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ココロぞんび  作者: キタビ
第十話 見えない景色の向こう側
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「手こずらせてくれるじゃないかこのエンジンちゃん……ちゃん、って歳でもないか」


 ランセットから預かった車輌を整備していたマリオは、昼食を抜いて作業に没頭していた。

 細かい仕事が片付いて全体的な仕事が減ると、小さい子供が居る整備士は家族サービスの休暇を取り、暇を持て余した職人気質な整備士は出張修理に出かける。そうなると、工場はいつも以上に静かになり、マリオの作業も捗った。


 機械整備はメカとの言葉のない会話だ。

 たった一人で機械と対話をする時間は憩いの時間で、倉庫の中に心地よく反響する作業の音も、質のいい上品な音楽のように胸に染みる。手で触れる車両のボディは女性の柔肌のように優しく扱い、ボルト一本の締め付けも、長年培った経験を元に指先の感覚を頼りに加減する。

 締め過ぎも、緩すぎもよくない。

 年老いた車輌であればなおのこと、マニュアルどおりではうまくいかない。

 マリオは三輪トラックのボンネットを静かに下ろし、軽く体重をかけて閉めた。

 運転席に座ってハンドルに手を添えれば、たいていうまくいくかわかってしまう。

 キーを回してエンジンをかける。回転が上がり、暫くして落ち着く。千二百回転で安定すると、目を開いたまま瞼を閉じるような感覚で、細かい振動や音に集中し、感じていた違和感が消えたかどうかを確かめた。

 こうしている時が、一番落ち着く。


「うん」


 上出来だ、と納得してエンジンを停止し、座席から腰を上げた。

 ウェス(布)で油を拭き取った工具を並べ、水筒の水で軽くうがいをして、灰皿代わりのペール缶にぺっと吐き出した。水分を取り、丸椅子に腰掛けて、愛飲している甘い香りの煙草に火を点けて、仕事終わりの余韻を楽しんだ。

 そうしていると、パタパタとサンダルで床を擦るグレイスの足音が聞こえてきた。

 誰かと話している声も聞こえる。事務所に通じているドアが開くと、グレイスが姿を見せた。


「マリオ! ランセットの坊主だよ!」

「おう、今しがた終わったところだ」

「そうかい。なら体は空いてるね、追加の仕事だ。さっきクリアから客人の車輌を整備して欲しいって連絡が入った。サニーって女とジャックって男の二人組み。可能なら最優先でってことだ」

「車輌は?」

「トラックとバイクだ。着いたらさっさと取り掛かっとくれ」


 マリオは胸が踊るのを抑えながら、「わかったよ」と返事をすると、ピットへ入ってきたランセットに笑顔を投げた。


「おお、出来てるぞ」

「さすがマリオさん、仕事が早いですね」


 ランセットは言うと、磨かれた古い愛車を見て感嘆し、もう一度礼を言った。


「座ってエンジンかけてみろ」

「はい」


 ランセットは運転席に座り、エンジンをかけた。始動性もよくなり、ここへ持って来た時よりも静かで、音が滑らかに感じた。空吹かししてみれば、その違いは歴然だ。歌うように、軽やかに吹け上がる。


「だいぶよくなっただろ」

「もしかして、こっそりエンジン乗せ替えたんじゃないですか?」

「あー探すのに苦労したよ」


 ランセットの褒め言葉にマリオは調子を合わせた。


「洗車までしてもらっちゃって、ありがとうございます」

「礼ならココロに言ってくれ。あの子がこいつの不調に気づいたんだ」

「ああ、この間うちに遊びに来た時ですね、さすがです」


 そう言ったランセットは、どこか心ここに在らずというか、いつものうざったいほどのマニア的な覇気がまったく感じられなかった。たいていここへ来ると、店にある骨董品のあれこれを饒舌に語るのだが、そんな気配はまるでない。


「どうした、車は元気になったってのに、ドライバーが不調じゃないか」

「ほんとに、そうですね」ランセットはエンジンを止めて、ふうっと息を吐いた。

「悩みがあるなら言ってみろ。人は機械とは違う。言ってくれれば、何か力になってやれるかもしれない。お前さんにはココロが小さい頃よく遊んでもらって世話になってるしな。なんなら酒にでも付き合おうか? もう飲める歳になっただろ」


 提案すると、ランセットは小さく笑って、ハンドルを握りながら口を開いた。


「実はさっき、車を預けた足で屋敷に顔を出したんです。そこでアンティコパに会ったもんですから、ちょっと」

「……ってことは、これから来るって客は」

「だと思います。屋敷の前に、トラックと大きなバイクがまってましたから」

「なるほどな」

「マリオさんは、彼等が来ること誰かに聞いてませんでしたか?」

「いや、わしはここと家を行ったり来たりするだけだ。最近は酒場にも行ってないしな」

「そうでしたか」

「連中が来たってことは、何かあったんだな」


 マリオが声を低くして訊くと、ランセットはわかりません、と小さく首を振った。

 アンティコパと面識のあるマリオは、彼等が来たことを知って気が重くなった。ランセットが複雑そうにしている気持ちもわからなくはない。彼等の来訪は、決して吉兆ではないからだ。


「あの、最近、ココロちゃんの様子はどうですか」

「様子って、お前さん最近会ったんだろ? いつも通り元気でやっとるよ、今日も出張の仕事に出てる。孫だからって贔屓してるわけじゃないが、ありゃいいメカニックになる」

「僕もそう思います」

「しかし参ったな。バイクとトラックの整備なら、いい教材代わりにもなると思ったんだが、客がアンティコパだと、ココロには会わせたくないな」

「……そうですよね」


 なぜか深刻そうに肩を落としたランセットの姿にマリオは眉を上げ、手にした煙草をペール缶に投げ込んだ。ジュ、と音を立てて火が消える。


「ま、お前さんが木に病むようなことは何もない。彼等も仕事が片付けばここを去るさ」


 そう言うと、ランセットはどこか居心地が悪そうな表情になって、聞いてもいないのに出会ったというアンティコパ二名の風体や、会話をした時の印象なんか口にすると、言いたいことをぐっと堪える様な表情になった。


「すみません、僕からはこれくらいしか言えなくて」

「いや、じゅうぶんだ。いきなり彼等と出会ってたら、わしも戸惑っちまうところだったよ」

「修理、ありがとうございました。これ、チケットです」


 ランセットは銀のチケットケースからチケットを五枚千切った。


「いいよそんなもん」マリオは手を振った。

「グレイスさんに怒られますよ?」

「いかん、そうだったな」


 グレイスは仕事ごとのチケットをしっかり回収しているかをカウントしている。

 工場の外でなら何をしても文句は言われないが、ここでした仕事のチケットはしっかりもらえ、というスタンスだ。マリオはチケットを受け取ると、シャッターまで移動してロックを外し、シャッターを開いた。ランセットがエンジンをかけ、車を移動させた。


「また調子が悪くなったら、いつでも持ってこい」

「ええ、それじゃ。マリオさんも時々遊びに来てください。いい二輪車が置いてあるんで」

「ああ、ガレージに空きが出来たら取りに行くから、わしが迎えに行くまで取っといてくれ」


 そう言うとランセットは笑って、車を転がして去っていった。

 試運転はしていないので、その様子をマリオはじっと見守り、シャッターを開いたままその場所で次の客を待った。

 通りに目をやり、小さな孫に手を引かれて嬉しそうに歩く老人の姿に懐かしさを覚えた。

 こんな平和なコロニーに、再びアンティコパか、と気持ちが曇る。

 嫌っているわけではないが、その存在は思い出したくないことを思い出させる。


「いかんな」


 プロとして、職人として彼等の車輌の面倒を見る。

 それだけだろう、とマリオは頬を軽く打って気を引き締めた。

 すると、ドドッと空気に鈍い音が混ざるのを感じた。音の方に目をやると、向こう側から迫ってくる二台の車輌が目に映った。このコロニーではまずお目にかかることのないタイプのピックアップトラックと、二輪車だ。そこらを走ってる車輌とは積んでるエンジンからしてまるで違う。

 通りを散歩していた人たちや、立ち話をしていた人たちの視線も吸い寄せられ、玄関の扉や窓を開けて、「何の音?」と顔を出す人もいた。


「来たな」


 マリオが腕を組んで仁王立ちすると、トラックとバイクが速度を落とし、眼前で停まった。

 バイクの排気音はあたりの空気を打ち、マリオのお腹の肉もプルプルと揺れた。この音では、何を喋っても聞こえない。空へ抜けるような音は気持ちいいが、調子の悪さはなんとなく感じられた。

 二台ともほぼ同時にエンジンを止めた。周りの掻き消されていた音が戻ってくる。


「こんにちは、クリアさんにここを紹介してもらった者なんですが、もしかしてお待たせしてしまいましたか?」


 見てくれはランセットから聞いていた通り怪しげだが、礼儀正しい女性だった。

 マリオは身構えつつも、表情を柔らかくして笑顔を作った。


「いや、今ちょうど客がけたところだよ。連絡はもらってる。ここの工場長やっとるマリオ・ココニだ。よろしくな、サニーさん」

「私の名前、ご存知だったんですか」

「ああ聞いてる。君がジャック?」

「ああ、ジャックだ」ジャックは運転席のドアに肘をかけ、頭を出した。

「んー、ジャックって感じだ」

「どういう意味だよ」

「いいや、特に意味はないさ」


 言いながらマリオは職人スイッチをオンにして、トラックの周りを歩き、下部を覗き込んだりして、手の汚れを叩いた。

 ピックアップトラックは悪路の走破性に優れた太く大きいタイヤを履き、車高も高くサスペンションもストロークが長い。ボンネットからエンジンのヘッドが覗いていて、バンパーには巨大なウィンチも装備されている。排気管は助手席側の後部から煙突のように空へと伸びていて、整備性も高そうだが、まずコロニーでは見ないタイプだ。


「しかしまた随分いじってあるな、このサスペンションは特注か?」


 訊くと、ジャックが運転席から飛び降り、煙草を咥えた。


「フレームとシャーシはその辺の流用品。ベースはどこのコロニーにもある車輌と同じで、あとは用途に合わせて手を入れたって感じだ。いじったのは俺じゃないけどな」

「カスタム車輌か。で、何をすればいい? 設備はともかく、特別なパーツが必要だと出来る事も限られるぞ。エンジンとサスペンションは特注、排気管も手製だろ、これ」


 ジャックは咥えていた煙草に火を点け、煙を長く吐き出した。


「遺物の構造解析で再現された五千ccのエンジンだ。故障なんかしたらお手上げだよ」

「五千とはまた大飯ぐらいだな。しかしぱっと見、これと言った不具合はなさそうだが」

「ブレーキの利きが悪いのと、ウィンチのワイヤーに油を差してほしい」

「なら、パッドと、オイル類も一通り交換しよう。ガタがきてそうなパーツはこっちでリストアップするから、ここでいじれない部分は専用の工場に持って行って見せるといい」

「ああ、助かるよ」

「悪いが自分でピットに入れてくれるか、邪魔なものがあればどかしてくれて構わない」


 マリオが言うと、ジャックはトラックに乗ってエンジンをかけた。太い音と共に排気管が揺れて黒い排気ガスが吐き出された。倉庫内へトラックが進むと、その反響した排気音にマリオはうっとりしてから、もう一台に目を光らせた。

 後輪は大型のトラックに使われている物とさほど変わらない。

 全体的に作りが無骨で、まるで戦車のようにも見えた。


「それで、こいつの調子はどこが悪いのかな?」


 訊くと、サニーはガスマスクを下ろし、難しい表情で腕を組んだ。


「それが、調子が悪いのはわかるんですけど、どこが悪いのかわからないんですよね。ガス欠でもないのに時々ギクシャクして、近頃はエンジンのかかりも悪くって。機嫌がいい時はすぐかかるんですけど。この子が動かなくなったら、押すのも一苦労ですから、そうなる前にと思って」


 たしかに、とマリオは顎鬚を撫でた。

 触れなくても重量が三百キロを超えているのがわかる。おまけに普通のバイクより車幅も車長もあり、タイヤのサイズもトラック並だ。停車時にスタンドも用いず、バイク自体が沈んで腹ばいになるような動きをした。知らない機能がある。しかもハンドルも縦に握るような配置で、絞るにしたってきつすぎる。通常の自転車のように横向きなら押せるが、これでは力が入らず、手押しで動かすなんてまず無理だ。

 しかしだとすると、これだけ特殊な車輌に関する知識がないという、サニーの状態はまずいように思えた。


「……プラグは見たか?」

「……すみません。ジャックさんみたいに話せたらよかったんですけど」


 本当に申し訳なさそうに、情けないなあ、とサニーは頭を垂れた。


「わかった。まあ、任せてくれ、なんとかなるさ」


 そう言うと、サニーは「お爺さんも優しいんですね」と救われた人のようにほっとした表情になった。


「実は今朝、マリオさんのお孫さん、ココロちゃんに屋敷の場所を教えていただきまして、ご丁寧に、とても親切にしてもらって」


 もう会った後だったか、とマリオは複雑な気持ちになったが、孫を褒められて悪い気はしなかった。


「美人だったろ」

「ええ、とっても賢そうで」

「よし、立ち話じゃなんだな、なかに入れてくれ。レーンはどこでもいい」


 マリオがピットへ入るよう促すと、サニーはバイクに跨ってエンジンを始動し、ピットへ移動させた。その様子を、マリオはじっと観察した。キーを回して電源が入ると同時に車高が持ち上がり、ハンドルの位置も低くなった。油圧式の可変型サスペンションと言った所か、エンジンの始動性も悪くはない。ピットへ入っていくバイクの後姿は、お尻の大きなセクシーな女性の後姿のようで、目が釘付けになった。


「なるほど興奮するね」


 マリオは股間を軽くまさぐると、曇った空を一瞥して、通りすがりの人たちの視線を遮るようにシャッターを閉じた。

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