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「ひー、やっぱちょっと怖ぃ」
勇んで前に出たココロは山へと入ってすぐ、その雰囲気にひーんと鳴いた。
コロニーの外、夜の森は、自分達の想像を遥かに超えて歩くのが困難だった。
懐中電灯の強い光があるせいか、照らし出された範囲外の影は黒い炭で塗りつぶされたかのように濃く、見通しのきかない不安感が足を竦ませた。意識していないと息をするのも忘れてしまいそうな、闇に吸い込まれてしまいそうな錯覚にも襲われる。前進しているはずなのに、ちゃんと目的地へ向かえているのかもわからない。
「ココロさん、わたくしが前を歩きます」
「おお、いいじゃんあんた、ドンドン行け」
「涙目で何を偉そうに……さっきから探り探り歩いていますけど、腰が引けていて殆ど進んでませんことよ?」
「悪かったなビビッてて」
「ふふん、わたくし夜目が利きますの、頼もしいでしょ?」
「あんた便利だわ」
「便利!?」
「おいおい、喧嘩は後にしてくれ、とりあえず落ち着きたい」
そう言ったエルマーはテムを気にしていた。
テムは男らしく弱音を吐かないように頑張っているものの、エルマーの傍をぴったりとついて離れず、しきりに辺りを気にしている。物音がすれば誰よりも早く光を向けてほっと胸を撫で下ろしているが、気持ちはわかる。
マンイーターや、熊を殺した怪物の正体だって掴めていない。そんな怪物が、まだこの森のどこかに潜んでいる。遭遇しないかもしれないが、こうして森を歩き回っていたら、自分達の存在はイヤでも目立つ。
ようやくライフルや自動小銃を持ち出してきてよかったと思えた。
撃てないにしても、持っているだけでも少し安心する。
山深くへ入り込めば、それはより強く感じられた。
風の音も、感染者の唸り声のように聞こえる。虫の声も、木々のざわめきも、夜の森は思っていたより音で満たされている。懐中電灯の光を周囲に走らせる度、人影のような物が景色を横切る。風の音に混じって聞こえる唸り声も、まるで誰かを呼んでいるかのようだった。それが不安に駆られた自分達の幻聴なのか、獣のものかはわからないが、感染者の可能性もある。もしかしたら、廃工場を離れたイヴかもしれない。四人はそう考えて、物音がした時は必ず音の出所を確認した。
「なあエミリ、そろそろじゃないか?」
「ええ、少し見覚えのある景色になってきましたわ。歩数から考えてもそろそろです」
「歩数!?」
そんなの数えて登ってたのか、とココロ達は驚いた。
ここにきてエミリがものすごく頼もしい。実際、その先導のお陰でかなり正確に、しかも迅速に進めていたようで、ココロ達も見覚えのある景色が現れた。木々や岩など、ぱっと見たらどれもたいした違いはないが、既視感はある。家に戻ってきたような安心感を覚えるが、廃工場へ近づくにつれて、自分達以外の明確な気配をあちこちから感じるようになった。
「ねえ、エルマー。さっきから視線感じるんだけど、気のせいだよね」
ココロは自分だけが感じていたらどうしよう、と感じていた気配に堪らず訊いた。
エルマーは足を止めて、自分が感じた気配の方に光を走らせた。一度ぐるっと辺りを照らした光が、ひゅっと一点に戻される。
そこで見たのは、通常の感染者だった。
聞こえていた足音も気配も、気のせいじゃない。
「エミリ、辺りに感染者がいる。気をつけろよ」
「ええ、さっきからちらちらと視界に入り込みますわ」
「ちょっと、見えてたならなんか言ってよ! あたし耳と目がおかしくなったのかと思ってたんだから!」
ココロが怒ると、エミリは肩越しに振り返って可笑しそうに笑んだ。
「向ってくるならいざ知らず、遠巻きにお散歩しているだけですわ。意外と肝がお小さいんですわね、オーッホッホ!」
「ぜったいいつか泣かせてやるからな」
「楽しみにしていますわ」
エミリは言うと、軽い足取りで進んだ。
「でも、そう簡単に襲われないってわかってても、この数は心配になるな」
「でしょ? エミリがおかしいんだって」
「おまけにこの暗闇で、あいつらがどれくらい動けるのかわからないのがな」
話していると、ぽつりと頬に冷たい雫が当たった。
見上げると、パタパタと木々の葉を叩く雨の音が聞こえた。それは次第に強くなり、頭上から大きな粒になって降り注いできた。地面が濡れて、あっという間に衣服もずぶ濡れになり、水が溜まった。
「もう最悪」
「降って来たな、急ぐぞ」
懐中電灯の光を雨粒が反射して、視界が悪くなった。
同時にココロ達は雨の音で、もう近づく足音にも気づけなくなっていた。




