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ココロぞんび  作者: キタビ
第八話 追いかけてくる未来を人は予感というそうだ
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「ベッドを借りるよ」


 リチャードはココロの部屋に戻ると、本棚から数冊、迷いのない手つきでロイズの写真集を抜き取り、床に膝を着いて、ベッドの上に写真集を広げた。ココロも荷物を置いてベッドに肘を突き、脇からそれを覗き込んだ。

 開かれたページには、人が住まなくなった村や町、ランドマークの残る都市などの写真が並んでいる。その殆どが、山中の廃工場のように緑に飲まれ、神秘的な景色と化していた。その規模は数十キロから数百キロに及ぶものもあり、どれもが美しく、ココロの旅への憧れを強くした景色ばかりだ。


「ご覧、こういった景色の殆どは、移り行く時代のなか、行き場をなくした人々に切り捨てられた文明の成れの果てだ。そして、世界は自然の力によって時間をかけ、浄化されていった。感染者は人の罪を背負わされた者たちと言われているが、彼等はこういった景色と共に、この世界に多くの変化を齎した」

リチャードはまるで子供に絵本を読み聞かせるような口調で語った。

その声音には、繰り返し語ってきたような深みがあり、ココロは自然と引き込まれた。

「変化」

「社会形態や思想、価値観、宗教、文化、暮らし――まあそれはいい」


 リチャードはページを捲り、「これとこれ、これもだな」と、ある写真を指差した。

 タイトルは『肉樹』――一見草原のなかにぽつんとある、人の背丈ほどの大きなコケが生えたような岩の写真で、巨大なマリモのようにも見える。


「これが、何なんですか?」

「――大昔の『核』という、とても強い破壊力をもった爆弾の被害者だよ」

「被害者? でも爆弾って、ドカン! って辺りをふっ飛ばしちゃうような危ないヤツですよね」


 爆弾の知識がぼんやりしているココロには、リチャードの言葉は難解だった。

 子供の頃、男の子達が「うんこ爆弾!」と叫んで臭う泥だんご(一部本物)を投げつけてきたこともあったが、身近に知っている爆弾はそれのみで、後に仕事の絡みで『発破』の存在を知り、爆弾が危ないものであることを知った。イメージとしては、辺りを破壊するエネルギーの塊で、エンジンに近いものがあるから嫌いではなかった。

 ただ、それの被害者となると、跡形もなく消し飛んでしまっているのではないだろうかと、疑問に思った。


「もちろん、爆心地にいた人間は骨も残らなかったろう。私が言っているのは、その爆風と光りに晒された人のことだ」

「光? 光る爆弾?」ココロは腕を組んで眉を顰めた。

「核と言うのは人の目には見えない放射線というものを放っていて、それが人の設計図であるDNAを傷つけるんだ。その影響を受けた者が感染者になると、こうして人の姿をしないモノに変異する」


 ココロは『肉樹』の写真を一瞥したが、それが人であるなんて信じられなかった。

 仮に人だったとして、『肉樹』の体積は人のそれを越えている。


「これが、人だって言うんですか? ただの大きなマリモじゃ」

「これも感染者の数ある姿の一つに過ぎない。実際に触れてみればわかるが、表面は濡れた土のように冷たいが、瞼を閉じて、感じ取ろうとすれば、鼓動を感じることもできる。この肉樹のどこかに心臓があって、今も脈打っているのだろうね」

「これもその一つって、他にもそういうのあるんですか?」


 訊くと、リチャードはページを捲り、別の写真を指した。

 『人木』、『人木林』とタイトルがつけられた写真には、一見して人の姿をしているように見える木と、大きな木の根に人が寄りかかっているように見える木目の瘤の一群が写っている。


「これもそうだ。『人木』とタイトルがついているが、これは見た目のことを言っているわけじゃない。おそらくこのロイズという写真家はわかっているだろうけど、これも人だったものだよ」

「人の形に似てる木じゃなかったんだ」

「それを苗床にして育つ植物や木もある、それがこういった『人木林』というモノを生む」

「もしかしてこれ、生きてるの?」

「見つけたら、試しに伐ってみるといい。悲鳴を上げるかもしれないがね」


 リチャードはそう言って笑ったが、ココロはぞっとした。

 想像を絶する恐ろしい真実の上にこの景色があること、そしてその景色に感動して、胸を躍らせる自分がいること。正直、頭のどこかではわかっていた。これらの景色が、自分を喜ばせる為に都合よく生まれたはずはないのだ。

 ただその真実は、あまりにも想像を超えていて、言葉が見つからなかった。

 リチャードはそんなココロの素直な反応をどこか懐かしそうに見つめ、愉快そうに笑んだ。


「こういった姿の感染者を、総じて変異体というんだ。変異体に関してはその姿形を含めて規則性や法則性はないが、基本的に普通の感染者と同じで、積極的に危害を加えてくるようなことはない。熊を殴り殺すような個体が現れないとも限らないが、その場合は、おそらく何かの不可抗力であって、意思があるわけじゃないだろう」

「それじゃあ、とくいたいは?」ココロは夢中になった子供のように訊いた。

「特異体か」


 リチャードは言葉を区切ると、思案するような間を置いて、「あれはまた別だ」と言った。


「……別?」

「特異体は人の自我を失わず、言葉だって話すことができるそうだからね」

意思疎通コミュニケーションができるってことですか?」

「実際に見たことがないのでわからないが、記録では、そういうことらしい」


 それが嘘でなければ、それは衝撃的な話だった。

 感染しても自我を失うことなく、生きる者がいる。

 イヴを見ていると、それもあるように思えてくる。


 なら、両親がそうなっているかもしれない。


 そう思うと、胸の中に大きな火が灯ったように体が熱くなった。

 それは希望そのものだ。

 しかし、もしそうなら、二人はとっくに帰ってきているはずだ。

 帰ってきていないということは、つまりそういうことだ。けれど、可能性は低いとわかっていても、両親が感染者になっているのなら、せめて特異体になってくれていればと考えてしまう。


「あの、イヴって特異体だと思いますか?」

「……それはわからない。特異体に関してはかなりのレアケースで、確立は数十億にひとつとも言われていて、私も詳しくは知らない。まあそれも、誰かが流布した作り話かもしれないけどね」

「でも、記録はあったんですよね?」

「記録はね。しかしそんなモノは作れる。あってほしいという強い願望で生み出されたものなら、人を騙すのも容易いだろう。特に、あって困る嘘という訳でもない。どう解釈するかは別として、受け取る人によっては慰めにもなる。せめて君たちの様に映像記録でもあればよかったんだが」


 当然、ロイズの写真集にも特異体は写っていない。仮に写っていたとしても変異体のような判別は難しい。特異体に関しては変異体のように写真もなく、誰かが気まぐれに流した作り話という可能性と、居たとしても数十億分の一の確立という有様だ。ろくな記録もないのに数字が出てくる辺りが既に胡散臭い。

 途端に眉唾のように思えたが、イヴの存在は特異体を思わせるにはじゅうぶんだ。

 ココロは瞼を閉じて俯くと、額を触って小さく息を吐いた。


「リチャードさん、晩年の冒険家って言ってましたけど、その前はなにをしていたんですか? 特異体の記録は、どこで見たんですか?」

「何だと思うかい?」

「学者さん」ココロは即答した。

「アタリ」

「じゃあ、あの白衣は」


 ココロは椅子の背もたれにかけられたボロボロの白衣に目を向けた。

 リチャードもその視線を追い、顎を引いた。


「私はね、とあるコロニーで生き物の生態を研究していた研究員だったんだよ。特異体の記録に関しても、自分の目で見たわけじゃない。職業柄か、そういう話題が仲間内で上がったのさ」


 だからマンイーターや感染者のことに詳しかったのか、と納得がいった。


「じゃあ、アンティコパとはその頃に?」

「そうだね、私も古巣を離れてからはとんと見かけなくなったが、見れば一目でわかる。彼等の纏う空気はこの世界では独特だ。ココロちゃんも感じただろう」

「それは、なんとなく」

「ココロちゃんはこの状況下から彼女を、イヴを助け出したいと、そういう訳だね」


 ココロは頷き、イヴにはバリケードを固めた廃工場に避難させていることを伝えた。

 自分達の推測では、熊を殺したのは何か特別な感染者の存在で、もしもそうであれば、感染者であるイヴが襲われる可能性は低いと考えた。


「リチャードさんの話を聞いた感じだと、マンイーターもあの熊だけとは限らないし、それにアンティコパが来たらきっとイヴが狙われる。あたし達、せめてイヴだけは何とか助けてあげたくて」

「そうなると問題はアンティコパと、まだ居るかもしれない、マンイーターか」

「何かいい考え、ありませんか」


 ココロが助言を求めると、リチャードは杖を手に取り、ゆっくりと椅子に腰掛けた。


「この話は、私だけに?」

「その杖をくれたお兄さんには話しました。あと、大きい足跡と熊の写真は渡してあります。遅かれ早かれ、外へは出られなくなると思うんです。だからその前に」

「彼女を助けるべきか相談をした時、止められたんじゃないかな」

「あたし達の方が大事だって。アンティコパが来る事も、そのお兄さんが教えてくれたんです」


 ココロが言うと、リチャードはランセットの言い分に頷いた。


「であれば、彼女のことからは手を引いた方がいい。実際、彼等にも関わらない方が賢明だ。この楽園のような世界で、彼等は地獄側の住人だ。知れば世界観が変わってしまう」


 それは警告に聞こえた。

 これ以上は、見ないほうがいい。

 聞かない方がいい。

 触れない方がいい。

 知らない方がいい。

 その一線を越えたら、きっと元の生活には戻れない。

 大げさかもしれないが、そう言われた気がした。

 しかし、既にココロのなかの世界観は変わりつつあった。

 学者から見れば遊びのような感染者の研究を続け、リチャードと出会い、マンイーターや変異体、特異体の存在を知った。たしかに恐ろしい話だが、警告をされても今更、という感が強い。


「構いません。あたしたちに見えてる世界はもう、皆とは違う」


 ココロの答えに、リチャードは杖を握る手に力を込め、一点を見つめた。


「なぜそこまでこだわるんだい? 無論、彼女に情が湧く気持ちもわかるが、その彼が言うように、感染者の存在は君達が危険を冒してまで守るべき対象ではないよ。生きている人間と、生きているように見える人間、どちらが大事かなんて比べるまでもない。それが他人であればなおさらだ。それともやはり、お父さんとお母さんのことが関係しているのかな」

「お父さんと、お母さんは別に」


 関係ない。とは言えなかった。

 リチャードの白い瞳は、ココロの心を見透かすように見た。


「ココロちゃん、人にはね、好奇心だけでは越えられない一線、というものがあるんだ。人並み以上の正義感や使命感があったとしても、現実を知らない若者に、それを越えることは簡単じゃない。理想の為に立ち上がっても、一度は現実に打ちのめされる。地面を這って、はじめて胸のうちに、他人ではなく、裏切れない自分の存在があることに気づく。そういう自分に出会った者、それを裏切れない者、目を瞑れない者が、人とは違う己の道を行くんだ。それ以外は皆、無難な道を行く」

「あたし達がそうだって言うんですか?」

「君達じゃない。君だよ、ココロちゃん」


 リチャードに見つめられ、ココロは一瞬目を逸らしそうになった。

 けれど、瞼を閉じることも、目を逸らすこともできなかった。


「ご両親は、感染者になったのだろう?」


 そっと触れるように問われ、ココロは唇をきゅっと結んだ。

 なったかどうかはわからない。けれど、なっている可能性はある。

 ココロはベッドの上の写真集を拾うと棚へ戻し、傍にあった写真立てを一瞥した。

 両親と一緒に写る、この家では当たり前のようにある写真だった。


「わかりません。二人ともあたしが小さい頃に旅に出て、そのまま行方不明になったから。探してくれた人も居たそうなんですけど、見つからなくて。きっと、感染者になったんだと思います」

「……二人がなぜ旅に出たのかは、知っているのかい?」

「いいえ。あたしが聞かなくなったからっていうのもあると思うんですけど、お爺ちゃんも話したがらなかったって言うか。そういうのって空気でわかるじゃないですか、それでなんとなく今まで」


 それに、いまさらそれを考えても、ココロはあまりピンとこなかった。

 両親が傍にいない寂しさは幼い頃に随分味わったが、それも時が経ち、周りの友達が親離れし始めると次第に薄れていった。親がいないわけじゃない。出て行ったきり、帰ってこなくなってしまっただけ。そう納得して生きてきて、気づけば大きくなっていた。


「ご両親を、探そうと思ったことは?」


 なんでそんなこと訊くんだろう、とココロは表情を曇らせたが、答えた。


「……もちろん、両親を探そうって躍起になっていた時期もありますけど」

「諦めた」

「そういうのとは、また少し違うんですけど、そうかもしれない」


 死体を見たわけでも、感染者となった両親を見たわけでもない。

 特異体といった可能性を知った今は、諦めるのも、諦めないのも難しい。

 けれど、だからと言ってこのコロニーを離れて旅に出る自分の姿は想像できない。

 妄想は出来ても、実現することの難しさはわかる。

 それに、自分が旅に出たいのは、ロイズのような写真家になりたかったからだ。

 両親を探すなんて、今更すぎる。


「……そうだね。君の両親が感染者になってしまっているかどうかなんて、そんな事実を確かめる為に、君の貴重な時間を浪費する必要はない。なっていたとして、とっくにアンティコパの手にかけられているかもしれないし、マンイーターの餌食になっていて、出会うことなんて不可能かもしれない。自分で古傷を抉るような真似は、しなくていいと思う」


 ココロは怪訝にリチャードを見た。

 杖でコツンと床を打ったリチャードは、そんなココロの表情にどこか満足げな笑みを湛えていた。

 ココロは妙な違和感を覚えた。

 この家に彼を招いてから、おおよそこんな風に人の不安を煽るようなことを言う人ではないと思っていたからだ。少し距離が縮まって遠慮がなくなったのかと勘ぐると、リチャードはそんなココロの心を覗き見たかのように失笑した。


「いやすまない、ジジイの戯言だよ。けれど、そうして回っていくというのがこの世界の正しい流れなんだろう。忘れるというのも、生きていくことには必要だよ。人は、大切なものや失った人を忘れたり、思い出したりしながら生きていく生き物だから」


 生きいくことに忘れることが必要だと言われ、そうかもしれない、とココロは思った。

 最初から知らなければ、こんな気分になることはなく、今頃それなりに幸せな別の道を歩んでいたことだろう。けれどそうはならず、そうなることを望んでいるわけでもなかった。

 部屋や本棚、家の壁や玄関の靴箱の上には、忘れないように、思い出せるようにと、願いを込められたような家族の写真、両親の写真が、何枚も何枚も飾ってある。やはり、両親が特異体になった可能性が頭にチラつく。そんな都合のいい話があるはずはないと頭ではわかっていても、捨てきれない。

 感染者のことをより知ることで、少なくともココロの世界は広がった。


「リチャードさん、アンティコパのこと、教えてください」

「彼女のことは、諦められないかね?」

「あの子はまだ、あたし達の手の届く距離にいる」


 ココロはリチャードを見据えた。

 これは決意だ。

 未知の領域へ踏み込もうとしていることは理解しているつもりだ。

 けれど、あれだけのものを見てなお、引く気は起きない。

 それ以上に、目を逸らして失われていくモノがあることが怖い。

 だったら戦う。立ち向かう。

 そんなココロの力強い眼差しにリチャードは感嘆し、髭をゆっくりと撫で下ろした。


「まあ、ココロちゃんの場合、何も知らないまま送り出すほうがかえって危険だろうね。言ったところで止まりそうにはないし、お友達も同じだろう」

「わかってくれます?」ココロは棚に背を持たれて腕を組んだ。

「君と同じ歳の頃、私も似たようなものだったから。それにその行動力は既に見た後だ」

「経験者は語ると」

「試すようなことを言って申し訳なかった。だが知りたかったんだ、ココロちゃんの真意をね」

「あたしの真意」ココロは考えるように眉を上げた。

「昔の私は、知ることで正しい答えが導き出せると信じていたから。知識が身を守り、人を助けるとね。だが、正しい行いをするには知識だけでは足りないんだ。相応の力も要る。若さというのは、無知であっても、力不足でも、それを恐れずに動けてしまうということだ。これは、私が年寄りになって、君達のような若者を目の前にしてはじめて知った怖さだよ」

「じゃあ、リチャードさんの知識であたし達を助けてくださいよ」

「私は自分の言葉に責任をもてるほど、もう大人ではないんだよ。何かあっても、君達を守ってあげることはできないだろうし、余計な入れ知恵だ」

「あたし達のことは、あたし達でちゃんとケリをつけますよ。もう大人だし」

「そうできることを、私も願っているよ」


 それからリチャードは、知りうる限りのアンティコパに関する知識をココロに与えた。

 あまり詳しくは知らない。そう前置きされたが、全く知識のないココロからすればそれでも十分だった。ココロはリチャードの話を聞き終えると、時間を確認して家を出る準備を始めた。

 今日はこれと言って持ち物はないが、何枚かの写真と、写真集を持ち出すことにした。


「……これから作戦会議かい?」

「リチャードさんも来ます?」

「君たちに混ざってかね? とても魅力的な提案だが、遠慮しておくよ。もう、あの頃のように真っ直ぐ走れない体なものでね」


 リチャードは窓の外へと目を向けた。


「それじゃあ行ってくるんで、ミートが起きたら餌お願いします」

「ああ、気をつけてね」


 リチャードは最後まで、こちらを向こうとはしなかった。


「リチャードさん、ありがとう」


 ココロは言うと、顔を背けたままのリチャードを見つめたまま、扉を閉じた。

 リチャードは怒っていたのだろうか。

 悲しんでいたのだろうか。

 静かに笑みを湛えていたのだろうか。

 話していた最後の方は、自分と話しているのか、独り言を話しているのかわからなくなるようなズレを感じた。彼は誰と、何を語っていたのだろうか。

 こちらを向かなかったリチャードがどんな顔をしていたのかを想像しながら、ココロは出発した。

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