第33話 甲陽軍鑑
第33話 甲陽軍鑑
コンテナの隙間に出来た陰に隠れていた、俺と武田のじいさんだったが、
俺より先に、武田のじいさんが弾かれたように飛び出して行った。
…あかんやろ、総大将が飛び出して行ったら。
「若!」
「…見つかってしまったか、さすが武田は抜け目ない」
上杉はため息をついた。
胸まであった彼の髪が、ばらばらと雑に短く切られてあった。
上杉が自分で切ったのだろうか。
切り残した前髪や横の長い髪は、いつものように後ろへとかきあげてある。
「でも取引の邪魔をしないでくれるか」
「取引…」
「これは神政会の取引だ、お前ら上杉には関係ない」
上杉は静かに言った。
神政会との接触はないと思っていたが、組織への足がかりとして利用したとは…。
やっぱりお前はただの女じゃないんだね、さすが上杉の姐。
「若…!」
武田のじいさんは上杉に近づいたかと思いきや、連れの男を至近距離から銃撃した。
「…『甲陽軍鑑』こと『上杉家文書』第35巻、235ページ目。
昨年の11月13日水曜日だ、前会長の上杉景一の死去により、
若頭の武田信市が会長に就任する。就任の挨拶にて武田は誓った…」
男は胸から血を噴き出しながら、がたりと崩れ落ちた。
「『愛山護法』…上杉の家という組織を愛する事、上杉が教えてくれた心を守る事。
もうお忘れか、若…!」
倒れて痛みにもがく男の額に、もう一度銃口をぴたりと付け、
武田のじいさんは引き金を引いた。
じいさんとは言えそこは極道、顔色ひとつ変えずに人を殺す。
それを合図に、神政会のやつらが武田のじいさんの許へと集結した。
「高岡くん、若をお願いします…かかって来いコラ!
上杉の弔いだ、てめえらこの武田が相手してやる…!」
「武田…!」
「行くで上杉、武田さんは大丈夫。みんな来るから」
俺は上杉の腕を引いて走り出した。
途中、上杉のやつらと入れ違って。
「…ちょっ、休憩や…もう走れん」
戦いの固まりから抜け出し、別の倉庫の裏で息を整える。
それから電話をかけ、シンレイに連絡する。
「シンレイか? 上杉を確保したで…わかった、ここで待っとく」
「言さん…」
「俺らを守りにシンレイが来てくれる、ここで隠れてよか」
トラックとコンテナと建物の隙間に、上杉を押し込み俺もそこに入る。
「…なんで来てくれたのさ、お前一般人じゃんか」
「確かに俺はただん一般人や」
「アニメの中の世界じゃないんだぞ、殺されてもいいのか」
「一生の人てそう言う事やろ? 違うか、上杉」
俺は自分の見苦しく出っ張った腹に片手を置いた。
服の間に拳銃が挟んである。
「…髪、切ったんやな、自分で切ったんか」
上杉は無言のまま、何も答える事はなかった。
白い夜空はいっそう白くなり、とうとう雪が降り出して来た。
「俺な、あれから考えたんやけど…」
そう言いかけた時、足音が聞こえた。
シンレイだろうか…いや、違う。
俺は拳銃を抜いて構えた。
しかし、それより速く足音が銃声と共にふっと消えた。
「言さん! とし姉ちゃん!」
隙間から出てみると、地面に転がる神政会のやつらしき男の死体と、
かけ寄って来る黒い革のコートと隻眼の女の姿があった。
「シンレイ…!」
「仲間は武田さんらと一緒に戦ってる、私ひとりで来たよ」
シンレイは一瞬だけ上杉をぎゅうと抱きしめると、移動すると言った。
倉庫の陰を伝うようにして、俺らはそろそろと進む。
「…言さん、私の話を聞いて」
安全を確認して先頭を進みながら、シンレイは俺に声をかけた。
「何や」
「私たち別れない? …私と別れて」
「…シンレイ!」
「美映子…!」
シンレイの突然の別れ話に、俺も上杉も驚きを隠せなかった。
まさかシンレイからこの話を切り出されるとは…。
「恋人である事が、この戦いの邪魔になりたくない。
私の仲間になってよ、言さん…一緒にとし姉ちゃんを助ける仲間に」
「私のために…美映子、そんな…!」
上杉は泣き出しそうな顔になって、シンレイにすがりついた。
シンレイは振り向く事なく、立ち止まってうつむいた。
「言さんの事は大好きだけど、私…とし姉ちゃんの事も大好きなんだもん。
おんなじくらい大好きなんだもん、おんなじくらい恋してるんだもん。
どっちかひとりだけなんて、私そんなの決められないよ…」
うつむいたシンレイの顔から涙がぱらぱらとこぼれ落ちる。
俺か上杉か、二つの恋心の間でシンレイもまた苦しんでいたのか…。
そうだよな、俺と出会うまで上杉がシンレイの恋人だったんだから。
上杉とは嫌いになって別れたんじゃないのだから。
「…久しぶりだな、お前ら」
建物の角から俺たちの進路を塞ぐように、男たちが立ちはだかった。
全体的に黒っぽく地味ななりの男たちだ、スーツ姿の神政会の組員じゃない…!
「だいぶ探したぞ、姜淑子…それから杉田美映子」
上杉の旧名だけでなく、シンレイの旧名も知っている。
二人のいた組織の者か。
シンレイは顔を上げ、きっと彼らを睨みつけた。
「私もとし姉ちゃんも、もうあんたらの商品なんかじゃない」
「そうだろうね…淑子は性転換し、美映子…お前は右目を失った。
傷物だ、商品としての価値はもうどこにも無い」
「ならば取り戻してどうする…!」
シンレイは拳銃を抜いて発砲した。
「例え売れなくとも、内部事情を知る商品は回収し処分するまで。
…神政会のような雑魚に脅迫の餌を与えぬようにな」
男たちも発砲した。
俺は上杉を後ろに隠して上から覆い被さった。
「シンレイ!」
「言さん、とし姉ちゃんと行って…!」
そう言うシンレイの腕から血が流れていた…。




