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「お父ざんのバガァ、ハゲ! もうキライ!」
ちょうどエミリのアパートを通りすぎようとした時、そんな醜い声が聞こえた。
聞き違いでなければエミリの声だが、十五にもなってそんな程度の低い反抗があるかと、一瞬耳を疑った。親への反抗にしては幼稚な言葉で、みっともなく泣き喚いている。対する親は、「いいから聞きなさい! お父さんはお前のことを心配してだな!」と少し戸惑った様子だった。
ラウルの声だ。間違いない、ワンツ親子だ。
ココロはアパートの入口を通り過ぎると、モペッドのエンジンを止め、カメラを起こした。
「もうついて来ないでよ! お父さんなんて嫌い! こっち来ないで!」
「だから、モペッドは危ないからダメだって言ってるだろう! ほら、パパの自転車貸してやるから!」
「ココロちゃんが造ってくれたモペッドじゃなきゃイヤなの! お母さん、お父さんどっか連れてってよぉ!」
「なんだいなんだい、エミリちゃんお父さんと喧嘩しちゃったのかい? 嫌いなんて、思ってもないこと言っちゃお父さん可哀想だよ」
知らないお婆さんの声まで聞こえてきて、ココロは絶句した。
気まずいし、居づらいし、面白いからもうちょっと聞いていたい。
そんな気持ちがせめぎあう。
暫くそうしていると、目を真っ赤にしたエミリが掌で涙を拭いながら、モペッドを押してアパートの入口から姿を見せた。エグッエグッ、と嗚咽を漏らしていたエミリは、ココロと目が合うと鼻水を垂らした不細工な顔のまま、棒立ちになった。
「……おはようエミリ」
ココロはにっと笑い、カメラを構え、シャッターを切った。
排出されたフィルムを抜き取り、指に挟んでひらひらと振った。
「ご……ごきげんよぅ……んー、もうやだぁ」
弱弱しく言ったエミリは、行き場のない恥ずかしさと怒りからか、俯いてプルプル震えた。
そんなエミリの後を追いかけて来たラウルも、ココロと目が合うと一瞬固まって、「よう、久しぶりだなココロちゃん」と愛想よく笑った。もう一度、ココロはシャッターを切った。
「やっぱ説き伏せられなかったか」
「違います! お父様が分からず屋だから、こうなったんです!」
「だからよエミリ、違うって、父さんはお前が怪我でもしたらって心配で、昨日だって体に傷つくって――」
「怪我しないで大人になる人がいるんですの!? わたくしだってもう大人です! 放っておいてください!」
言いながらエミリは教えた通りの手順でエンジンをかけると、ラウルの制止を振り切ってモペッドに跨り、走り出した。ココロの脇を通りぬけ、「置いていきますわよ!」と、あっという間に距離を開けていく。それを追いかけたラウルも、さすがに追いつけないと、ココロの脇で足を止め、やれやれ、と頭を掻いた。
「ごめんねエミパパ、あたしが根負けして、モペッド造っちゃったんだよ」
「いや、ココロちゃんは悪くねえよ、むしろ今までよく断り続けてくれたと感謝してるくらいだ」
「どういたしまして。それより大変そうだね、親子って」
「あー、俺も頭じゃ、あの子も大人になったってわかってんだ。いつまでも過保護に構ってちゃいけねえってな、ウチのにもよく言われてる。特に今は年頃だし……でもやっぱな、子供がいくつになったって心配なんだよ。こんなことココロちゃんに言ってもあれだけどな」
大きく溜息を吐いたラウルの姿には、いいお父さんだなと素直に好感が持てた。
落ち込んで肩を落とす姿は、丸くなった熊さんのようでどこか可愛らしい。
それに比べ大人になったと言うエミリは、さっきのやり取りを見るにちっとも大人じゃない。
「エミリならあたしが見てるから、心配しなくていいよ。もしも危なそうだったら、モペッド細工して動かなくしちゃうから」
「ココロちゃんがそう言ってくれんなら、まあこっちとしては少し安心できるけど、動かなくなったらなったで、あの子はうるさいぞ」
「それはこっちで解決するんで、親子の問題はそっちで解決してくださいね」
ココロはラウルのいい笑顔と、俯いたエミリのツーショット写真を渡した。
ラウルはフィルムに浮かんだ画に、可笑しそうに小さく笑った。
「思い出にとっておくよ。それよりココロちゃん達、壁の外でなにやってんだ? エミリのやつ、ココロちゃん達と遊ぶんだって子供みたいにはしゃいで、何してるかも教えてくれないんだ」
「年頃だから、あたしらも秘密の一つや二つあるって」
「頼むよ」教えてくれ、とラウルは両手を合わせた。
「映画の撮影……さっきのやり取りも撮っておけばよかったかなって思ってる」
ココロは鼻の下が伸びるのを隠すように、もう一枚の写真で口元を覆った。
ラウルはよしてくれと苦笑いして、腰に手を当てた。
「なるほど映画の撮影か。ま、いい青春送ってくれるなら、それでいいんだ。とにかく、夢中になると無茶する子だから、よく見ててやってくれ。ほんと頼む」
「任せて」
「今度、家に泊まりにおいで。エミリも、ウチのも喜ぶ」
「じゃ、今度」
「ああ」
ラウルが小さく手を上げ、グーパーグーパーをするようにバイバイした。
ココロはエンジンを始動して、エミリの後を追いかけた。




