104
後ろを取られないように、ジャックはトラックを背にして周囲を警戒した。
ワイパーがウィンドウを引きずる音と、風に揺れる木々と草の音が辺りを満たした。
ペンライトの灯りを走らせても、レクサーの気配は感じない。この辺りには遮蔽物になるものは殆どない。道に沿って木が植えられていて、人が身を隠せるほどの茂みも多くはない。血の痕も探したが、近くには見当たらない。
ジャックが舌を打つと、その苛立ちを嘲笑するように、トラックを挟んだ背後から声が聞こえた。
「なるほど、眼鏡も必要なくなるとは。夜のほうが良く見える。今日は月も出て、空も明るい、ここは眩しいくらいだがね」
「脳みそ拾い忘れてるぞ」
「頭がすっきりしている訳だ。脳の萎縮した私には大半が重りだったのかもしれないね」
「かもな」
「脳よりも、歯が生えてくれないことがショックだ」
「噛み付くのに必要か?」
「トウモロコシを食べるのに苦戦してね」
レクサーが楽しそうに笑う声を聞いて、ジャックは走って反対側へ回り込んだ。
銃を構えたが、姿がない。
「こっちだ」
荷台の縁に銃口を向けて引き金を引いた。弾いたが、手応えはない。気配を探れば、子供が素足で走り回るような足音と、愉快そうなレクサーの笑う声が聞こえた。ジャックはスライドが上がりきった銃を捨て、吊っていた稲妻を体の前にずらし、サングラスをかけた。
狙いを定めようにも、レクサーははしゃいだ子供のように辺りを駆け回り、跳ねた。
照準が定まらない。
「このELという薬は素晴らしいね、膂力、治癒力の向上! 痛みまで消えて、心まで若返るようだよ! 野を駆け回るのなんて半世紀も味わっていなかった! 私は子供の頃、いつもかけっこはビリだったが、今なら皆にも勝てる気がする! 競争する相手が皆向こう側へ行ってしまったのが残念でならない!」
気味が悪いほど高いテンションに、ジャックは後ずさった。周囲を警戒しながらトラックから離れ、射程に木や遮蔽物が入らない位置へ移動した。周囲は土と草原だけだ。
落ち着きのないサル並みに俊敏な老人を相手に、想像以上の苦戦振りだ。
レクサーの影は見えるが、早すぎて目が追いつかなかった。
「いったい、なんのつもりだ。お前、俺達に復讐するのが目的だろう、だったらさっさとかかってきやがれ! いつまではしゃいでんだ!」
「はしゃぎもするさ! これが人生最初で最後のかけっこになるかもしれないんだからね! 土の匂いも、風の感触も、人目をはばからず、歳を考えずに大きな声で笑えるのもこれが最後だ! 酒に溺れる必要もない! 実にいい気分だ! この万能感はたまらないよ!」
「ご苦労なことだぜ。老骨に鞭打って、平穏な暮らしを捨てて半世紀近くも俺達を殺すのに彷徨ってんだからな!」
皮肉っぽく言うと、レクサーは笑った。
「平穏に浸れば誰もが癒されるわけではないんだよ! 私の心は嵐のように荒れるんだ!」
「そうかい、同情するよ」
「これは復讐ではなく弱い人間の抵抗なんだよ! 私の声を、苦痛の声を聞いて欲しいというね! 私の故郷は、死化してすぐ君達アンティコパによって破棄され埋められた! 家族も友人も、顔も知らない誰かさんも、暮らしていた者達は皆そうだ! 私も元は中央の人間だ、理性的に納得しようとしたさ! 私は道をつくり、歩こうとした! 君の言う平穏のなかでも戦っていこうとしたよ、だが遮られた! 中央は私たち被害者にとても冷たい! 従順な被害者であることを彼等は強要する! 君たちアンティコパは何の為に存在しているのだね!? 残された人類の抗体として存在する君達が、なぜこの世界から感染者の疫病を打ち払う為に立ち上がらない! 君達の歴史は中央よりも古いはずなのに、武器を取り上げられ、中央の決定にしか従うことができない私のような者達にとって君達は希望だというのに! 崇高な志を捨て、今となっては地獄の処刑人だ!」
「クレームなら支部に言ってくれ! アドレス知ってんだろ!」
「勘違いさせたなら済まない、いまさら君たちにどうこうして欲しいとは思っていないんだ! ただね、私は世界を旅して、感染者に可能性を感じたからこそ、世界を感染者で埋め尽くしても構わないと考えた! 誰もが被害者になるのではない! みんなで永遠に生きればいい! 居場所を追われた者達のことを想えば、これは救済だ! もしも君達がそれを良しとしないのであれば、いつか私の望みを叶えてくれると信じているよ!」
レクサーは、いちいち頭に青筋を浮かべながら叫んでいるような調子で話し続けた。
お陰で、ジャックは冷静になった。
「身の上話を聞いてやってんだ、ついでに教えろ、山に居た特異体はお前の仲間か」
「彼等は仲間ではない! 敵でもない! 私にとっては可能性そのものであり希望でもある! だが君に教える義理はない! なぜなら君は私の敵だからだ!」
「あったまってきたんじゃねえか? そろそろ来いよ!」
誘い文句にレクサーが乗る空気を感じて、ジャックは勘に頼って構え、固定した。
頭部が歪んだレクサーが顔から迫ってくると、ジャックは引き金を絞った。
雷鳴のような破裂音と共に、視界が一気に青白い閃光に包まれ、距離を取ったはずのトラックが爆発した。黒煙を上げ、赤く燃え盛る愛車の姿に、思わずサングラスを持ち上げた。
「……ふざけんなよ」
二発目は間に合わない。
負けを認めるのも癪だが、武器でどうこうなる相手ではない。
ジャックが稲妻を肩から降ろすと、「残念だったね」と声がした。
見れば、レクサーは正面に立っていた。ジャックが蹴り飛ばそうとするよりも早く、レクサーの拳が胸にたたきつけられた。骨が折れる音がしたが、自分の肋骨か、レクサーの拳かはわからなかった。とにかく重く、突き刺さるような痛みが走り、気づけば地面を転がっていた。
「……やりやがったな、くそ」
ジャックは血を吐き出し、口を拭った。
視界の端に小さな爪先が映った。土だらけになった、爪の伸びた足だ。
顔を上げると、怪物のような頭をしたレクサーが、とても悲しげな表情で見下ろしていた。
「……見下してんじゃねえぞ」
そう言うと、レクサーは腰をかがめ、目線を合わせてきた。
そういう意味じゃねえ、とジャックは睨んだ。
「君も私と同じように、感染者を身内に持つ者だ。見てきたものが違うだけで、随分違う人生を歩むようだが、殺す前に一つ聞きたい」
「……なんだよ」
「半世紀前のアンティコパは、中央に飼いならされた犬同然だった。とは言っても、皆気のいい連中だったがね。話していると、傷の舐め合いをして時間を無駄にしていくような気がしてきて、自分にイラついたりもした。今の君達は、いったいどういうつもりでアンティコパになったんだね。君の意見でいい、聞かせてくれ」
ジャックはジャケットの内側にあるELの感触に意識を集中しながら、サニーの言葉を思い出した。
「……どっかの間抜けは、アンティコパはみんなの希望の太陽だとよ」
「彼女か。それで、君は?」
ジャックは体を伏せ、ピストル型注射器のグリップを握った。
「俺にしてみりゃ、過去なんてどうでもいい。あんたの過去にしたって、俺の知ったことじゃない。他人の人生なんて、所詮他人のものだ。主役はそいつで、どうしたいかはそいつが決めればいい。ただ俺は、俺が味わった胸糞悪い想いを誰にもさせない為に、クソみたいな景色を見せない為にやってるつもりだ。中央の方針なんて知ったことかよ、俺達からすれば、ないものはない。俺達が失ったモノはそういうものだろ。なら、まだそれを失わずに済んでるやつを守るだけだ」
ジャックは自分にELを打ち込む覚悟を決めて、注射器をホルスターから引き抜いた。
その瞬間、「伏せてください!」と声がした。ジャックは反射的に頭を庇った。
「――んぅん!」
恐る恐る覗き見れば、レクサーの胸から黒い腕が生えていた。
手には今も鼓動する心臓が握られていて、目を疑った。
レクサーはその腕を掴み、肩越しに見たサニーの姿に目を見開いた。
黒いコートを纏い、ガスマスクとサングラスで顔を覆っていて、表情も読めない。
「……たしかに、殺したはずだが」
「生憎、私も純粋に人とは言えない存在でして」
「……まさか、特異体だったとでも言うのか」
サニーは突き立てた腕を引き抜いた。レクサーはその場に座り込み、後ろ向きに倒れた。
サニーはその背中を支え、レクサーが凝視した両手の上に、心臓を返した。
「心臓、お返しします」
「はは、体を離れても健気に脈打つ私の心臓」
「……強い心臓です」
「君のような異端が、なぜアンティコパに」
サニーはゆっくりとレクサーを寝かせ、頭を膝の上に乗せた。
サングラスを外し、マスクを下ろした。
そこに見た、哀れむような、それでいて優しげな表情に、レクサーは見惚れた。
心臓が抜かれたせいなのか、背骨を砕かれたからなのか、心が折れたからなのかはわからないが、力が入らなくなっていた。
「私は、特効薬を探しています」
「……君が?」
「なにか、知っていることがあれば教えてください」
サニーが問いかけると、レクサーは雲のない星空を見上げた。
無数の星の輝きの一つ一つが、太陽のように眩しく映った。
「……特効薬の存在を信じている者は、君のほかにもいる」
「それって」
「だが、彼等はそれを消す為に血眼だ。役目に目覚めたなら、急いだ方がいい」
――彼等。
レクサーは最後の最後に満足そうな笑みを湛えると、小さく息を吐いた。
「……ココロちゃんに会ったら伝えてくれ。旅の最後に、人だった頃を思い出せた。あたたかい居場所をありがとう、と」
そう言い残して、レクサーは自分の心臓を愛おしそうに撫でながら、鼓動が止まると同時に瞼を閉じた。
「……死んだのか?」
ジャックが訊くと、サニーはレクサーの頭を地面に下ろすと、いいえと首を振った。
心臓の鼓動は止まったのではなく、静かに、緩やかになっただけだ。レクサー自身も、一時的に気絶した状態になっただけだろう。様子を覗っていると、レクサーの眼球が動き、瞼が開いた。
心臓を抜き取られていても、呼吸をはじめ、その瞳は空を見上げた。しかし、脳の大半を失っても饒舌に語っていたレクサーの面影はそこにはなかった。
「おい、こいつ」
「……叩いても何も出てきませんよ。彼はもう、私達の理から外れた世界に居ますから」
寂しそうに言ったサニーの言葉に、ジャックは眉を顰めた。
レクサーの満足そうな死に顔にも納得はいかなかったし、サニーが今もなお穏やかな表情なのも気に食わない。何より、サニー自身が自分を純粋な人ではないと口にしたことを、無視するわけにはいかなかった。
「説明しろよ」
ジャックは立ち上がり、サニーを見据えた。
サニーはその熱い視線に微笑むと、サングラスをかけ、マスクを嵌めた。
「私の存在に関しては、支部が保障しています。積もる話は後にして、まずは溜まった仕事を片づけましょう。とりあえず、ジャックさんは傷の手当を受けたほうがいいですし、燃えてるトラックもなんとかしないとですよ」
言われて、ジャックは真っ赤に炎上する愛車の存在を思い出した。
「お前! カギ付けっぱなしにしてやがったろ!」
「だって盗む人なんていないじゃないですか」
「いただろうが、ボケ女!」
「大声出すと傷に響きますよ」
言いながら、サニーとジャックは『第0056コロニー』での仕事の後始末へと取り掛かった。
その日、無線で全ての事態が片付いたことが告げられるまで、鎮魂の鐘は鳴り続けた。




