第37話 一緒に生きる人
第37話 一緒に生きる人
コートのポケットには財布が入っている。
その財布から黒いクレジットカードを抜き取ると、
テーブルの上に置いて、すっとシンレイのおかんに差し出した。
彼女がシンレイのためにと、俺に持たせてくれた利用限度額のないあのカードだった。
「…これを、お返しいたします」
「高岡さま…?」
にこやかだったシンレイのおかんの顔が曇った。
まあ、予想はしていた。
俺も今日はそういう覚悟で来た。
「ひとりで泣いとる友達がいてる」
「…淑子さんの事ですね」
「すんません、伊さん…でも俺はどうしてん、そん人ん事放っておかれへん。
何もかもを無くして、俺までとかそんな可哀想な事、俺にはよう出来へん。
せめて俺だけでん、そばんいててやりたいねや…」
「淑子さんと結婚されるのですか?」
シンレイのおかんの質問に俺はうつむいた。
「それは俺にもわかりません…上杉には上杉の家の事情がありますし。
二人でシンレイを弔うて、二人でシンレイを思って、シンレイと三人で生きたい思てます。
それが出来んのは上杉しかいてません」
「そうですか…」
「…伊さん、俺を殺しますか? 俺は今日、そういう覚悟でここに来ました」
不思議と怖くはない、俺は静かに言った。
するとシンレイのおかんは、黒いクレジットカードを俺の前へと差し出した。
「このカードはあなたがお持ちくださいまし、高岡さま…いえ、言さん」
「なんでですのん?」
「前に淑子さんのためにもお使いくださいと申したはず…私からの祝儀です。
私よりもシンレイが一番に喜ぶと思います」
「伊さん…!」
「あなたほどの人を諦めるのは正直惜しいですが…」
そこまで言うと、シンレイのおかんは言葉を詰まらせた。
「…娘が愛した人はそういう人なのですね。
そういう人だから娘はあなたを愛したのですね、私は嬉しい…とても嬉しい…!」
シンレイのおかんは肘掛けにもたれかかって、涙を流した。
「シンレイは最期のその瞬間まで幸せだったんですね…」
俺は肘掛けの上の震える手に、自分の手をそっと重ね置いた。
そうして、俺たちは抱き合って一緒に泣いた。
ここにもシンレイと一緒に生きる人がいる…。
ホテルを出ると、そのまま上杉の家へと向かった。
しかし留守番の武田のじいさんが、上杉は出かけていると言う。
こんな時にまた出奔かよ、俺はありがとうを言うと彼と別れた。
上杉の行くところなんか、もうどこにもないくせに。
どこにもないから、あそこで大好きな待ち伏せをしてるんだろ。
俺はなんだかおかしくてたまらなくなってしまった。
スーパーの前の交差点を渡って、川のある方向へ向かう。
橋のそばに緑色の屋根のL字型マンションがある。
マンションの一階部分にはそば屋が入っている。
この時間だとそば屋は営業中だ、なら向かいの公園だ…ほらやっぱりね。
公園のベンチに、黒い仕事用のコートを着た細身のヤクザがいる。
ギザギザに切られた髪はちゃんと整えられてあったが、
やっぱり前髪をふわりと後ろにかきあげてある。
ヤクザが泣くなよ、上杉。
そんなんだから放っておけないんだろが。
上杉…お前は本当に上手いね、結局お前の一人勝ちだ。
お前こそが一粒で二度旨だったんだね。
シンレイがお前を愛した理由が、骨身に染みるほどよくわかる。
お前は誰よりも可愛い女だよ…そして俺もお前を愛してる。
「…またひとりで泣いとる」
俺は上杉の前に立った。
上杉は俺の声にようやく顔を上げた。
その頬には涙の粒が残って、太陽の光にきらりと反射する。
「ごめん…もう決めて来たんだろ、台湾伊家の事。
もう当分会えなくなるよな、だからさ…」
「決めたで俺、シンレイのおかんに会うて話して来たで…断るてな」
「えっ…なんでさ? 台湾伊家入るんじゃないのか?」
「他に入りたい家が出来てしもてん」
俺は狐につままれたような顔をしている上杉の頬に、指の腹で触れてなぞった。
「そん家は台湾伊家よりずうっとちっさいけどな、心がいっぱいの家やねん。
庭がきれいでな、組員らも熱うてな、『甲陽軍鑑』書きよる超細かいじいさんがおってな、
何でんかんでん拾って来よる、優しいおやじさんもおったし、
それに…俺の一生の人がひとりで泣いとる」
目の前にいるその人の唇を唇で撫でると、上杉は俺にしがみついた。
「言さん…!」
「俺とシンレイとお前、ずうっと三人やで…二人で叶えたろやん」
シンレイの『一粒で二度旨』、絶対喜びよるで」
「『一粒で二度旨』…うん、うん…!」
ちゃんと見ててくれたか、シンレイ?
お前の最愛たちはたった今、最愛になったぞ…。
シンレイ、お前の望みは叶ったか?
俺はずっと続けて来たコンビニの深夜バイトを辞めた。
そうして引っ越しの準備を始めた。
それにあたり、上杉がマンションに手伝いに通ってくれている。
今どきとは思うけれど、武田のじいさんとも相談して、
入門後は上杉の家に住み込みが良いだろうと決まった。
近くなので行き来しながら、細かい荷物を少しずつ運んでいる。
「言さん、スーツが要るよ。安くてもいいからとりあえずの」
引っ越しも終わりに近づいた春の午後だった。
マンションで上杉が俺の服を箱に詰めながら言った。
「スーツ? そやなあ…」
「言さんあの戦いで活躍したじゃん? それで幹部候補生としての入門なんだからさ、
人と会うのにやっぱり喪服以外のスーツが要るよ。
武田から支度金も預かってるし、今度買いに行こうよ」
「はーん、つまり俺とデートしたいて事やね」
「えっ…」
俺は頬を染めて戸惑う上杉に微笑みかけた。
耳元に愛をひとつ囁いて、それから俺たちはどこにでもいるただの男と女になった。
昼下がりの明るい部屋でお互い、全てを見せ合いっこして。
甘い息を吐き出す上杉の白い肌に、揺れながら自分を深く沈めて踊る。
目を細めて快感に痺れる姿を、壁に貼られたカレンダーの中の声優が見ている。
彼は痩せてすらりとしていて若く、美しい男だった。
でももうすっかり色褪せていた。




