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クリアは二人の姿をまじまじと見つめた。
一人は体格のいい男性で、サングラスをつっかけた『LP』と刺繍の入った帽子を目深に被り、黒いボディースーツに焦げ茶のジャケット、カーゴパンツにロングブーツという、いかにも荒事に慣れていそうな鋭い気配を放っていた。堀の深い顔つきでハンサムだが、少し埃っぽく、無精ひげも生やしていた。
映画でしか見たことないような姿で、実にワイルドだ。
ただ、何より印象的だったのはその茶色い瞳が放つ眼光だ。
おおよそこの町に暮らす誰もが決して持ち得ない、暗い光りを宿しているように見えた。
じっと見ていると竦んでしまいそうで、クリアは目線をもう一人へ向けた。
男の脇に立つ女性は室内でもサングラスを外さず、鼻と口を無骨なガスマスクで覆っていて顔立ちはわからない。が、クリアも思わず見惚れるほど体のラインが美しかった。綺麗な金髪は腰に届くほど長く、チューブトップに納まる胸は苦しそうで、セクシーにおへそを出している。くびれは細く、腰も大きい。羨ましいプロポーションだが、絶対こんな格好できないな、とクリアは思った。レザーパンツとロングブーツがその曲線を強調している。その体を覆うように、継ぎ目だらけの黒いコートを羽織っていた。
「おい」
男の声に、クリアははっとした。
「失礼しました。私が『第0056コロニー』の管理を任されているクリアです。本日はご足労いただきありがとうございます。お疲れでしょう、どうぞ掛けて下さい」
二人とも用意された椅子を一瞥したが、座ろうとはしなかった。
男が胸ポケットから身分証を取り出し、差し出してきた。
クリアはそれを受け取り、確認した。
硬いカードだが、角も表面も所々擦り切れている。『アンティコパ・バングズマン所属。ジャック・ジェットソン』と、登録番号が記されていた。顔写真は今のジャックより幾分若く見え、無精ひげも生やしていない。年齢や血液型等の記載もなく、裏も無地だ。
クリアはそれを返し、握手を求めた。
しかしジャックは応じず、身分証を胸の内ポケットに戻した。
「……お互い仕事が山済みなんだ。挨拶は適当にして、さっさと顔合わせを済ませちまおう。あんただって俺らみたいなのに長居されたかねえだろ」
ぶっきらぼうに言われて、クリアは差し出したままの手で隣の仲間を指した。
「そちらの方は?」
ジャックは擦り切れたツバを摘んで帽子を被り直し、大げさなマスクの同業者に目を向け、「知らん」と肩を竦めた。
「調査依頼を受けたのは俺で、こいつとは下で会った。あんたが呼んだんじゃないのか?」
「いえ、派遣されるのは一人と返信をもらっています」
依頼書の用紙を見せると、ジャックはそれをピッと張って目を眇めた。
「たしかに一人だ。俺も応援が来るなんて話は聞いてない」
「お仲間、ではないんですか?」
「同業者が皆仲良しってか? これだから温室育ちは」
「温室育ち?」
「おいお前、何処の所属だ。支部は」ジャックが訊いた。
「北第三、です」女性が答えた。
「俺の所属していた支部じゃないな。管理人、お前が尋問しろ」
ジャックは目線をクリアへ戻し、親指で彼女を指した。
「尋問って言われましても……確認なんですが、あなたもアンティコパ、なんですね?」
顔を覗きこむようにして訊くと、その女性はポケットをまさぐって、身分証を取り出した。
見た目とは裏腹な、どこか抜けた仕草に若干の頼りなさと親近感を覚える。
『アンティコパ・バングズマン所属。サニー・サンセット』と記されていた。
顔写真付きではあるが、ガスマスクとサングラスを着用した状態で写っているので素顔がわからない。身分を証明する為の写真でこれは、とクリアは眉を顰めた。
登録番号は擦れて見えない。身分証の年季だけならサニーの方が古株に見えるが、実際の印象は真逆だ。なんにせよ、顔を確認できないとなんとなく不安だ。そんな視線を向けると、サニーははっとした仕草を見せてから、ガスマスクを下におろし、サングラスを軽く上げて見せた。
やっぱり美人だった。
整った目鼻立ちはもちろんのこと、優しげな目元におさまる瞳は、紅い様な、夕日を思わせる変わった色をしていた。薄い唇が微笑むと、その出で立ちを除けばまるで女神のようだった。
「確認しました。それで、サニーさんはどういったご用件でこちらに? 彼とは別件で?」
訊くと、サニーはサングラスを下し、肩を小さく窄めた。
「そう、ですね。私は仕事ではなく、立ち寄っただけですので」
ジャックの顔色を覗うように視線を動かし、言いにくそうにサニーは応えた。
「なんだよ、人の顔チラチラ見やがって、失礼だろうが」ジャックが睨んだ。
「いえ、すみません」サニーは下唇を噛んだ。
「仕事ではないということは、滞在を?」クリアは訊いた。
「はい、その挨拶に。それと、バイクの調子が悪いのでメンテナンスしていただきたくて」
「整備工場を探しているんですね?」
「はい、紹介していただけますか?」
サニーはガスマスクを嵌めて、顔の半分を隠した。
「それは構いませんが、あの、そのマスクは?」
「これは、その――」
「聞いてやるな、アンティコパってのは変人が多いからな」
ジャックが言うと、サニーは居心地悪そうに頭を掻いた。
クリアとしては正直そんな雑な説明では納得できなかったが、するしかなかった。
しかし、マスクにこもって聞こえる声は涼しげで、声音にも歳は感じず、実際自分より若いように感じた。二十代前半か、いっても二十五六、といったところか。話してみれば、ジャックのような迫力も威圧感もない。感染者を狩るアンティコパと聞けば、イメージするのは女性より男性で、ジャックのようにいかにもな存在感を放つ方だ。
クリアは身分証を一瞥し、顔を上げた。
「サニーさん、ひとまずこちらの話を済ませてしまってよろしいですか?」
「それはもちろん、なんでしたら一緒に話を聞かせてください。私もアンティコパですので、お手伝いできることがあるかもしれません」
「いいのか? 休暇中だろ?」ジャックがからかうように訊いた。
「休暇中……そうなんですか?」
「ちょ、なんで――いや、そうなんですけど、そうとも言えないって言うか、それとこれとは話が別で。とにかく話を聞きます、はい!」
サニーは腕を振り回すと、ピッと手を差し出した。
「ありがとうございます」
クリアは身分証を返し、サニーと握手を交わした。
クリアはコロニーを含む周辺地図をデスクに広げ、依頼書を脇に置き、本題へ入った。
「コロニーへ出入りするドライバーの方達から感染者の目撃例が報告され始めたのが一年前で、直近の報告では、感染者の群れの進路がこちらを向いていて、その影響か、コロニー外周の北の山でも感染者が発見されました。場所はここです」クリアは地図の北側を指した。
「群れの規模は」ジャックが訊いた。
「移動中のことですので正確な数はわかりませんが、五十はいない、と聞いています。守衛の方にも山を調査してもらいましたが、探すと見つけられる、という印象だったそうです。私も一度同行しましたが、その時はいつもと変わらない静かな森でした」
「規模は小さいな。普段、山に入っても遭遇することも滅多にないんだな?」
「そうですね」
「年間を通して、山や森に入るようなことは?」
「全くない、ということはありません。材木の調達や時期によっては祭事や行事用の食材の調達で山菜、鹿や猪なんかの狩り等で入ることもあります。滅多にないのですが、問題が起きる前に調査をしていただき、今後のコロニー運用で必要なものがあれば助言も頂きたいと考えています」
クリアは言葉を区切り、眼鏡の縁を指の腹で持ち上げて、二人の反応を窺った。
これは全てのコロニーの中枢である『中央』に送った内容とまったく同じだ。
アンティコパの要請はまず中央にその内容を送り、中央の判断でバングズマンへ依頼が出され、初めて彼等が派遣されてくる。
サニーは、「なるほど」と相槌を打ち、ジャックは不機嫌そうな顔で煙草を咥え、ライターを探し始めた。
予想していた反応と違い、少々戸惑った。
「――ジャックさん、依頼についてはこんな感じなんですが、どうです?」
「ああ、話は聞いてるんだが、そうのんびりと構えられてる状況じゃなくなってんだ、これが」
ジャックはライターを見つけると、蓋をカチカチと開閉した。
「……あの、灰皿がありませんので煙草は遠慮してくださいますか」
「心配するな、灰皿なら持ってる。携帯用だ」
ジャックは胸ポケットからアルミの灰皿を取り出した。
「……でしたら窓際で」
クリアが言うと、ジャックはカーテンを避け、窓を開き、煙草に火を点け、リラックスした表情で紫煙をくゆらせた。「実はな――」とジャックが口を開くと、それを遮るように扉がノックされた。使用人が扉の向こうで咳払いして、「クリアさん、お客様です」と言った。
ジャックが口を閉じると、クリアは「どちら様でしょうか」と訊いた。
使用人が扉を少しだけ開け、隙間から顔を覗かせた。
「それがあの、ランセット君がクリアさんに渡しておきたいものがあると」
「どうしても今でないといけませんか?」
そう訊くと、使用人の後ろに控えていたランセットが扉を押し開けた。
「突然押しかけてしまって申し訳ありません。でも、どうしても見てもらいたいものがあって」
そう言ったランセットは、ジャックやサニーを見ると表情を強張らせた。
ただ、ランセットの表情は見るからに深刻そうだった。
クリアは「わかりました」と、入室を許した。
アンティコパの二人にじっと見つめられて緊張したランセットは深呼吸すると、二人に小さくお辞儀をして、デスクの上に二枚の写真を置いた。窓際に立っていたジャックが首を伸ばし、写真を気にする素振りを見せた。
クリアは眉間に皺を寄せ、その写真を手に取った。
一見しては何の写真だかはわからなかったが、一枚は熊の死体であることはわかった。
しかしもう一枚は、よくわからない。
「……これは?」
「昨日、山に入っていたココロちゃん達が見つけたもので、どうしたらいいかと相談されて、僕が預かったんです」
その名前にクリアは眉を顰め、顔を上げた。
「ココロちゃん? 彼女がこの写真を? なんでまた山に」
「エルマー君たちと映画の撮影に。僕が機材を貸して、撮影の帰り道に見つけたみたいで。そっちの足跡なんですけど、実寸では横幅だけでも三十センチ越えているそうです。人の足だと思うんですけど、あまりにも大きいと」
「おい、俺にも見せろ」ジャックは煙草を灰皿に押し付けた。
クリアが写真を差し出すと、ジャックは二枚の写真を観察するように見た。
同業であるサニーも気になったのか、ジャックの脇に立って写真を覗き込んだ。
ジャックは写真をサニーに押し付けるように渡し、デスクの前に移動した。
「その山に入ったガキ共は、この写真を何処で撮った。わかる範囲でいい、地図で教えろ」
「えっと、僕の名前は――」
「ちょちょ、ちょっと待て兄ちゃん、名前は聞いてない。質問に答えてくれ」
「すみません。詳しい場所は僕もわかりませんが、この山です。出入りに使うゲートはここで、そんなに深くは入っていないと思うので、恐らくこの範囲から、この範囲かと」
ランセットは北東側の門からそう広くない範囲を指で指した。
ジャックは相槌を打ちながら、横目にランセットを見た。
「そのガキ共と、お前は仲がいいのか?」
「ちょっと失礼」クリアが割って入った。
「なんだよ」
「うちのコロニーの子供達をガキ共と言うのはやめてくださいますか。言いたくはありませんが、不愉快です」
衝動的に口にしたクリアは、相手がアンティコパであることを思い出して、まずいと思った。
しかしジャックは驚いた顔をしただけで、「わーったよ、お子様達、これでいいか」と笑った。
少しバカにされている気がしてむっとしたが、クリアは続けてくださいと促した。
「で、仲いいのか」
「ええまあ、彼等のことは小さい頃から知っています」
「歳は」
「十五歳です。まあ、一人十二歳の子が居ますけど」
「なんだよ、立派な大人じゃねえか。山には詳しいのか?」
「その辺の子達よりは山歩きは達者ですけど、詳しいって程では」
「映画を撮ってるって言ったな、映像は残ってないのか?」
訊かれると、ランセットは少しの間を置いて、「ないです。写真だけ」と答えた。
ジャックはわかったと頷くと、「この写真はこっちで預からせてもらうが、いいか」と訊いた。
「もちろん、調査の役に立ててください」
「お前、俺達が何者かわかってたのか」
「アンティコパ、ですよね」
「誰かに聞いたのか?」
「ああ、お客さんからです。ここで働いている人から、あなたたちが来ると聞いていたので」
「そうか。このガキ共、おっと――お子様達に会ったら、箱庭から出るなって伝えとけ」
ジャックはランセットの肩をぽんと叩くと、目線だけで帰るように促した。
「俺達は大事なお話の最中だ。またな、えー」
「ランセットです」
「ランセットくん、またな」
ランセットはクリアを見た。クリアも頷くしかなかった。
こういう空気には、クリアもランセットも正直慣れていない。ぎこちないやり取りだったが、使用人がコーヒーと菓子を運んできたので、いいタイミングできっかけが掴めた。
使用人がチョコレートとクッキーを盛りつけた皿をデスクに置いて、コーヒーを配り歩き、「ごゆっくりどうぞ」と言った。ランセットも「じゃあ、僕も」と、使用人と一緒に部屋を出た。
「とんだ邪魔が入った。と言いたいところだが、かえって調査の手間が省けたな」
「あの、さっきの写真」
「ああ、心配するな。これは間違いなく俺達の領分だ、あんたらが持ってても意味がない」
「それで、のんびり構えていられない状況というのは、いったいどういうことでしょうか」
クリアが訊くと、ジャックは受け取ったコーヒーカップを窓の縁に乗せた。
「依頼が俺のところへ下りて来る前に、あるメッセージが支部に届いたんだ」
「メッセージ?」
「第0056コロニーを死化させるっていう、脅迫メッセージだ」
クリアは飲みかけたコーヒーを噴出し、むせて、咳き込みながら、なんです? と耳を疑った。




