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イヴに関する記録と写真に目を通すうちに、ランセットの表情は次第に真剣みを帯びた。
口元は微笑んだままだが、目つきが変わり、彼の周りだけ時間が止まったかのように、身じろぎ一つ、瞬き一つしなくなった。
クラシックな音楽が流れる静かな店内で、たしかに時間が進んでいることを伝えるように、沢山の時計の秒針がコチコチと時を刻む。
ランセットがノートをパタンと閉じると、ココロ達は終わったかなと顔を上げた。
しかしランセットは一つ息をすると、もう一度ノートを開いて最初から読み返し、食い入るように一枚一枚の写真を確認した。そのサイクルはそれから三回続いた。考えを整理しているのはわかるが、それがなかなか長く、待っているココロ達は退屈だった。かといって、集中しているランセットを邪魔する訳にもいかない。
気づけばココロは跨っていたエンジンのないバイクで、エミリは椅子で転寝し、テムはチェス盤で一人チェスをして時間を潰していた。知らない文字の並ぶ本に目を通していたエルマーは時計を確認すると、本を閉じた。
「……ラン兄ちゃん、どう思う?」
そう尋ねる声に、ココロとエミリもふっと目を覚ました。
ランセットは閉じたノートをカウンターに置いて、指でとんとん、と叩いた。
「正直、驚いてる。人を襲わない感染者なんて聞いたことがない。まあ、注釈にある空気感染云々は有り得そうで怖いけど、もしそうなら四人ともアウトで、君達の家族も、僕もアウトだ。このコロニーが、数週間後には死化する可能性もある。もっと言うなら、人類全体の危機だ」
「だよね」
「ま、そんなどうしようもない想像は置いといて、このイヴっていう子が記録どおりなら大発見だ。この子には知能や学習能力もあるように思えるし、そうなれば、コミュニケーションが取れるはじめての感染者――いや、新しい人類の発見、かもしれない」
なんだか話が大きくなってきたな、と四人は顔を見合わせた。
「新しい人類?」
「エミリちゃんはこの子を感染者じゃない可能性を考えたみたいだけど、それもありえる話だよ。感染者は僕らと同じ人間で、病気に感染することでああいった状態になるけど、その姿のまま、知性や理性を失わずにいられるっていうことは、もしかしたら病原菌に対する抵抗力をもっているのかもしれない」
「抵抗力」
「特効薬の研究の足がかりにだってなる発見だ。けど、その為には設備の整った然るべき研究機関で彼女を調べる必要がある」
「特効薬って、ラン兄ちゃんが持ってた昔のゴシップ記事の切れ端に載ってたやつ?」
「ゴシップ記事って、なんですの?」
エミリが訊くと、ランセットは席を立ち、バックヤードへ引っ込んだ。
戻ってくると、手にしたアクリル板をエミリに手渡した。二枚のアクリル板を重ね、一枚の記事を密閉して保存した過去の記録だ。
「それは旧暦時代の世間に流れた、感染者に効く薬『特効薬』に関する記事の一枚で、僕の祖父が手に入れて、最後まで必ずあるって信じて、大切にしていたものだよ。眉唾でも噂でも、そういうものがあったとされる当時の貴重な資料の断片だ」
そういった記事が、当時はあちこちで発行されたそうだ。それが世界の混乱を招いた。製薬会社や医療機関、保健機関、あらゆる所から、特効薬の開発に成功したとか、感染者の患者が元に戻ったといった情報が流れ、人が押し寄せ、偽の情報だと知れると、暴動が起きた。それくらい、『特効薬』という言葉は、人々にとっての希望であったのだ。
「その研究機関って、どこにあるんですの?」
「中央なら、あると思う」
「中央って、中央コロニーのことだよね」
「そう。僕等人類の中心地、今の僕らの暮らしのすべて、基盤を支えている中枢だ。この子のことを研究するにはじゅうぶんな施設や設備、研究員もいる」
「中央なら、全て揃っているということですか」
「そこになければ、この世界の何処を探したってないね」
ランセットは肩を竦めた。
「知らせた方がいいと思う?」
エルマーが訊くと、ランセットは考える間を置いた。
「人類の為には、そうかもしれない。けど、そうじゃないかもしれない。その答えは、僕にはわからないし、決断もできない。彼女を引き渡せば、おそらく大きな発見として称えて貰えるかもしれないけど、彼女は実験動物同然の扱いを受けると思う。君達が今まで感染者にしていた実験とは比べ物にならない、それこそ、感染者にとっては苦痛を伴う実験だってあるはずだ。それをわかった上で、彼女を研究機関に引き渡せるかどうかは、別の話だ」
「どうしたらいいの?」テムが不安そうに訊いた。
「君達が見つけたんだ、どうするかは君達で決めるといい。僕は、その決断を尊重するし、必要なら協力もするよ」
感染者に限らず、今の医療技術だって様々な動物実験の恩恵を受けている。コロニーでの暮らしも、危険を冒し、犠牲になってきた人たちが居たから確立されたものだ。そう考えれば、犠牲なくして得られる物はない。
ココロ達にも、それくらいはわかっている。
けれど、人類の為になるかもしれない発見と、イヴを天秤にかけることはできなかった。
「あたしは、イヴをそんな場所に連れてくつもりはまったくない」
ココロはこれ以上話が変な方向へ進むのを拒絶するように、強く言った。
それを聞いて、エルマー達の緊張した表情もほっと和らいだ。
人類の為になるかもしれない発見。
そう聞いてから、自分達の決断がとても重いものに感じられたが、これはそういう話じゃない。
ランセットはココロ達の強い意思を感じとって、そう言うと思ったよ、と微笑んだ。
「でも、それくらい凄い発見だってことは、伝えておく。かといって、何も残さないというのも、それはそれでもったいない。そこで、いいものを貸してあげるよ。記録はないより、あったほうがいいからね」
「記録って」
「人類の為とか未来とか、そういう難しいことは、未来の誰かに任せる。その誰かに渡す為のバトンを、君達が作るんだ」
ランセットは言うと、バックヤードへ入り、棚にしまわれていたビデオカメラをカウンターへ運んだ。珍しい機械だったので、ココロ達は吸い寄せられるようにカウンターへ集まった。
ランセットは機械の埃に息を吹きかけて軽く払った。
掌には納まらないほど大きい、カメラの親玉のような機械で、まるで望遠鏡のように大きなレンズが付いていた。
「なにこれ」ココロは興味津々に訊いた。
「映画の撮影とかに使われるビデオカメラ。コロニーの建造当初の記録とか、大掛かりな記録を残す時に使われたものだよ。他所のコロニーから流れて来た骨董品だけど、使い方は簡単だし、テープも電池もある」
「映像を残せるの?」
「そういうこと」ランセットは嬉しそうに笑んだ。
「音も録れるの?」
「鮮明に、とはいかないけどね。でも、きっといいものが撮れると思う。僕も見たいしね」
「チケット何枚?」
「いらないよ。貸すだけだし、僕はこの店の主だ。ただ壊さないように扱いだけはじゅうぶん気をつけてね、なにせ骨董品だから」
「でも、借りるにしてもタダじゃ悪いよ」
「なら、その子を納めたフィルムと、君達の思い出の記録をもらうよ」
それは結局、ココロ達にとってはメリットしかない話だった。
録画したテープをランセットがもらうと言っても、それはここで大切に保管するという意味で、誰かに渡すわけじゃない。将来懐かしい気分に浸りたければここへ来れば、いつだって見せてもらえる。
「それで、誰が使う?」
「やっぱココロだろ」
「兄ちゃん! 俺! 俺も!」テムが手をぴんと伸ばした。
「じゃ、ココロとテムで」
「おっけー、じゃあ二人とも、使い方を教えるからね」
ココロはテムと一緒に、ビデオカメラのレクチャーを受けた。




