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ココロの母であるステラは、既に死化した『第0556コロニー』の生まれで、事故発生時はコロニーの外に居た為、感染を免れた生存者の一人だった。
当時十六歳だったステラはそこで、感染者の判定を下されても、まだ言葉を交わすことが出来る状態にあった両親や弟との別れを余儀なくされた。死化コロニーの事故を免れた場合は、コロニー全体が『死体・感染源』判定されるので、免れた人物はその土地へ踏み入ることを禁止される。
ステラ同様に感染を免れた僅かな人々はその後、それぞれが別々のコロニーへと再配された。
「ステラがここへ来たのは、あの子が十六の頃だ。はじめて会った時は、笑顔なんてまるで見せない子だった。対してわしの息子、ココロの父であるジョンはガキの頃から冒険を夢見るような、これがまた楽天家で落ち着きのない男で、コロニーの外からやってきたステラに興味を持ったのか、放っておけなかったのか、とにかく付きまとっていた」
「お父さん、ストーカだったの?」
娘にストーカー呼ばわりされる父親もどうかと思ったが、マリオは否定できなかった。
「実際、わしもいつジョンを注意するよう言われるか心配になるくらいのストーカーっぷりだったな。街角、畑、茂みの影、屋根の上、仕事ほったらかしてあちこちに出没してたらしい」
マリオが当時のジョンを思い出して表情を引きつらせると、聞いていたココロも気まずい気持ちになった。しかし、どんな経緯があるにせよ、そんな二人は結ばれたわけである。
「まあ、ジョンの名誉の為に言っておくが、あいつは最初からステラが抱えた闇みたいなもんを感じていたんじゃないかと、わしは思う。ステラも最初こそ気味悪――鬱陶しがっていたが、未来が見えなくなっていたあの子にとって、バカ息子はかえってよかったのかもしれない」
ジョンの友人として、リガーやラウルの名前も挙がった。
ラブレターや花束、プレゼント戦略と、彼等のアドバイスを元に連れ出し、連れまわしが始まった。振り回されるステラも、次第に笑顔を見せるようになった。ジョンの仲間達がその為にどれだけ苦労したかはともかく、程なくジョンはステラと結婚すると言い出した。
「そしてステラの為に、この家を建てた」
「お父さんが、お母さんのために」
ジョンは何を思ったか大工になり、ステラと暮らす為の家を建てると言い出して、実行した。
今にして思えば、それが最初で最後の、ジョンが貫いた意志だった。
飽きっぽく、楽しいことが好きで、次から次へと気になったことに手を出していた男が、今よりも頑固だったマリオの反対を押し切って一軒家を建ててしまった。
「あいつはいつかこのコロニーを出て、趣味のカメラで世界中の写真を撮って回って世界旅行記を作るとかのたまってたが、ステラと結婚すると決めたと思ったら、次の日には大工仕事を始めていたよ。まあそんなわけでこの家はここにある」
「お父さんすげえ」
たしかに凄い人物だ、と話を聞いていたサニーやリチャードも顎を引いた。
「ただな、ステラもまだコロの生活には馴染んでいなかった」
「お父さんが連れまわしてたんじゃないの?」
「故郷が死化した後遺症で、他者と深く関わりあうことを避けていたんだよ」
「PTSDですか?」サニーが訊いた。
「ピィティエスディー……何かのパーツ?」ココロが訊いた。
「心的外傷後ストレス障害という、言ってしまえば心の病です」
サニーが説明したが、よくわからなかった。
「心の、病」ココロは繰り返した。
「その通り、ステラは心を病んでいた。人と関わることを恐れていたと言ってもいい。まあ、無理もない。本来は居住区での暮らしを通して、徐々に傷を癒していくはずだったんだろうが、ステラにとっては逆効果だったようでな」
「逆効果?」
「見知らない隣人であっても、親身に気遣ってくれる人ばかりの居住区での暮らしは故郷を髣髴とさせるばかりで、ステラにとって癒しにはならなかった。むしろ、余計に塞ぎこむ原因になった。唯一彼女が落ち着けたのは、ジョンが連れ出して、居住区を離れた時だけだ。そういった経緯もあって、当時の管理人がステラを療養させる意味でも、居住区から離れたこの場所に住むことを許可してくれたんだ」
「なるほど、だからこの家だけがここに」サニーは合点がいった。
「それで、お母さんは?」
「ジョンが家を建てて、その馬鹿げた行動力に驚いたのか、落ち着く場所が見つけられて安心したのか、とりあえず一緒に暮らすようになった」
「……待って、その時点で二人は結婚してなかったの?」
「してない。キスだってまだだって、嘆いてたよ」
当然のように言って、マリオは思い出し笑いをした。
ココロは眉を顰め、そんなことありえるのかと、経験豊富そうな大人であるサニーを見た。
サニーは首を振って、肩を竦めた。
「まあ、ここで暮らすようになってからは、ステラがジョンの気持ちを受け入れるのにもそれほど時間はかからなかったがな。それから、なんともいえない二人の表情が印象的な結婚式だ」
「なんともいえない表情?」サニーは首を傾げた。
「ジョンは満面の笑顔で、ステラは不安そうで微妙な笑顔だ。よく覚えてる」
写真館のギャラリーで見た幸せそうな二人の笑顔には、そんな秘密があったのか、とココロはこの時はじめて知った。てっきり照れくさくて笑ってるのかと思ったが、結婚式に参列したマリオが言うのだ、きっと本当に不安だったのだろう。
しかし、その結婚式からステラの心はようやく解きほぐされていった。
「不幸な事故に巻き込まれた彼女の、幸せな日々がようやく始まる。誰もがそう予感した。けれどそれは、長く続かなかった。ステラが笑顔を取り戻すようになって久しい頃、彼女は悪夢に悩まされるようになってな、眠れない夜が続いた」
「……悪夢」
ココロは手紙に書かれていたことを思い出した。
ロウマンという人物の手紙にも、悪夢から開放されて幸せになるべき、と書かれていた。
マリオはその頃のステラを思い出して、自分のことのように表情を険しくし、頭を撫でた。
「まるで呪いだ。笑顔を取り戻し、新しい人生を歩みつつあったステラを引き戻そうとする力でも働いているんじゃないかと思ったよ。どこかの誰かが、ステラが幸せになることを許さない。そんふうにさえ見えた」
「どんな夢なの?」
ココロが訊くと、マリオは苦しい表情で言った。
「家族と別れた日の夢だ。そればかり見るらしくてな、辛そうだったよ。夢があそこまで人を苦しめるとは思いもしなかった。ついにはジョンと結婚して、ここで所帯を持つことにすら罪悪感を覚えてな。ついには私はここに居るべき人間じゃないとまで言い出した」
「どうして?」
「自分だけが幸せになるようで、それがあの子には重かったんだろうな」
「幸せになるのに、重いなんてこと、あるの?」
自分の身に不幸があったとしても、家族が幸せになることを呪うはずがない。
まして、幸せになることに抵抗があるなんて、ココロは理解できなかった。
「……それで、ココロちゃんのご両親は?」
「ちょうどその頃だ、ステラと一緒に生き残ったロウマンという男が訪ねてきてな。今日みたいな雨の日だったよ」
「ロウマン」ココロは無意識に、その名を頭に刻んだ。
「彼もステラと同じ生き残りで、妻子と別れたことで酷く精神を病んでしまったそうだ。新しいコロニーでの暮らしもうまくいかなかったらしくて、ハイリベンジャーになった」
新しいコロニーの建設地を探す調査隊のような仕事で、ココロの崇拝するロイズも所属していると思われる職種だ。
「……ハイリベンジャーになったロウマンさんがなんで」
「いくつかのコロニーを巡って、自分と同じような境遇の人たちの声を聞き、じっとしていられなくなったそうだ。中央へ直談判する為に、ステラにも協力してもらおうとやってきた」
「直談判って、中央に?」
「そうだ。今の体制は間違っているとな。この部屋を見てもわかるとおり、その内容は、ゾンビ化した人たちを元に戻す。或いは、そうした研究を推し進めることだ。その為には、被害者の声がいる」
「お母さんはそれを引き受けたの?」
「わしはどうかと思ったが、それで悪夢を見なくなるならってな、見守ることにしたよ」
「お父さんも?」
「ジョンはステラの味方だ。手伝うってな。まあ、色々やっていたよ」
そのいろいろが、この部屋を生んだ。元はジョンが写真を現像する部屋にする予定で用意されたが、目的に合わせて中身が変わった。
「それで、お母さんは悪夢を見なくなったの?」
「少しはマシになった。悪夢を見る回数、というより、中身が変わったみたいでな。ステラはよく皆が呼んでいると言って、ロウマンと手紙でやり取りしながら、ジョンと二人で一生懸命取り組んでいたよ」
その取り組みの結果の旅だったのかと、ココロは思った。
「じゃあ、その研究のせいで、お父さんとお母さんは」
「いや、そうじゃない。ココロが生まれてから、ステラは夢と決別しようと必死だった」
「決別?」
「ココロを産んで、ステラは自分のするべきことがこれなのかを迷うようになった。自分達の幸せの為、無事に産まれてくれたココロの為に、強く生きていきたいと願うようになった。結果、ステラはロウマンとの研究を諦め、せめて悪夢だけでも見ないようにと、過去と蹴りをつけようと決意した」
「お母様は、復讐より、ココロちゃんとの未来を取った」
サニーが言うと、マリオは頷いた。
「ああ、わしもその決断を聞いたとき、正直ほっとしたよ。ロウマンという男も話のわかる奴で、ステラの話を聞いてから、その手紙を一度よこしたきり、二度と姿を現さなかった。しかしな、今二人がここに居ないのが、答えだ」
「二人に何があったの?」
「夢との決別の為の儀式、そいつが二人を還らぬ者にした」
「何をしたの?」
「ココロ、覚えていないか? 二人と最後に別れた時のこと」
「……ぼんやりとだけ」
「わしに抱っこされて、二人で見送った」
「お父さんとお母さんは何処へ行ったの?」
「第0556コロニー」
「お母さんの、産まれた町」
「そこからは、ココロも覚えてるだろう。一ヶ月ほどの旅路だったが、待てども待てども帰ってこなかった。後で中央からの連絡があって、管理人から聞かされた。同行したアンティコパの姿も、二人の姿もどこにもなかったってな。きっと、感染して、放浪ゾンビと化してしまったのだと」
ココロは目を伏せ、サニーは同行して命を落としたガドという人物の名を思い出した。
「二人がどうなったのか、その目で確かめた者は誰もいない。だからわしも、一度は探しに行こうと思った」
「けど、行かなかった」
マリオの判断は賢明だと、サニーは思った。
「わしまでいなくなったら、この子は一人になってしまう。正直、なにを呪ったらいいのか、何に怒りをぶつければいいのかわからなかったよ。しかし、誰も責める気にはなれんかった。二人を守ると約束してくれたあの男も、ロウマンも、死化したコロニーの住人達も、誰もが被害者で、苦しんだ。ココロもどんどん大きくなっていくし、二人の墓が暴かれた時なんかは、こんな子に真実を告げたら、コロニーを飛び出して行ってしまう気がして、今の今まで話せずにいた」
「そっか。そうだったんだ」
「二人の為にも言っておくが、ジョンもステラも、たしかにココロ、お前を愛していた。お前との明るい未来を、誰よりも望んでいた。置いていったんじゃない。それだけは、わかってくれ」
薄情な親だと思わないでやってくれと、マリオは目に涙を溜めて頭を下げた。
ココロはずっと両親のことについて黙っていたマリオの沈黙に納得し、肩を落とした。
予想していたことではあったが、あらためて聞くと、やはり落ち込む。
どうすればよかったのかなんて、わからない。
ただ、どれだけどうしようもない理由があったにしても、傍に居て欲しかった。
もう戻れないとわかっているから、余計にそう思う。
「……救われない、お話ですな」
「リチャードさん」
見ると、リチャードは眉間に深い皺を作っていた。
なぜだか、誰よりも何かを強く憎んでいるような、酷い顔だった。
「お爺ちゃん、エルマーもテムも、エミリもね、あたしに付き合ってくれたんだ」
「うん」
「あたし、やっぱりお父さんとお母さんに会いたかったんだと思う。だから、ずっと探してた。見つからないってわかってても、やっぱり、諦め切れなくてさ」
「うん」
「ごめんね、お爺ちゃんを、一人にしちゃって」
そう言って笑いかけると、マリオは涙を拭い、歯を見せて笑った。
「心配するな、わしも、すぐに行く」
「長生きしてよ。あたしの分までさ」
ココロの言葉に、マリオは答えなかった。
居た堪れない場の空気に、誰もが胸を押しつぶされそうになった。こんな場面を多く目にする立場にあるサニーですら、慣れることはない光景だ。生者と死者の会話と言われるそれは、誰が見ても家族の会話で、最後の最後まで、家族を想う気持ちに溢れ、愛に満ちている。
それを見ない為に、そんな思いをさせない為にアンティコパは存在する。
そう自負するサニーにとっては、敗北の光景だ。
「私、ココロちゃんが目を覚ましたことをクリアさん達に伝えてきます。ここでは無線が届かないかもしれませんので、少しだけ席を外しますね」
そう言ってサニーが地下を出て行くと、ココロはお爺ちゃん、と手を伸ばした。
マリオはその手を取り、指で撫でた。
「ねえお爺ちゃん、あたしのカメラ取ってきてくれる? あと、チョコレート食べたい」
「ああ、待ってろ。今、取ってくるよ」
マリオはココロの手をそっと離すと、席を立って、リチャードの脇を通って階段を上がっていった。入れ違いに、ずっと階段に腰掛けていたリチャードが腰を浮かして、杖を突いた。マリオが座っていた椅子に深く腰を下ろし、その真っ白の瞳を、ココロへ向けた。
「……世話になったね、ココロちゃん。私は、ここを去るよ」
「ここで暮らす決心、つきませんか」
「ああ、こうなってしまってはね」
「旅を続けるんですか?」
「その前に、君に伝えておきたいことがある」
「……なんです?」
ココロが耳を傾けると、リチャードはベッドの脇に腰を移動させ、声を潜めてこう告げた。
「君達がイヴと呼ぶ子の本当の名は、アリソン」
「……本当の、名?」
「彼女は君の血縁者、君の実の妹だ」
リチャードの言葉に、ココロは混乱して言葉をなくした。
血縁者。妹。そんな話、あるはずがない。
だって、だとしたらお父さんとお母さんは、と目が泳いだ。
しかし、言われて見ればという感覚は、たしかにある。
母や自分と同じ瞳の色や、エミリやエルマーが、姉妹のようだと言った外見、ツナギ服を着た姿が子供の頃の自分と瓜二つであったこと。イヴがぬいぐるみのアリソンを欲しがったのは、自分と同じ名前だったからなのか、それが本当の名前だったのかはわからないが、強い関心を示していた。
自分がイヴを放ってはおけないとこだわり続けたのも、わかるはずがないのに、どこかで彼女が他人ではないと感じていたからだったのかもしれない。それは、錯覚ではなかったのだ。
しかし、だとしたらなぜリチャードは今までそのことを黙っていたのかがわからない。
去り際の冗談にしたって悪ふざけが過ぎる。
ココロはなぜ、と訴えかけるようにリチャードを睨んだ。
けれど、妹にアリソンと名付けたのは、紛れもなく自分であることを、ココロは思い出した。
二歳の誕生日、大きなぬいぐるみのプレゼントをもらった日、ココロはもう一つのプレゼントをもらった。それは、時期に妹が出来るという報せだった。
「名前はなにがいい?」
お母さんに訊かれて、ココロは「アリソン」と答えた。
「アリソンが生まれてくるまでは、この子がアリソン」
そう言ったことをはっきりと思い出した。
リチャードは疑心に満ち、それでも確信が透けて見えるココロの瞳を覗き込むようにして見ると、さらに重い事実を打ち明けた。
「今、君がこうなってしまった以上は伝えても仕方がないかもしれないが、君の両親は生きている。無論、人としてではないがね。私は彼に頼まれて、ここへ来た」
「彼って、お父さん? お母さんは?」
「……君が彼等を諦めていなかったら、伝えて欲しいと言われていた言葉がある」
何年、何十年――何百年かかったとしても、きっとココロの元へ帰る。
その言葉を聞いて、ココロは途端に胸が苦しくなった。呼吸が激しくなり、静かだった胸の鼓動が一気に騒がしくなった。お爺ちゃん、と呼ぼうとする意思が上手く伝わらず、声も出ない。リチャードを捕まえようと伸ばした手も空を切り、腰を上げて立つこともできなかった。
胸を掴んで苦しそうに息をするココロを肩越しに見たリチャードは、ゆっくりと腰を上げ、別れを告げるように小さく頭を下げた。
「それじゃ、私は最後の務めに出るとする。どうやらアリソンは、君を感染させてしまったようだからね。ここからは神のみぞ知る世界だ。さようなら、ココロちゃん。今に皆が、君と同じ世界へ赴くことだろう。美味しいご飯と、あたたかい心をありがとう。悪夢のような人生で、束の間のひと時だった」
ココロは遠ざかって行くリチャードの杖の音を聞きながら、待ってと、繰り返し呼び続けた。




