感情の許可
チュンッ、チュンッ――。
鳥のさえずりが、新たな朝の訪れを告げていた。
窓から入り込むやわらかな風が、部屋の空気をゆっくりと巡っていく。
カーテンがふわりと揺れ、その隙間から差し込む光が、まぶたの奥をやさしく叩いた。
「……んんっ……」
アルズは小さく息を漏らし、背伸びをする。
ゆっくりと目を開け、天井を見つめた。
「……強くならなきゃ……」
昨晩のことが、静かに脳裏に蘇る。
クレールから聞いた話。
『ルミナス・グローデン』という人物。
その先にある、自分の真実。
(そこに辿り着くまでに――)
拳を、そっと握る。
(フィリアを守れるくらいには、強くならないと)
いつ、魔王の幹部が現れてもおかしくはない。
「風の神殿か……」
天井を見上げたまま呟く。
「加護を受けたヒューマン……誰なんだ……」
ふと、違和感に気付いた。
「……そういえば」
いつもなら、フィリアがドアを叩いて起こしに来る時間だ。
だが、今日はその気配がない。
胸の奥に、嫌な予感がよぎる。
――まさか。
「フィリア!」
アルズは勢いよくベッドから飛び起き、部屋を飛び出した。
廊下の先――
そこにフィリアの姿があった。
リサとテラと、何やら楽しそうに話している。
「……はぁ」
思わず、力が抜けた。
フィリアがアルズに気付き、手を振りながら駆け寄ってくる。
「アルズ! おはよう!」
「あぁ……おはよう……」
アルズは軽く手を上げて応じた。
「なに? まだ寝ぼけてるの? 早く顔洗って着替えてきなさいよ」
「わかったよ」
素直に頷き、部屋へ戻る。
支度を終えて廊下に出ると、フィリアが待っていた。
「よし! よくできました!」
子どもを褒めるような口調に、アルズは顔をしかめる。
「なんだよ、それ……」
「さぁ、クレールさんに挨拶して森に戻るわよ」
「では、行こうか」
テラが歩き出し、一行はその後に続く。
「歩きながらでいい。聞いてくれ」
テラが静かに口を開いた。
「私とリサは婚約を結んでいる」
「近いうちに結婚式を行う予定だ。……よければ、アルズとフィリアにも出席してほしい」
少しだけ照れたように言うテラに、リサが顔を覗き込む。
「来てくれるでしょ? 一緒に喜びを分かち合いましょ!」
「アルズ、私も結婚式見てみたい!」
フィリアの目は、きらきらと輝いている。
「……でも、別種族が参加しても大丈夫なのか?」
アルズはふと、不安を口にした。
エルフの掟が頭をよぎる。
「問題ない」
テラははっきりと言った。
「エルフは喜びを分かち合う種族だ。大自然の中で行う式は素晴らしいぞ」
その表情には、心からの喜びが溢れていた。
(……誰かと喜びを分かち合う、か)
アルズは小さく息を吐く。
そして――
「……わかった。参加させてもらう」
「アルズ、ありがとう」
テラが穏やかに頷く。
「やったぁ!」
フィリアが両手を上げて喜ぶ。
「よかったね、フィリア」
リサがウィンクを送った。
「式の日程はまた知らせる。それまで、この領にいてくれると助かる」
「――着いたぞ」
気付けば、大きな扉の前に立っていた。
ゆっくりと扉が開く。
アルズとフィリアは玉座の前に進み、片膝をついた。
「おはようございます。どうぞ、お直りください」
クレールの優しい声が、静かに響く。
「おはようございます。昨晩はありがとうございました」
フィリアが頭を下げる。
「いえ。料理がお口に合ったようで何よりです。……もう、森へ戻られますか?」
「はい。おかげで、目指すものが見えてきました」
アルズはまっすぐに答えた。
「それは良かった」
クレールは微笑み、側近に目を向ける。
「こちらを、お二人に」
差し出されたのは、小さなブレスレットだった。
「これは……?」
「生命の樹の枝で作ったものです。片方に危険が迫ると、もう片方が教えてくれます」
「お二人は仲が良いように見えましたので」
「ちょ、ちょっと!?」
フィリアの頬が赤くなる。
「仲間です! 仲が良くて当然です!」
「失礼しました」
クレールはくすりと笑った。
アルズは右手首にそれをつける。
フィリアも同じように、右手首に通した。
「では、そろそろ」
アルズが頭を下げる。
「お気を付けて。……それと」
クレールの視線が、アルズを真っ直ぐ射抜いた。
「アルズ。あなたは感じていないのではありません」
「感じることを、自分に許していないのです」
その言葉に、アルズの思考が止まる。
「……許す……」
「どうか、内側から湧き上がる感情を、拒まないでください」
「……意識してみます」
深く一礼し、二人はその場を後にした。
町へ出ると、そこには笑顔が溢れていた。
「めでたいなぁ!」
「飾りの準備しないとね!」
「こんなに嬉しいことはない!」
あちこちから、喜びの声が響く。
「みんな、幸せそうだね」
フィリアが自然と笑顔になる。
「……そういうものなのかもな」
アルズは静かに呟いた。
「もぅ、アルズったら。幸せって、分けてもらうものでもあるのよ?」
「分けてもらう……か」
「きっとね、アルズのお父さんとお母さんも、こんなふうに笑ってたと思う」
フィリアは迷いなく言い切った。
「……まだ全部受け止めるのは難しいよね。でも、大丈夫。少しずつでいいの」
「私もいるから」
「……フィリア、ありがとう」
アルズは拳を握る。
「最初は怖かった。でも今は――会いたいと思ってる」
「本当の父さんと母さんに」
「最後まで付き合ってくれるか?」
「もちろん!」
フィリアは満面の笑みで答えた。
森へと足を踏み入れる。
小屋の前には、セフィラが立っていた。
「おぉ、戻ったか」
「ただいま戻りました!」
フィリアが手を振る。
「収穫があったようじゃのぉ」
「全部見てたんでしょ?」
「ほっほっほ、バレておったか」
セフィラは楽しそうに笑う。
「で、何を望む?」
アルズは一歩前に出た。
「風の神殿で、加護を受けたいです」
「うむ……」
セフィラは腕を組み、しばし沈黙する。
「よかろう」
「ただし――七日じゃ。その間にワシの課題を越えてみせよ」
フィリアを見る。
「お主はどうする?」
「行きます! アルズの力になりたい!」
「よい覚悟じゃ」
セフィラは頷いた。
「では二人とも、試練を受けよ」
「はい!」
声が重なる。
アルズがもう一歩踏み出す。
「セフィラさん……もう一つだけ」
「なんじゃ?」
「ヒューマンで唯一、加護を受けた人物……誰なんですか?」
セフィラは、わずかに目を細めた。
「……今はまだ早い」
「その答えは、試練の先にある」
「……わかりました」
アルズは静かに頷く。
焦りを押し込み、深く息を吸う。
――今、やるべきことは一つ。
目の前の今に、すべてを向けること。
その決意は、静かに、だが確かに――
彼の内側で、動き始めていた。




