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ココロはモペッドを飛ばし、道すがらのパン屋で惣菜パンの詰め合わせをチケットと交換して、『エミリの城』へ向った。
集合場所はコロニーの中心である居住区からは北東の門へ向う途中にある人工林近くの公園だ。小さな公園は居住区の中にもいくつかあるが、こっちは敷地に制限がない分、アスレチックや子供が遊ぶ大きな遊具もあり、水の澄んだ池もある。危険な動物が居ない広い林も、子供達が自然のなかで遊ぶにはうってつけだ。
池の辺では、釣竿を垂らしているだけの男性が寝そべって本を読んでいた。
池が見えると、木々が並ぶ林が見える。その一角に、アスレチックや小さな木造の家、ブランコや鉄棒、野球やサッカーをする為の敷地がある。その脇に、ひときわ大きな遊具として、丸太で作られた大きなお城があった。高さは五メートルほどで、入口にはしっかりと門があり、狭いながらも城壁が城を囲っている。その門前で、エルマーが腕を組んで待っていた。
「おうココロ、皆集まってるぞ」
「ここもだいぶ落書きが増えたね」
「エミリがカンカンだよ」
木造の城壁にモペッドを立てかけ、ココロはエルマーの後に続いた。
子供達が色々と持ち込んだ王の間には、お菓子の袋や玩具なんかがゴロゴロしていて、もの凄く散らかっていた。その玉座に足を組んでいたエミリは、この場に誂えたような格好でふんぞり返っていた。紅色のドレスをカジュアルにデザインしたようなそれは、この場においては似合ってはいたものの、そんな格好で町中を歩いていたのかと想像すると妙に恥ずかしくなった。
「待ちくたびれましたわ、さあ、跪きなさい。王妃の前ですよ」
「いい歳してなに言ってんだか」
「もう、ノリが悪いですわね」
エミリはつまらなそうに溜息を吐くと、玉座から腰を上げた。
四人は木の床に、円になって座った。
「で、考えたか?」
エルマーが腕を組むと、ココロも固い意志を示すように腕を組んだ。
「あたしの意見は変わらない。エルマー達はどうなの?」
「俺達も一応話し合ったけど、イヴを助けたいって気持ちは変わらない。ただ、方法はまだ思いついてない」
とりあえず気持ちは一つ、ということが確認できてココロは安心した。
「そういえばあたし、アンティコパ、見たよ」
「は? 来たのか!?」
「でっかいバイクで家の前を通りがかって、管理人さんの屋敷の場所を聞かれた」
「どんな奴だった?」
「綺麗な、女の人」
「女? きつそうな?」
「それが、すっごく優しそうで」
「それはそれで怖いな」
「それで、何か聞けましたの?」
「急いでたみたいで。それに、いきなりだったからこっちもびっくりしちゃって」
「写真は?」
「撮れなかった。寝起きだったし、まさかだもん」
「役に立ちませんわね」エミリが溜息混じりに言った。
「なんだとお? そんなこと言うとせっかく知った情報を教えてあげないぞ」
「なにかわかったのか?」
ココロは脇に置いたリュックから、ロイズの写真集を取り出して中央で広げた。
「リチャードさんにいろいろ聞いた」
「あの爺さんに、もしかして俺達のこと話したのか?」
「ノート見つかっちゃってさ」ココロは笑ってごまかした。
「バカ、気をつけろよ」
「ごめんって。でもあの人、アンティコパのことも知ってたし、いろいろ教えてくれたよ」
「なんであの爺さんがそんなこと知ってんだよ」
「元研究員だったんだって。生き物とかの」
「研究員? それって、中央の研究員ってことか?」
「それは聞いてないけど」
「いや、そういうことだろ。研究施設があるなんて、中央くらいだろ」
「他にもあるかもしれないじゃん」
「まあ、それはそうだけどな」
「アンティコパのことだけじゃない。感染者のことも、教えてくれた。変異体とか、特異体、それにマンイーター」
ココロはリチャードという人物の背景と、教えてもらったことを、持ってきたロイズの写真集を開いて説明した。その際、彼の故郷が死化していることは伏せた。それよりもイヴが特異体である可能性、森に潜んでいるマンイーターの危険性、不確定要素の多さを強調した。そして、もしも熊をやっつけたのが特異体だとしたら、森は自分たちにとってかなり危険な状態だということも伝えた。
じっくりと語るココロも話しているうちに、これは遊びじゃないんだ、という実感が込み上げてきた。その緊張感、真剣みが伝わったのか、エルマーやテム、エミリも神妙な面持ちになった。
一通りの説明を受けた後、エルマーが悩ましげに頭を掻いた。
「……それでも、ココロはやるんだな」
「イヴだけでも、なんとかしてあげたい。もしもイヴに人と同じように感じる心があったら、痛みに鈍くたって、恐怖は感じるかもしれない。それにあたしは、イヴがあんな風になる姿は、見たくない」
エルマーは腕を組み、頭を落としたまま固まった。
イヴとの付き合いがどれだけ短くても、気持ちは同じだ。しかし、ココロが知りえた情報は、決意を躊躇わせるのにはじゅうぶんだった。知らない方が、よほど情動的に動けたかもしれない。
「エルマーくんは、どうするんですの?」
「イヴは助けたい。けど、言うほど簡単じゃないってのが本音だ」
「エルマー乗り気じゃないの?」ココロは訊いた。
「乗り気とか乗り気じゃないとか、そういう話じゃないだろ。最悪、怪我人、いや、それ以上の事もありえるんだ。正直、テムのことだって外したいくらいだ」
「仲間はずれなんていやだよ俺、もし置いていったら、父ちゃんや母ちゃんにも黙ってないから!」
エルマーは訴えかけるように言ったテムの頭に手を乗せて、わかってるよ、と笑いかけた。
「初恋の相手だもんな」
「は!? べっつに、コイとか、そういうわけじゃなくてさ!」
テムは顔を真っ赤にしてあたふたしたが、エルマーの心境は複雑だった。
マンイーターや特異体といった危険な存在が絡んでいることを知って、一番に心配になったのはテムのことだ。イヴを逃がすために、危険だとわかっている山中に飛び込むことを、すんなりと受け入れられるわけがない。
こうなってはじめて、ランセットの気持ちがよくわかる。
イヴとテムのどっちが大事かなんて、比べるまでもないのだ。
ならばいっそ、イヴのことには目を瞑るという選択肢も現実にはある。
けれど、そうしたら間違いなくココロは一人でも突っ走るだろう。
エルマーは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そもそも、山中の危険がそのまま自分達に襲い掛かると言い切れるわけではない。どういった類の危険が潜んでいるかが予想できるなら、対策を講じることもできる。
「でもまあ、そうだな。やりようはあるかもしれない。それを考えよう」
「でしたらわたくしもお供します。ココロさん、アンティコパについては、どれくらいわかっているんですの?」
エミリが訊くと、ココロはリュックから惣菜パンを取り出して、好きなものを取らせた。
ウィンナーパン、ピザパン、マヨコーンパン、ベーコンパン。
ココロの手元に残ったのは、マヨコーンだった。
肉を全部持って行かれたと少しがっかりしながら、ココロはパンを齧り、リチャードから受けた説明を思い返しながら説明した。
「仕事は夜にする。武器、みたいなのも持ってるみたいだけど」
「武器だあ?」そりゃまずいぞ、とエルマーは顔を顰めた。
「大丈夫、『稲妻』っていう電気を使う道具みたいで、それは人に使うようなものじゃないから、あんまり心配ないかもって、リチャードさんが」
「……電気か。なら都合がいいかもな」
「なにが都合いいの?」
「雲がずっとあるから、雨も降るかもしれない。そうなったら、電気を使う道具は、使えなくなるかもしれないだろ」
「さすがエルマーくんですわ、冴えています」
「じゃあ、今日の夜にやるの? 降りそうだけど」
ココロが言うと、エルマーは首を振った。
「いや、やるなら外出制限がかかってからだ。なるべくなら、追っ手が掛かりにくい状況になってからの方がいい。イヴを連れて山を降りることを考えても、時間を稼ぎたいし、昼間とは勝手も違う」
「外出制限かかるって、いつわかるの?」
「今日アンティコパが来たんなら、夜には何かしらわかるはずだ。頃合を見て、守衛の事務所に顔出して、シフトを確認してくる。元守衛だから顔出しても怪しまれないしな」
「じゃあ、あとはどうやって外に出るか、ね」
ココロはパンを食べ終えると、口の端に付いたマヨネーズを指で拭って舐めとった。
「ココロさんあなた、なんか作れないんですの? 壁を越える道具みたいなもの」
「材料があれば作れないことないとー思う。アンカーかなんか使って」
「造れるのかよ」
「道具はね。でも流石に壁を登るのは難しいかも、それこそ壁越えで死にそうだし」
十メートル近い高さの壁を、明かりもない夜間に四人で登るなんて危険だ。やってやれないことはないとも思うが、道具の製作には時間がかかるし、仮に出来たとしても、壁を越える段階で怪我をする可能性が高い。最悪、冗談抜きで死ぬ。
「壁に穴を空けるのはどうです?」エミリが言った。
「ハツる(コンクリートを破壊する作業)の? 音やばいよ?」
「ツルハシを使って壁に穴を開けるんですわ。それなら音も最小限で済みます、名案でしょう」
エミリが得意げに胸を張ると、ココロはバカじゃないの、と顔を顰めた。
「壁の厚み三メートルはあるんだよ? 何時間掛かると思ってんのよ。脆くなってるって言ったって手作業じゃムリムリ。だいたい、開けた後の処理はどうすんのよ、そこから感染者が入ってきて事故になったらどうすんの? もうちょっと考えて喋って欲しいわエミリお嬢様には」
「なんですの、その口の利き方! 無礼にも程がありましてよこのチンチクリン!」
「悪かったわね上等なお口の利き方知らないもんで、ごめんあそばせってか?」
「上等ですわ、教えて差し上げますから表へ出なさい! ヘコヘコさせてやりますわ!」
「かかってこいよデカパイ! ついでにあたしのウィンナーパン返せ、狙ってたんだぞ!」
エミリが立ち上がって見下ろすと、ココロも張り合って睨み返した。
そんな二人の下らない口論に溜息を吐いたエルマーは、やめろよ、と間に入った。
「外に出る算段は俺に任せとけ。とりあえず時間くれれば、なんとかしておくよ」
「なんとかしておけるの?」ココロが訊いた。
「だから任せろって。な」
エルマーが言うと、ココロはわかった、と納得して腰を降ろした。
「状況がわかったら、俺がおまえの家まで知らせに行く。エミリもな。それまでは待機だ」
「了解しましたわ」
「……それよりエミリ、門限破りに掟破り、オヤジさんが知ったら大激怒だぞ」
「それは、そうですわね」エミリはむぅっと唇を尖らせた。
「大丈夫か? 多分だけど、後始末の方が大変だぞ」
「そしたらエルマーが庇ってあげなよ、殴られてあげなよ、男らしく」ココロが言った。
「わたくしの為に、エルマーくんが身を挺して庇ってくれるなんて素敵ですわね。名案ですわよココロさん、褒めて差し上げます!」
「冗談よせよ、あの人に殴られたら首から上がなくなっちまう」
たしかに、とココロはくくっと笑った。
「そういえばエルマーさ、まだゾンビホイホイ残ってる?」
「ラン兄ちゃんの所に殆ど捨てちゃったけど、家には三つくらい、未使用のやつがあった。よな?」
「あるよ」テムが答えた。
「じゃあ当日持ってきて、なにかに使えるかも」
「わかった。懐中電灯とかも準備しておけよ、どう転んでも動くのは夜だ」
「ビデオカメラは?」
「さすがに荷物になるから、カメラだけでいいだろ。身軽な方がいい」
「わかった」
「それじゃ、作戦会議は終了だ」
「わかった」
エルマーが手をパンと叩き、それを合図に解散となった。
エルマーやテムはすぐにモペッドに跨ってその場を去り、エミリもそれについて行った。
残されたココロは三人を見送ると、暫くそこで風に当たった。
エミリと張り合ったせいか、それとも王の間が狭かったせいか、やたらと体が熱かった。
ほてった体がいい塩梅に冷めるまで、ココロは『エミリの城』の周りを散歩した。
丸太で作られた城壁には、削るように誰かの名前が彫られたり、絵が描かれたりしている。
昔はこんなものなかったのに、と時間の流れを感じた。
その景色のなかに過去の自分達を重ねながら、今この城を遊び場にしている子供達の落書きを眺めて過ごした。落書きのなかには、相合傘に、男の子と女の子の名前が刻まれたものもあって、ココロはエミリとエルマーの姿を思い浮かべた。
「綱渡り効果ってのがあったな」
今回の悪巧みがきっかけで、二人の距離が縮まったら面白い。
そんな妄想をしながら、ココロは怪しい雲行きを笑い飛ばした。




