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猪可以飛  作者: ヨシトミ
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第35話 猪可以飛

第35話 猪可以飛


シンレイは俺と上杉を抱き寄せ、赤子のような目をして笑っていた。


「猪可以飛…豚は飛べる、私が言さんを飛ばしてあげる。

言さん、私のためにとし姉ちゃんと結婚してよ…とし姉ちゃんは私の最愛の人、

言さんも好きになってよ、言さんも最愛にしてよう、一粒で二度旨…よろしく」


俺と上杉は涙を一瞬忘れ、気まずさで互いに顔を見合わせた。

しかしシンレイの左目から、笑みの光が消えそうになっている事に気が付いた。

もう意識がだいぶ混濁しているのだ。


「シンレイ…!」

「美映子!」

「…言さんがいて、とし姉ちゃんがいる…私の最愛が二人もいるよ。

そんで私はその間に…一粒で二度旨あ〜、幸せ〜…むふう〜…」


何か旨い物でも腹いっぱい食べたような、満足しきった笑みを浮かべ、

シンレイの左しかない目から、光がすうと引くように消えて行った。

幸せなまま、昼寝でもするかの如く。

でもシンレイ、それは昼寝じゃないんだね…。


「起きい、シンレイ…こないなとこで昼寝はあかんやろ」

「…美映子、ちゃんとふとんで寝ないと風邪引くよ…美映子」


俺と上杉が、男たちの死体の代わりにシンレイの上に折り重なる。

涙たちが血を透かし、蓮の散華となって雪の中を舞う。

そこへさりさりと、路面のみぞれを踏む冷たい音が聞こえた。


「美映子が死んだか…まあ良い、知恵遅れの美映子に何も出来ぬ。

ただの子供にも劣る」


俺たちの背後で血まみれのおっさんが拳銃を構えていた。

人身売買組織の者だ、最後まで生きていたという事は守られていたという事。

恐らく彼がここでのボスなのだろう。

上杉は彼に背を向けたまま言った。

涙はもう流れていなかった。


「…美映子が知恵遅れだと?」


上杉はようやく振り向いた。

その顔は雪の降る白い夜より冷たかった。


「あんたらが美映子の精神の成長を止めたんじゃないのか?

まだ子供だった美映子をさらって…あんたらお得意の『接線』だ。

私も同じ、あんたらが接触して来たのはちょうどこんな雪の日だったよな…」


そう静かに語っていたかと思うと、上杉は急に立ち上がって発砲した。


「残念だったな…私は在日朝鮮人の子女だが、ただの新潟県民…当時はただの高校生。

在日の全員がハングルを使えるとは限らない、あんたらの同志とは限らない…!」


上杉は銃を乱射した。

敵もそれに応じて発砲を繰り返す。

発射された弾が上杉の髪の先を、コートの袖をかすめて行く。


「当たるかよ…当ててみろ、当てれるもんならな…!」


撃ち尽くしたのか、上杉は銃を捨てた。

そしてナイフに持ち替えて、敵に歩み寄った。

飛来する銃弾に構う事なく、引く事もなく。


「上杉…!」


勝ち目がない。

今のお前は上杉悠一じゃない、上杉淑子なんだよ…!

接近戦に持ち込まれたら負けるくせに。

いくら手にナイフがあっても、そんな物すぐ取り上げられてしまうくせに。

どうして自ら命を捨てに行こうとするの。


「どいとき、上杉!」


身体が勝手に飛び出し、次の瞬間には上杉を突き飛ばしていた。


「言さん、邪魔すんな!」

「…邪魔はお前じゃ、シンレイの気持ちを無駄にする気か」


俺は起き上がろうとする上杉を睨みつけた。

上杉はびくりとした。

その隙に俺はもう一度飛んだ…シンレイがきっと俺を飛ばしてくれる。

猪可以飛、豚は飛べる。

…奇跡は起こせる、俺は信じる。


敵に飛びかかり、だらしない生活で増えた体重の全てをかけて押さえ込む。

負けじと敵も至近距離から発砲する。

弾が頬を切り裂いて飛んで行く。

俺は拳を固めて敵の顔を殴りつける、拳が赤く濡れるまで何度も何度も。


なんで俺は他人なんかのために戦っているの。

顔は命だったはずだ、もう女の子にモテなくなってしまうと言うのに。

その大事な顔を傷つけてまでどうして戦うの。


もしもあのまま声優を続けていたら、俺はただのやなやつだ。

いつまでも絶頂期の天狗のままで、変わる事なんてなかった。

歳を食って醜くなって売れなくなっても、

周りに誰もいなくなって、ひとりになっても気付かなかっただろう。

あの日、俺の目の前にシンレイが現れなければ。


シンレイが俺を豚にしてくれた。

全てはシンレイが教えてくれた。

恋も愛も、人が人を思うことの全てを。


俺のラッシュを受けて、敵は気を失っていた。

俺は敵の顔を踏みにじり、銃を構えて銃口を向けた。


「俺はたった今、かたぎを、声優を辞めたど上杉…!」


俺は敵の頭を撃った。

人を殺す事に何もためらいはなかった。

あるのは心の静けさだけだった。

殺人、それこそが俺に起こった奇跡…!


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