、アルズ」
「フィリア、ここからは意識に話しかけるよ」
「うん」
「(父さんから聞いたことがあるんだ。台風の目……)」
「(台風の目?)」
「(そう。暴風は渦を巻きながら向かってきている。きっと中心は、それほど激しい風ではないはずだ)」
「(どうするの?)」
「(今からウィンと共鳴する。もう少しだけ耐えてくれ)」
「(わかったわ)」
「(合図を出したら一瞬だけ魔法障壁を解除して欲しいんだ。一瞬だけでいい)」
「(気を付けてね……アルズ……)」
「(あぁ、始めるぞ!)」
アルズはウィンクルムソードと共鳴を開始した。
セフィラの修行のおかげか、すぐにウィンクルムソードはアルズの振動に応えてくれた。
「(よし! フィリア、今だ!)」
「(おっけぇぇい!)」
一瞬だけ魔法障壁が消える。
消えた瞬間を狙ってアルズは地面を蹴り上げベルデに飛びかかる。
アルズは暴風の中を駆け抜けた。
ベルデは気付いていない。
(コアはどこだ……)
集中する。
視界の奥に光が見えた。
(あった!)
ベルデの胸元。
そこに確かにコアが存在していた。
だが――
次の瞬間。
アルズの表情が凍り付く。
(……なんだ……これ……)
一つじゃない。
もう一つ。
ベルデの中に、
まるで寄り添うように存在していた。
(コアが……二つ……?)
信じられなかった。
あり得ない。
コアは一つのはずだ。
なのに。
確かに二つある。
「っ!」
ベルデが気付く。
アルズは反射的に剣を振った。
ベルデは間一髪で回避する。
剣から放たれた衝撃波が天井を突き破った。
「危なかったわ」
暴風が止まる。
フィリアも障壁を解除した。
「アルズ!」
「大丈夫!?」
「……ああ」
だがアルズの視線はベルデから離れない。
「どうしたの?」
フィリアが尋ねる。
アルズは困惑した表情のまま答えた。
「コアが……二つあった」
「えっ!?」
フィリアの顔色が変わる。
「そんなこと……あり得ないわ」
「俺もそう思う」
アルズは剣を握り直した。
「でも確かに見えたんだ」
ベルデはそんな二人を見ていた。
そして。
嬉しそうに笑った。
「気付いたのね」
「加護は精霊から授かる」
ベルデは祭壇へ歩く。
「それくらいは知っているでしょう?」
フィリアが眉をひそめる。
「それがどうしたのよ」
ベルデは振り返らない。
「では質問よ」
静かな声だった。
「その精霊は――どこにいるのかしら?」
二人は祭壇を見る。
誰もいない。
気配もない。
風だけが吹いている。
沈黙。
ベルデが振り返る。
その顔には、
今までで一番美しい笑みが浮かんでいた。
そして。
どこか壊れていた。
「やっと気付いた?」
翼がゆっくりと広がる。
神殿全体に風が舞う。
「そう」
ベルデは胸に手を当てた。
「私が風の後継者」
「風を継ぐ者」
「ベルデ・ビエント」
アルズとフィリアは言葉を失った。
否定したかった。
認めたくなかった。
風の神殿。
精霊。
加護。
その全てが、
音を立てて崩れていく。
吹き抜けとなった天井から、
優しい風が流れ込む。
まるで傷付いた二人を慰めるように。
静かに。
どこまでも優しく。




