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「おー、見違えたな、なあテム」エルマーはカメラを構え、シャッターを切った。
「か……うん」テムはイヴに見惚れた。
「テム?」
すっかり綺麗になったイヴは、髪の毛こそ湿っているものの、おおよそ町中にいてもわからないくらい真っ当な姿になった。汚れが落ちるだけでも、印象はだいぶ変わる。
火のそばに連れて行くと、イヴはそれに興味を抱いた。パキパキと音を立て、空気を歪ませるあたたかい炎の傍に座らせると、何度もそれに触れようとした。
「火が珍しいのか」
「当然といえば、当然ですわね」
「でも触るのはダメ。火傷するよ」ココロはイブの伸ばした手を掴んだ。
「カメラ回すよ」
テムがカメラの録画ボタンを押した。
フレームの位置は、焚火を囲んでいる自分たちに固定してある。
「で、なんか持ってきたのか?」
「そうだ。ちょっと待ってて」
ココロはモペッドの荷台に座らせていたぬいぐるみのアリソンを持ってくると、「ジャジャーン。アリソン、あたしの妹」と頬を押し付けた。
イヴはそれを見ると立ち上がり、ブリキの人形を手にしたまま、両手を伸ばした。
「お、欲しいか? これが欲しいかね?」
ココロは意地悪く引っ込めた。
イヴがさらに腕を伸ばし、よたよたと歩きだした。
長靴で焚火を横切るように踏み越え、髪の先端から湯気を立てながら直進した。
「ちょっとストップ! 髪燃えるっ!」
慌ててエルマーがイヴを抱えて火元から離した。
が、腕の中でイヴは足をバタバタと動かし、抵抗した。
珍しく、強い意思を感じた。
火なんて怖くない。
それよりもそのうさぎさんを私にちょうだい。
「ココロさん、ちょっと場所を考えてください!」
「いやぁメンゴメンゴ、まさかこんなに反応するとは思わなかったからさ」
ココロもさすがに反省し、素直にアリソンを渡した。
ぎゅっと腕にアリソンを抱いたイヴは、心なしか満足そうだ。
「でもこれで、イヴにも好みがあるってはっきりしたな」
「ブリキの人形も好きみたいだけどね」
「でも、あのぬいぐるみ差し上げてしまっていいんですの? たしかあれ、あなたのご両親が二歳の誕生日にプレゼントしてくれた大事なものなんじゃ」
「……あんたよく知ってるな」
「あなたが自慢してきたのでしょう」
「いつの話よ」
「十年くらい前、ですわね」
「ホント、よく覚えてるなあ」
「それより、本当にいいんですの? いくらこの子が可愛くても、あれは」
エミリは言葉を飲み込んだ。
エルマーやテムも、本当にいいのかと目を向けてきた。
アリソンはココロが幼い頃から大切にしていたもので、ブラウニーで働いている時もよく持ち歩いていた。ところが、一年もすると後輩の子達がアリソンを欲しがるようになった。
ブラウニーでは珍しいことではないし、年長が年少の子に自分のお気に入りを取られたり、譲ったりする姿も、何度も見ていた。ただ、ココロにはアリソンしかなかった。他の子と違って、お父さんやお母さんが代わりを見つけてくれるわけじゃない。せがまれてもあげるわけにはいかないと、ココロはアリソンを持ち歩かなくなった。
ココロにとっては両親から送られた最初で最後、唯一の大切なプレゼントだ。
それを、感染者の女の子、それもちょっと可愛くて、人格が感じられるくらいのことで渡す理由にはならない。そんな風にエミリ達は考えているようだった。
しかしココロは、アリソンをぎゅっと抱えて離さないイヴを見て、小さく笑んだ。
「いいんだよ。こんなに気に入ってるんだもん。それに、この子はこれからも、へたしたらずっと一人で、この広い世界を歩き続けることになる」
それはきっと、寂しいはずだ。
そういった感情があるかは別にしても、もしも自分だったら、そんなのきっと耐えられない。
だから、いい。自分はもう寂しくはないから。
イヴはアリソンのふかふかの耳を触り、腕や足も引きちぎらんばかりの勢いで引っ張った。
ココロはそんなイヴから一度アリソンを取り上げると、言い聞かせるように、扱い方を教えた。
「イヴ、これはね、あたしのお父さんとお母さんがくれた宝物なんだ。名前はアリソン、あたしと一緒に悪い奴らをやっつけてきた最強の相棒だよ。こうやって撫でて、抱きしめて、大事にしてあげて」
ココロはアリソンの頭を撫でてから、イヴに渡した。
イヴはアリソンの右耳を咥えると、その手で、ココロがしたようにアリソンを撫でた。
よしよし、とココロはイヴの頭を撫でた。
「お、髪もだいぶ乾いたね」
「なら、わたくしが髪を梳いて差し上げますわ」
「写真と動画は、結構撮れてる?」
「心配ない。元々写真はかなり撮ってたし、イヴが他の感染者とは違うって証明するには、じゅうぶんなくらい映像も撮れてる」
エルマーはビデオカメラのファインダーを覗きながら言うと、ココロとイヴを見比べた。
「そういえば、気づいてるか?」
「何に?」
「イヴの瞳の色、お前と一緒なの」
「だから最初に会ったとき、他人って気がしなかったのか」
ココロが納得したように言うと、そうだったのかとエルマーは眉を上げた。
「そういえば、珍しい色ですよね。お父様とお母様、どちらの遺伝ですの?」
「お母さん。写真で見た」
「この写真見てみろよ、こうしてみると姉妹みたいだろ」
エルマーが差し出した写真を確認してみると、たしかに二人はよく似ていた。
瞳の色もそうだが、幼い頃のココロを知るエルマーやエミリには、本当に小さい頃のココロを見ているようだった。髪の毛を短くカットすれば、瓜二つだ。
「ま、いくら可愛くても、町へ連れ帰るわけにはいかないんだけどね」
「それだ。こんな格好じゃ、誰かが間違えて近づいちゃうかもしれないし。なんとかここを離れてくれりゃいいんだけど」
「言えばわかんないかな?」
「わかるかー?」
それは難しいだろ、とエルマーは難しい顔で首を捻った。
今のイヴが山の麓に現れたら、きっと出会った人はイヴを感染者とは思わない。
せいぜい、無口で内気な少女だ。もしもアリソンに見覚えがある大人が出会ったとしたら、なおさら危険だ。「ココロちゃんの知り合いかい?」と連れて帰ってしまうかもしれない。イヴの方から襲うことはないとしても、感染源であることには変わりない。そうなった場合、なにが原因で事故に繋がるかは、本当にわからない。
「よっぽどのことがない限り大丈夫だとは思うけど。何かいい方法ないかな」
「そもそもイヴはどっから来たんだろうね」テムが訊いた。
「なにか理由があって離れないのかな?」
「理由って?」
「それはイヴに聞いてみないと」
ココロは言いながら、聞いてみるかと思い立った。
「イヴはどこから来たの? おうちはどこ? お父さんと、お母さんは?」
イヴは答えないが、ココロに何かを訴えかけようとするような眼差しを送った。
「何かわかるか? アイコンタクト」
「さっぱりわからんね」ココロは困ったねと笑った。




