歓喜の翼
朝の日差しは昨日よりも強さを増していた。
森を吹き抜ける風にも、どこか夏の気配が混じり始めている。
「アルズ、フィリア。気を付けて行くのじゃ」
小屋の前で、セフィラが穏やかな笑みを向けた。
「はい。行ってきます」
「必ず戻ってきます!」
昨晩、セフィラの手料理を囲みながら過ごした時間のおかげか、二人の表情には疲れも迷いもなかった。
「うむ。しっかり風を感じてくるのじゃ」
その言葉を胸に、アルズとフィリアは森へ歩き出した。
「えっと……風の神殿はここから南ね」
フィリアはセフィラから渡された地図を確認しながら呟く。
アルズはそんな彼女の横顔を見つめていた。
「……フィリア」
「ん?」
「ありがとう。ついて来てくれて」
気付けば、自然に言葉が零れていた。
ここまで来られたのはフィリアがいたからだ。
一人なら、きっと途中で立ち止まっていた。
けれど彼女は、何度もアルズの背中を押してくれた。
「な、何よ急に」
フィリアは少し照れたように視線を逸らす。
「約束したでしょ? それに……私も知りたいの。この世界のこと。アルズのことも」
真っ直ぐな言葉だった。
アルズは静かに頷く。
「……たぶん、長い旅になる」
「うん」
「でも、フィリアのことは必ず守る」
その声には迷いがなかった。
フィリアは一瞬、胸の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
「あ、ありがとう……」
頬が熱い。
けれど、それ以上に嬉しかった。
「私だってセフィラさんに鍛えてもらったんだからね。そう簡単にはやられないわよ」
「そうだったな。無詠唱魔法の使い手だ」
フィリアは腰に手を当て、得意げに胸を張る。
「そうよ! もう落ちこぼれなんて言わせないんだから!」
アルズは少しだけ視線を逸らした。
「(……あれ?)」
フィリアは目を瞬かせる。
いつも張り詰めていたアルズの表情が、ほんの少しだけ柔らかく見えたのだ。
「……どうした?」
「う、ううん! なんでもない!」
フィリアは慌てて首を振った。
しばらく歩いても、景色はほとんど変わらなかった。
幸い、モンスターの姿もない。
「あってるわよね……?」
「大丈夫だ。目印も置いてきてる」
「さすがアルズね」
その時だった。
木々の隙間から、巨大な建造物の一部が見えた。
「アルズ! あれ!」
「あれが……」
二人は足を速める。
森を抜けた先に現れたのは、巨大な神殿だった。
壁一面に木の枝が絡みつき、長い年月を感じさせる。
中央の階段の先には、巨大な石扉。
「すごい……」
「ここが風の神殿……」
フィリアは地図を見ながら頷く。
「入口で手をかざせば開くって書いてあるわ」
二人は扉の前へ立った。
そっと手をかざす。
瞬間――
中央の紋章が緑色に輝いた。
ゴゴゴゴ……
重い音を響かせながら、石扉がゆっくり開いていく。
中から優しい風が流れ出た。
「間違いないな」
「慎重に行きましょ……」
二人は神殿の中へ足を踏み入れた。
内部は薄暗く、静まり返っていた。
長い通路。
左右に並ぶ無数の柱。
足音だけが不気味に反響する。
「涼しい……」
「私はちょっと寒いわ……」
アルズは周囲を見回した。
「このまま真っ直ぐか?」
「たぶんね」
二人は慎重に歩き出す。
だが――
妙だった。
モンスターの気配が一切ない。
静かすぎる。
「……なんか嫌な感じ」
「怖いのか?」
「べ、別に怖くないわよ! ただ静かすぎるっていうか……」
「確かに」
アルズも違和感を覚えていた。
しばらく歩いたその時。
「……あれ?」
フィリアが立ち止まる。
「この石像……さっきも見なかった?」
気味の悪い笑みを浮かべた石像。
確かに見覚えがある。
「まさか……」
二人はセフィラから貰ったパンをちぎり、石像の前へ置いた。
さらに歩く。
十分ほど進んだ頃――
「……まただ」
そこには同じ石像。
足元には、置いたはずのパン。
「同じ場所を回ってる……!?」
「迷路ってこと……?」
フィリアが顔をしかめる。
アルズは周囲を見渡した。
だが異変は見つからない。
「どうなってるんだ……」
二人は石像の前へ腰を下ろした。
沈黙が流れる。
「んあぁー! どうすればいいのよぉ!」
フィリアが頭を抱える。
その時――
「……フィリア、静かに」
「え?」
ヒュー……
微かな音。
「聞こえたか?」
「何も……」
ヒュー……
アルズはゆっくり立ち上がった。
「風の音だ」
「風……?」
耳を澄ませる。
微かな風鳴り。
アルズはその音を頼りに歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待って!」
フィリアも慌てて追いかける。
ヒュー……ヒュー……
音は少しずつ大きくなる。
「……ここだ」
積み上げられた石壁。
その隙間から風が漏れていた。
「この先に空間がある」
「本当に……?」
「風がおしえてくれたんだ」
アルズ自身、なぜそう確信できるのか分からなかった。
けれど。
風が導いている。
そんな感覚が確かにあった。
「フィリア、下がってて」
「う、うん」
アルズはウィンクルムソードを構えた。
呼吸を整える。
そして――
「たぁぁぁっ!!」
ドォォォン!!
剣撃が石壁を粉砕した。
砕け散った瓦礫の向こう。
隠された通路が姿を現す。
「すごい……」
「行こう」
二人は狭い通路へ入っていった。
しばらく進むと、前方に光が見えてくる。
その先にあったのは、小さな部屋だった。
中央には、一体の女神像。
両手を広げ、満面の笑みを浮かべている。
「……綺麗」
「楽しそうだな」
像を見ているだけで、不思議と心が軽くなる。
まるで“喜び”そのものを形にしたようだった。
「なんだか安心するね」
「あぁ……少し休もう」
アルズが腰を下ろそうとした時だった。
「……?」
女神像の奥。
緑色に輝く扉が見える。
「扉だ」
「きっとあの先ね!」
二人は近付いた。
アルズが手をかざす。
扉は静かに開いた。
その先は、巨大な空間だった。
高い天井。
吹き抜ける優しい風。
奥には祭壇が見える。
「ここで加護を……」
アルズが一歩踏み出した瞬間――
ゾクリ。
全身に悪寒が走った。
「……っ」
「アルズ?」
「嫌な気配がする……!」
次の瞬間。
「フィリア!!」
アルズは咄嗟にフィリアを抱き寄せ、地面へ飛び込んだ。
ブォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が頭上を通過する。
「きゃあっ!」
轟音が神殿内へ響き渡った。
「……やっと」
女の声。
天井からだった。
「やっと来てくれたわぁ……」
巨大な翼を広げた女が、ゆっくり降下してくる。
その姿を見た瞬間――
アルズの顔色が変わった。
「……ベルデ……!」
信じられなかった。
まさか神殿で遭遇するなど。
ベルデは恍惚とした笑みを浮かべる。
「待ちくたびれたわぁ」
歓喜に満ちた瞳。
歪んだ喜び。
「さぁ――」
翼が大きく広がる。
「喜びを分かち合いましょ?」
ベルデの口元が歓喜に歪んだ。




