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居住区を抜ける直前、無線機が鳴った。
ジャックが応答すると、息切れしているサニーの声が聞こえた。
『ジャックさん、レクサーさんが向ってます。止めてください』
「撃たれたのか?」
『平気ですよ。それより、時間を稼いでください。すぐに向います』
「おいそりゃどういうことだ、おい――っち、切りやがった。っていうか敵に『さん』付けなんてしてんじゃねえよこのボケ女! 撃たれてんだろうが!」
ジャックは悪態を吐いて無線を投げ、アクセルを強く踏み込んだ。咳き込みながらも加速する古い車は、今にも壊れそうな音を車内に響かせた。居住区を抜けると、ヘッドライトも点けづに道を逆送してくるトラックを見つけて顔を顰めた。
「あいつ、鍵付けっぱなしにしやがったな!」
運転手はレクサーだ。
ボケが! とジャックは再度悪態を吐いた。このままぶつけて止めるかと考えたが、自分の車に突っ込むのは勇気が居る。というか、こんなおんぼろでぶつかったらこっちが運転席ごと潰される。一発であのよいきだ。
「道開けろクソジジイ!」
クラクションを鳴らすと、レクサーもクラクションを返してきた。
ふざけんな、とジャックはハンドルを叩き、座席を倒して背中を反るように姿勢を固定した。
クリアから奪って来た銃を抜き、フロントウィンドウを挟んでトラックの前輪タイヤに狙いをつける。車高がある分、当たる確立は高い。外したり、タイヤをバーストさせるタイミングがずれても正面からぺしゃんこだ。激突する直前に脱出なんて出来る状態でもない。レクサーを直接狙うにしても、角度がある上に、向こうは防弾だ。こんな拳銃じゃ破れない。
ジャックが引き金を絞って乱射すると、フロントガラスに亀裂が入り、穴が開いた。直後にレクサーがヘッドライトを点けて目を眩ませて来た。堪らず、ジャックはブレーキを踏んでハンドルを切った。
車体が傾き、道脇の植木へ横腹から突っ込んだ。
視界が暴れ、頭をあちこちにぶつけ、息が苦しくなった。
ギプスをしていてよかった。
ジャックは頭を上げると、足元に転がっていた銃を手に取り、残弾を確認した。一発だけ残っている。歪んだドアを蹴破り、右腕を固定したギプスを外して、車外へ出た。レクサーとすれ違う瞬間、エンジン音が一気に上がる音と、豪快にクラッシュした音が聞こえたので嫌な予感はしていたが、愛車は横転し、右側のボディを地面に引きずって停車していた。タイヤがバーストし、脇へ逸れてひっくり返ったのだ。荷台の荷物がひっくり返されていたのは不幸中の幸いだ。
感染者用の武器が積んである。
ジャックは銃を手にしたまま、赤いテールライトが灯ったままのトラックへ向って歩いた。
あの横転で気を失ってくれていれば、これで終わる。
最悪、死んでくれていても構わない。
「人の車をチキンレースに使いやがって」
ジャックは足元に落ちていたバッテリーボックスを見つけると、それを腰のベルトに固定し、近くに目を走らせた。傍に大型ライフル程の対ゾンビ用に開発されたスタンガン、『稲妻』が落ちていて、鈍い光りを放っていた。
「よしよし、やっと出番だな」ジャックは銃を置いた。
有効射程距離は二十メートルと見かけより短く、腰に提げたバッテリーボックスとケーブルで連結して使用する。高圧力の電撃を放つ大型のスタンガンだが、ゾンビに対する威力は折り紙つきでも、一発ごとに再充電が必要になる為連射ができないことと、ピンポイントにゾンビの心臓を射抜く為には下準備が必要になること、天候や環境にも左右されることが欠点と言える。
持ち主のジャックの印象は、わざと不完全に作られた欠点だらけの装備で、ないよりマシ程度、状況によっては邪魔になる代物だった。それが今では心強い。
見た目だけでも脅しにはじゅうぶんだ。
ケーブルでバッテリーボックスと連結して電源を入れると、緑色のランプが点滅し、充填を始めた。二十秒もあれば一発は撃てる。ただ、本来は雷撃のポイントを定める為の『雷針』と呼ばれる鉄の針が必要になるのだが、それは見当たらない。
とにかく、今はこれが精一杯の武装だ。
ジャックは稲妻についた泥汚れを手で叩き落とし、スリングに頭を通して肩に吊った。胸ポケットから取り出したペンライトを点灯して左手に持ち、拾った拳銃を右手で構えた。トラックの影に注視しながら、慎重に距離を詰めた。
息を潜めても胸の傷が痛み、拳銃を構えている腕も震えた。
横転したトラックの荷台側から周っていくと、左側のヘッドライトだけが点灯したままで、ワイパーも無駄に稼動していたが、運転席に人影はなかった。
背後からした音に反射的に銃口を向けると、トラックから這い出したと思われるレクサーが木の根元に背を預けて座り込んでいた。
ジャックはその姿に目を疑った。ピンク色のツナギに薄汚れた白衣を纏い、捲った裾からは骨のように細い足が伸びて、サンダルを履いていた。ぼさぼさに伸びた髪と髭には、女の子ものの髪飾りやリボンが結んである。片方のレンズが抜けた眼鏡にはひびが入り、頭からは血を流していた。血管が浮き出た手には銃が握られていたが、もう抵抗するほどの力は残されていないように見えた。
こんなふざけた老いぼれに振り回されていたのかと、ジャックは苛立った。
「お前、レクサーだな」
「いかにも、私はレクサー・セルンだ。中央はやっと私の存在に気づいたようだね」
「お前、楽に死ねると思うなよ」
ジャックが憎しみを込めて言うと、レクサーは可笑しそうに笑った。
「まるで悪党のようなセリフだ。道を見失った君たちアンティコパを葬るのは、老体を引きずる私のほうだよ」
「そのまま動くなよ、動いたら撃つからな」
「……チキンレースの二戦目だ」
距離を詰めようとすると、レクサーは何の躊躇いもなく銃を持ち上げ、引き金に指をかけ、勝利を確信しているような笑みを湛えた。
その銃口は自分に向いたが、だからといって先に撃つ気にはならなかった。
「撃たないのかね?」
「……てめえまさか、ELを」
ジャックが顔を顰めると、レクサーは空いた手で後ろ側に隠していた使用済みの注射器を取り、放った。
「今まで自分に使った事は、一度も無かったがね」
「何がチキンレースだ。この卑怯者が」
「ためしに撃ってみてくれよ。不死を体験したいんだ」
ジャックは銃を突き出すように構えたが、引き金に掛けた指に力が入らなかった。
山で遭遇した特異体についても、イヴと呼ばれた感染者についても聞き出す必要がある。敵がレクサーだけなら簡単に蹴りを付けられるが、組織的に動いてる可能性を考えると、迂闊なことはできない。
そんなジャックの考えを見透かしたのか、レクサーは腕を下ろして鼻で笑った。
「ふん、意気地がないね」
そう言って、銃口を自分の頭に向けて引き金を引いた。
その躊躇いのなさに、ジャックは反応し切れなかった。パン――と弾かれ、右側頭部から左側頭部へと赤い鮮血と脳の一部が頭蓋骨を突き破って飛び出した。レクサーの目は一瞬で空ろになり、左側へ上体をねじるようにして倒れると、空気が抜けた風船のように全身から力が抜けていった。
「っくそ」ジャックは銃口を下ろした。
いくらELを使って治癒力を高めたとしても、脳を吹き飛ばしたら元も子もない。破損した細胞が再生し、傷口が塞がったとしても、元のレクサーに戻る可能性なんて微々たるものだ。
ジャックは帽子を脱ぐと、遅かったと髪を後ろに撫でて肩を落とした。
「ったく、ここへ着てからろくな事がねえ」
溜息を吐いて帽子を被り直すと、レクサーの死体に背を向け、咥えた煙草に火を点けた。
可哀想なほど傷ついたトラックを見つめながら紫煙をくゆらせていると、不意に嫌な感覚が首筋を走った。首に振れ、風のせいかと静かに振り返ってみると、レクサーの死体が血だまりとサンダル、眼鏡を残して消えていた。
「ああ、そうかい」
ジャックは大きく煙を吸い込み、煙草を指で弾いた。
レクサーの脳みその破片が浸った血だまりに落ち、音を立てて火が消えた。
銃を構え、煙を吐き出した。
嫌な予感というのはよく当たる。
ありえないと思えることも、最悪の状況ではさも当然のように顔を出してくる。
絶望はそうやって、人を弄んで愉快に笑う。




