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少年兵と、灰と青  作者: いちご牛乳
灰の東京
14/14

持って行ったこと

6月22日の更新に合わせて、ここまでの話を全面的に改稿しました。

よろしければ1話からお読みいただければ幸いです

死亡確認票は二通あった。


片瀬志保。


片瀬晴人。

八歳。


高橋は、給水点の照会票を机の中央へ置いた。


その横に、灰犬の連絡員が運んできた二枚を並べる。


秋人は椅子へ座ったまま、紙の間を見た。


昭栄公園指定給水点。

西荻北申告。

登録番号未確認。


片瀬志保。

片瀬晴人。

八歳。


発熱申告。

医療票なし。

給水点予備より二百ミリ。

救護担当判断。

西荻北医療区画へ案内。


同行外一名申告。

氏名未確認。

状態未確認。

次回連絡便で再照会。


容器番号と数量の欄には、水原の字が残っていた。


数字の桁が揃っている。


照会先という欄だけ、後から右端へ足されている。


水原は桃井第二へ戻っていた。


給水記録の控えと、照会欄だけが荻窪に残っている。


高橋が死亡確認票を一枚ずつ読んだ。


確認場所。

善福寺川方面帰路。


確認者。

灰犬隊員二名。


成人立会人。

一名。


所持品。


片瀬志保。

蓋のない鍋、一。

布袋、一。


片瀬晴人。

所持品なし。


死亡時刻。

確認できず。


死因。

確認できず。


第三者関与。

確認できず。


「給水点で会った二人と同じだと思いますか」


高橋が聞いた。


秋人は志保の票を見た。


蓋のない鍋。


給水点では、志保が両腕で抱えていた。


晴人の髪は汗で濡れていた。目を閉じたまま、母親の体へ寄りかかっていた。


「名前と、晴人の年齢は同じです」


秋人は言った。


「鍋も同じに見えます」


「顔は」


「給水点では見ました」


秋人は死亡確認票へ目を戻した。


「でも、確認された二人は見ていません」


高橋は頷いた。


「本人確認済みにはしません」


秋人は備考欄へ書いた。


昭栄公園指定給水点記録と照合。

氏名、年齢、所持品一致。

同一可能性高。

本人確認未了。


晴人の票にも同じ内容を書く。


発熱申告あり。


その次で手が止まった。


二百ミリ。


給水点で渡された量だった。


死亡確認票には、水の容器がなかった。


飲んだのか。

途中でこぼしたのか。

誰かへ渡したのか。

奪われたのか。


どれも書けなかった。


「水の容器がありません」


秋人が言った。


高橋は所持品欄を確認した。


「ありませんね」


「給水点では、小さい容器を渡されています」


「所持品なし、とだけ残します」


高橋は言った。


「なくなった理由は、今は分かりません」


秋人は頷いた。


二百ミリがあったから助かるとは、給水点でも誰も言わなかった。


二百ミリが足りなかったから死んだとも書けない。


渡した事実だけが、水原の記録に残っていた。


高橋は、別の用紙を出した。


未確認者照会票。


「同行外一名を、二人の死亡確認へ入れません」


片瀬志保申告。

同行外一名。

氏名不詳。

状態不明。

西荻北方面。

登録不明。


照会元。

昭栄公園指定給水点記録。


再照会先。

西荻北方面連絡担当。


「家族、と書きますか」


秋人が聞いた。


「書きません」


高橋は答えた。


「片瀬さんは、もう一人いる、とは言いました。家族だとは確認できていません」


秋人は関係欄を空けた。


志保の名前がある紙。


晴人の名前がある紙。


名前が分からない一人の紙。


三枚は重ねなかった。


校庭裏で、杭を打つ音がした。


こん。


少し間があって、もう一度。


小倉が職員室の入口へ来た。


袖を肘までまくり、手袋を片方だけ外している。


「杭が足りない」


理沙が後ろから入ってきた。


「杭だけではありません」


手には、校庭裏の区画図があった。


暫定焼却場所。

汚物袋一時置場。

医療ごみ。

生ごみ。

焼却不可。

濡れた可燃物。

灰受け。


「同じ場所へ置けないものが増えています」


理沙は図の線を指した。


「医療ごみと汚物袋は分けます。生ごみも別です。濡れたものをそのまま燃やせば、煙が増えます」


小倉が手袋を机へ置いた。


「分けるたびに場所がいる」


「混ぜれば、もっと水が要ります」


理沙は言った。


「手洗い。道具の洗浄。床を流す水。煙を吸った人へ回す水。火が広がった時の水」


校庭の受水槽は増えていない。


昭栄公園から運んだ水も、容器へ入った分しかなかった。


「鉄板かトタンが必要です」


理沙は続けた。


「一斗缶も。灰受けにします。ブロックと針金もあれば使えます」


三枝が窓際で区画図を見た。


「午後、確認に出る」


小倉が聞いた。


「どこへ」


「北側の半壊住宅と、閉店した金物店だ」


高橋が応急資材回収票を出した。


所在地。

建物種別。

所有者。

所有者確認状況。

危険度。

回収対象。

回収理由。

立会人。

搬出者。

搬出先。

返還可能性。


「所有者確認不能として仮管理します」


高橋が言った。


小倉は紙を見た。


「紙を出せば、家から持ってきていいのか」


「よくはなりません」


三枝が答えた。


「持っていく必要があるか現場で決める。持っていったら、場所と数を残す」


「戻すのか」


「戻せる形で残ればな」


小倉は何も言わなかった。


秋人は死亡確認票を机の端へ寄せた。


高橋が新しい任務票を置く。


成人責任者、三枝。

安全確認、榎本。

搬出、小倉、灰犬隊員一名。

記録補助、瀬戸秋人。


秋人の欄には、回収判断不可、と書かれた。


昼食後、五人で校門へ向かった。


盾は固定台にあった。


柏木は小倉とは別の成人門衛の横に立っていた。左腕には、警戒補助試行と書かれた灰色の布が巻かれている。


盾を持っていない。


戻ってきた人の手と荷物を見ている。


成人の門衛が秋人たちの任務票を確認した。


柏木は台車を見た。


「帰りは、それに載せるんですか」


「使える物があれば」


秋人が答えた。


「人が通る時、真ん中に置かないで」


柏木は門柱の内側を示した。


「戻ったら、先に声をかけて。通路を空けます」


門衛が柏木の言葉を聞き、頷いた。


「外へは出るなよ」


小倉が言った。


「出ません。ここから見ます」


柏木は門内に残った。


歩いて十分ほどの場所に、半壊した住宅が並んでいた。


道路の端には、貼紙が増えている。


危険。

倒壊注意。

水場ではない。

所有者確認中。

立入禁止。


手書きの紙もあった。


入るな。


盗るな。


まだいる。


榎本が最後の紙の前で止まった。


玄関は閉じている。


窓の内側に布が張られ、人影は見えない。


「ここは入らない」


小倉が紙を見た。


「本当にいるかは分からないぞ」


「分からないから入らない」


榎本は答えた。


秋人は回収票の余白へ書いた。


入口貼紙あり。

「まだいる」

立入せず。

再確認。


誰が書いたかは分からない。


今もいるかも分からない。


それでも、紙は家の外へ向けられていた。


次の住宅には貼紙がなかった。


玄関の扉が半分外れている。


庭の植木鉢は倒れ、土が流れていた。


郵便受けには、雨で膨らんだ紙が詰まっている。


表札は焼けていた。


苗字の下半分だけが残っている。


榎本が建物の傾きを見た。


屋根。

二階の窓。

外壁の亀裂。

玄関上の庇。


「外で待て」


秋人は道路側へ下がった。


榎本と灰犬隊員が中へ入る。


小倉は玄関へ近づかず、外れかけた扉と、脇に積まれたブロックを見ていた。


室内から足音がした。


濡れた畳を踏む音。


何かが棚へ当たる音。


「人影なし」


灰犬隊員の声がした。


少し後に、別の音がした。


爪が板を掻くような、小さな音だった。


「動物一」


小倉が顔を上げた。


榎本が先に出てきた。


その後ろから、灰犬隊員が猫を抱えて出る。


灰色の小さな猫だった。


毛色なのか、灰をかぶっているのか分からない。


片目が細い。


鳴かなかった。


隊員の袖へ爪を立て、離れないように体を縮めている。


「噛まれてないか」


榎本が聞いた。


「まだ」


「箱へ入れる。素手で顔へ触るな」


三枝は秋人を見た。


「回収票とは分けろ」


秋人は紙束から一時管理票を出した。


生体。

種別。

発見場所。

所有者確認。

外傷。

餌。

水。

管理者。


猫、一匹。

灰色。

所有者確認不能住宅内。

所有者、確認不能。

左目、異常疑い。

一時管理。


餌、水、要調整。


管理者欄は空けた。


猫の票を書いている間に、小倉が鉄製の扉を見た。


下の蝶番が外れ、上だけで斜めに残っている。


「仕切りに使える」


榎本が扉の向こうを確認した。


「外せば、玄関が開く」


「もう閉まらない」


「今より開くぞ」


小倉は手を離した。


道の反対側から、声がした。


「そこ、人が戻るかもしれないだろ」


杖をついた老人が立っていた。


腕章はない。


どこに住んでいるのか、秋人には分からなかった。


三枝が道路の中央まで出た。


「この家の人を知っていますか」


老人は壊れた玄関を見た。


「知らない」


「名前は」


「知らん」


「最後に見たのは」


「見てない」


「戻ると思う理由は何かありますか」


老人は杖の先を舗装へ当てた。


「家だからだ」


小倉は鉄の扉を見た。


猫を抱えた隊員は動かなかった。


老人が言った。


「盗るのか」


三枝はすぐには答えなかった。


焦げた表札。

濡れた郵便物。

倒れた植木鉢。

半分外れた扉。


「無主物ではありません」


三枝は言った。


「持ち主を確認できないだけです」


「じゃあ置いていけ」


「焼却場所の仕切りに使います」


「書けば持っていっていいのか」


「よくはなりません」


三枝は老人を見た。


「持っていったことを残します」


老人は秋人の紙へ目を向けた。


「残したら戻るのか」


誰も答えなかった。


扉は仕切りに使えば、同じ形では戻せない。


秋人は回収票へ書いた。


所有者、確認不能。

表札焼損。

郵便物判読不能。

人影なし、成人二名確認。


回収対象。

鉄製扉、一。


状態。

半脱落。


用途。

暫定焼却場所、仕切り材。


近隣者より、所有者帰還可能性の異議あり。

氏名確認できず。


返還可能性。

低。


記録、瀬戸秋人。


老人は、秋人が書き終えるまで見ていた。


小倉と灰犬隊員が扉を外す。


金属が軋んだ。


残っていた上の蝶番が曲がり、最後に短い音を立てた。


扉がなくなると、玄関の中が道路から見えるようになった。


老人は何も言わなかった。


ブロックは四個だけ回収した。


庭に積まれていた全部ではない。


次は閉店した金物店だった。


シャッターは半分開いている。


棚が倒れ、釘の箱が床へ散っていた。


入口の脇に店名が残っている。


帳簿もあった。


所有者名は読めた。


所在は分からなかった。


秋人は書いた。


所有者氏名、帳簿記載あり。

所在確認不能。


榎本と灰犬隊員が先に中を確認する。


「人影なし」


「燃料なし」


「薬品なし」


「弾薬なし」


小倉が一斗缶を一個ずつ持ち上げた。


底を見る。


側面の錆を見る。


水を入れる物ではない。


灰を受ける物だった。


「六個。二つは底が抜けてる」


秋人が書いた。


一斗缶、六。

使用可能、四。

穴あり、二。

回収、四。

残置、二。


トタン板は三枚。


波板は二枚。


錆びた針金、一束。


金属バケツ、二。


穴のあいた鍋は、その場に残した。


小倉が一枚目のトタンを台車へ載せる。


三枝が言った。


「必要数で止めろ」


「分かってるよ」


「残した数も書く」


秋人は棚と台車を往復して数えた。


持っていく物だけではない。


残した物も書く。


紐をかける前に、小倉が台車を揺らした。


一斗缶がぶつかる。


トタンの端が動く。


「このままだと崩れます」


秋人が言った。


小倉は紐を一本増やした。


「これでどうだ」


榎本が後ろから押す。


荷は動かなかった。


帰り道、猫は工具箱を空けた箱に入れられていた。


上から布を半分だけかけている。


途中で一度、鳴いた。


小さな声だった。


秋人は箱を見た。


猫を見つけたことは、扉を持ち出した理由にはならない。


扉を持ち出したことは、猫を助けたことにはならない。


別の紙だった。


校門が見えると、柏木が成人門衛へ声をかけた。


「台車が来ます。門の内側を空けてください」


避難者を壁際へ寄せる。


空の給水容器を運んでいた人が止まる。


柏木は門の外へ出なかった。


「右側から入れます」


成人の門衛が台車を誘導する。


秋人たちは校門を通った。


柏木は台車の鉄製扉を見た。


「家の物ですか」


「家の扉だった」


秋人が答えた。


柏木は扉の曲がった蝶番を見た。


「戻せるんですか」


「同じ形では、たぶん戻せない」


柏木はそれ以上聞かなかった。


猫が箱の中で動いた。


真衣が体育館入口から気づいた。


「猫?」


走りかけて、母に肩を止められた。


「近づかない」


真衣はその場で止まった。


「生きてる?」


「生きてます」


猫を抱えていた灰犬隊員が答えた。


理沙が手袋を替えて箱を覗いた。


目。

鼻。

口。

足。

毛の汚れ。


「一般居住区へは入れません」


「外に置くの?」


真衣が聞いた。


「先に、噛み傷と病気がないか見ます。水も、何に入れるか決めます」


「少しでいいよ」


「少しでも、出所を決めます」


理沙は一時管理票を受け取った。


管理場所。

給食室裏、隔離箱。


管理者。

当番未定。


餌。

未確保。


水。

非共用容器を使用。


秋人は猫の紙を、資材回収票の下へ入れなかった。


校庭裏では、鉄製扉が杭の間へ運ばれた。


扉だった面を横へ向ける。


汚物袋一時置場と、医療ごみの間に立てる。


小倉が針金を通した。


灰犬隊員が反対側を押さえる。


こん。


杭が入る。


こん。


扉は、もう開かなかった。


仕切りとして立っていた。


夕方、秋人は職員室で回収票を清書した。


所有者確認不能住宅。

鉄製扉、一。

ブロック、四。


所有者所在確認不能店舗。

一斗缶、四。

トタン板、三。

波板、二。

針金、一束。

金属バケツ、二。


用途。

暫定焼却場所仕切り。

灰受け。

医療ごみ一時置場。


近隣者異議あり。


返還可能性、低。


秋人は、その行を消さなかった。


向かいの席で、高橋が死亡確認票を確認する。


片瀬志保。


片瀬晴人。

八歳。


給水点記録と照合。

同一可能性高。

本人確認未了。


同行外一名は、別の照会票に残っている。


氏名不詳。


状態不明。


机の端には、猫の一時管理票があった。


猫、一匹。

所有者確認不能。

左目、異常疑い。

水、要調整。

餌、未確保。

管理者、未定。


「これも届いています」


高橋が別の紙を出した。


鶏、三羽。

移送予定。


飼養場所、未定。

担当者、未定。

餌、未確保。

水、要調整。

糞処理、要。

卵、記録対象。


秋人は窓の外を見た。


鶏はいない。


鳴き声も聞こえない。


紙だけが先に来ていた。


机には、死亡確認票があった。


応急資材回収票があった。


猫の一時管理票があった。


鶏の移送予定票があった。


同じ紙ではなかった。


同じように扱ってよいものでもなかった。


ただ、どれにも、次に手を動かす人間が必要だった。


外では、木を打つ音が続いていた。


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