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「ラチェット十ミリ」
「ほいよ」ココロが十ミリソケットを投げた。
「あー、十二ミリだ。すまん十二ミリ」
「今、手放せないから自分で取って」
「はい、未来の整備士長」
マリオはココロとのやり取りを楽しみながら、バイクのカウルを留めるボルトを一本ずつ外していった。エンジン部分とキャスター角のきついフロントフォークを覆うカウルは鉄製で厚さは五ミリもあった。一つ一つのカウルを繋ぐ爪を外し、二人で支えてボディを剥いていくと、その労力は想像を絶していて、一人でやらなくてよかったとすら思えてくる。
「こりゃ、腰に来るな」
「っていうか、何なのこれ。バイクなの? ホントに」
大きな鉄板の外装をゆっくりと地面に降ろすと、ココロは額の汗を拭った。
外装を取り払ったそれは、いわば人間の皮を剥いて筋肉や骨のみになった状態だが、剛性の高さや構造の複雑さが一目でわかる。シンプルなデザインのカウルからは想像できないほど、フレームの中はぎっしりで、電装系も複雑そうだ。軽量で、取り回しやすさがメリットのバイクを根本から否定するような設計だ。タイヤ一つとっても、前輪はココロの腰の高さ、後輪は胸の高さにまで達し、規格がそもそもバイクじゃない。停車時もスタンドを立てるのではなく車高を落として腹をべったり地面に着ける様な姿だ。
ココロはまじまじとそれを見つめ、鈍く光った銀色のフロントフォークを触った。
「このフロントフォーク、フロントフォークなの?」
「スプリンガーフォークに見えるが、ここまで太いのは見たことないな。構造も複雑そうだ」
「これいじるの?」
「んー、なんとかするとは言ったものの、って感じだな」
「なんとかできるの、これ」
「ま、作った人間がいるんだ。やってやれないことはないだろ」
「でも配線とかワイヤーの取り回しとか、なんかゴチャってるよ。ブレーキもこれ、前輪も後輪も足じゃない?」
「ん? じゃあギアは」
「わかんないけどハンドルにもレバー付いてるから多分」
「ハンドシフトか?」
「サニーさんに聞かなかったの?」
「あーくそ、バイクだと思って油断したな。ここまで違うとは。そもそもこの車高はどうやって上げるんだ」
「電源を入れればいいんじゃない?」
「それだ」
「ただそうすると自立できないから支えないと」
「カメラで撮りながら作業しよう、マーカーも必要だな。ジャッキも」
「これ造った人、絶対変態だよね」
「ああ、変態だ。こっちが頭悩ませてるの見てきっとどっかでほくそ笑んでる」
これと格闘するのか、とココロは安易に手伝うと言ったことを少し後悔したようだった。
ワクワクもするが、長丁場になるのは確実だ。
マリオは準備をしっかり整えてから、作業に取り掛かった。
「まずはプラグだな」
「これ、手入るかな」
ココロはプラグコードを手探りで抜いて、マリオから受け取ったプラグレンチを使ってプラグを外した。
「あーダメだ、使えてるけど電極が」とココロがプラグを投げた。マリオはそれをキャッチして、プラグの電極がかなり消耗しているのを確認した。恐らく、これが不調の原因だ。ここがこれだけ消耗しているということは、オイルも恐らく変わってない。ここまで大きなエンジンを積んだバイクだと、冷却液もこまめに交換しておかないとまずい。
「案外、早く片付きそうだな」
「オイル交換とかもする?」
「ああ、血液を入れ替えてやらんとな」
「硬さは?」
「10w―40でいいだろ」
「何リッター?」
「わからんが、五リッターは用意しよう」
「探り探りだねえ」
言いながらも、ココロも楽しんでいた。触りなれた機械をいじるのにどこか飽きていたのだろう。それはマリオも同じで、こういった特別な経験は苦労を超える楽しさがある。未知の機械とはいえ、人が生み出したものだ。それに触れて、分解し、組み上げるのは沢山の発見があってとても楽しい。
「いたる所にステッカー貼ってあるけど、これあの人の趣味なのかな?」
「綺麗な人だがちょっと趣味は子供っぽいな。戦車に、動物のステッカーか」
「え、これ戦車なの?」
「ジャガーノート。タクティカルチャリオットというそうだ」
正式名称はかなり物々しいが、それを払拭させようとせんばかりにボディに貼られたステッカーを見ると、なんだかサニーの人間性が垣間見られる。
「悪い人、じゃなさそう?」ココロは眉を上げた。
「ああ、少し話したが、悪い人じゃなかったよ」
「話したんだ」
「ああ」
マリオが冷却水を抜けきるのを待っていると、ココロは作業を中断して、手袋を外した。
「ねえお爺ちゃん、あたしのお父さんとお母さんは、なんであたしとお爺ちゃんを置いて、旅に出ちゃったの? 壁の外って、あたし達が思ってるよりずっと危ないんでしょ?」
そう訊かれて、マリオはバイクを隔てた向こうにいる、ココロの表情を想像した。
しかし、それがどんな表情であれ、ここで答えない訳にはいかないか、とマリオは思った。
「……二人じゃない。三人だ」
「三人?」
マリオは冷却水の排出口のキャップを閉めた。
「ああ、あの時、二人はアンティコパの男と共に旅立ったんだ。行き先は、ココロの母親であるステラの故郷」
「お母さんの故郷」
「ステラはこのコロニーの出身じゃない。ずっと昔に死化した、その生き残りで、ココロと同じ歳の頃にこっちのコロニーへやってきたんだよ」
「それで、なんで旅に出たの?」
「色々あってな、話せば長くなる。複雑なんだ、色々と」
「それって、お爺ちゃんが今まで黙ってるほどのことなの? 思い出したくない?」
探るような声に、マリオは頭を後ろへ撫でた。
「……いつか話そうと思っていた。でも、お前が誕生日を迎える度に、また来年、また来年と延ばしてきた。だから、次の誕生日くらいに、話すつもりでいた。十五歳のな」
「十六ね」
「そう。十六の」
「お祝いの席で、暗い話するつもりだったの?」
からかうような声に、マリオは思わず失笑した。
「たしかに、言われてみれば祝いの席で話すようなことじゃないな」
「ほんとに教えてくれるの?」
「これ以上黙っていると、何を伝えるべきなのかすら忘れてしまいそうだからな」
笑っていると、バイクの向こうでココロがこっちをじっと見つめてくるような視線を感じた。
「ねえ、おじいちゃんはさ。お父さんとお母さんは、生きてると思う?」
「……あれからもう十年以上か」
「うん」
「生きていると、願っている」
信じているとは、もう言えなくなった自分自身にマリオはどこか失望した。
希望を抱き続けられるほど、あの頃ほど、自分の血は熱くはない。ココロにも失望されるかもしれないと、そう答えるのは怖かったが、何より嘘は吐けない。もうココロも子供じゃない。これ以上の答えは、どこを探しても出てこなかった。
「お爺ちゃん」
「うん?」
マリオは、がっかりだよと言われる事を覚悟した。
「明日、聞かせてよ」
「明日?」マリオは顔を上げた。
「うん。そしたらあたしも、お爺ちゃんにずーっと黙ってた秘密の話、するからさ」
「……結婚するのか?」
「しないよ! なんでそうなるの!」
「心臓に悪い話なんだろ?」
「心臓が止まるほどじゃないと思うけどね」
冗談っぽく言ったココロに、マリオは笑んだ。映画の撮影もその一つなのだろうと察しがついた。心臓によくない話であるならなおのこと、何をしているのか想像もつく。つるんでいるのはあのエルマーだ。感染者絡み、というところまではなんとなくわかる。
「わかった。とりあえず今晩は、爺ちゃんに付き合え」
「いいけど、リチャードさんどうするの? 晩御飯も用意してないんだけど」
「あんまり遅くなるようなら切り上げるさ。ココロは明日、何か予定あるのか?」
「特にないね」
この時、そう答えたココロがどんな表情をしていたのか、マリオはしっかり見ておくべきだったと、翌日、後悔することになった。




