第31話 上杉という女
第31話 上杉という女
途中で入れ違ったのだろうか、俺は一度自宅へ戻ってみた。
待ち伏せ大好きの上杉悠一の事だ。
またマンションに入ったそば屋の縁台に、ひとりいじらしく座っているのだろうか。
いや、そば屋は営業中のはずだから、向かいの公園のベンチだろうか。
だがそのいずれにも、もちろん自宅にも上杉は来ていなかった。
「武田さん、上杉来たはらへんわ…どこ行ってんな、ほんま」
俺は電話でそう報告すると、上杉の家に戻った。
「他に心当たりはないですか? どこか若の行きそうなところ」
「駅前のディスカウントストアやろか、前にいっぺんそこで会うた事があるねん。
そん時は何や女もんの服見たはったな…でも俺に会いに行く言うてたんやろ?
のんきに買いもんしてる場合やないわな」
その時、ポケットの中でスマホが鳴った。
着信音から、電話だった。
「もしもし高岡さま、お忙しいところすみません」
「伊さん…!」
「前に淑子さんに渡したスマホから電話がかかって来ました」
「上杉からか?」
「はい、でもなんだか様子がおかしいのです」
武田のじいさんもシンレイのおかんの話を聞こうと、必死でスマホに耳を近づけていた。
俺は通話をスピーカーに切り替えた。
「伊さん、今上杉の自宅で武田さんと一緒におる。それで上杉は何て?」
「『スマホを返したい』とおっしゃっただけで…。
特にさらわれたとか、命の危険などではないようなのですが」
「上杉は俺に会いに行くて家を出て行きよった」
「ただ、何か引っかかるのです…いい予感はしません」
俺は武田のじいさんと互いに顔を見合わせた。
武田のじいさんは口を開いた。
「吉富さん、そのスマホの位置情報わかりますか?」
「護身のためのスマホです、もちろん位置情報は随時取得しております。
でも昨日の夜からずっと、位置情報が淑子さんのご自宅になっています」
「上杉のやつ、そんな大事なもんを家に置きっぱなしかいな」
それはつまり、上杉が本気で消息を絶つつもりという事。
一体どこへ行くつもりなんだ。
「高岡さまに武田さん、私は台湾におります。
今うちの娘が仕事に出ておりますので、切り上げさせてそちらに合流させます」
「おおきに、伊さん」
「今のところ神政会に動きは見られないですが、淑子さんが狙われている事に変わりない。
神政会は淑子さんが欲しい、殺しはしないだろうが…」
シンレイのおかんとの電話の後、俺と武田のじいさんでまずはスマホを探してみた。
問題のスマホは簡単に見つかった。
上杉のあの例の女臭い部屋のテーブルに、化粧品類と一緒に置かれてあった。
電源は切られてあった。
部屋のクローゼットが開きっぱなしになっている。
いつか見た、夏物の白いワンピースが今日は一番手前に来ていた。
あの不自然なベッドは朝起きた時のままなのか、ふとんがめくれて乱れていた。
ここで泣いていたのか、使ったティッシュが散乱している。
シンレイのおかんが持たせたスマホとは別な、黒の安そうなスマホを枕元に見つけた。
こっちは上杉が私用で使う物だ、俺も見た事がある。
青いLEDがちかちかと光っている、待機状態なのか。
悪いとは思いつつも、事が事なので俺はそのスマホの画面を開いてみた。
武田のじいさんの番号から、大量の着信と新着メール通知が残されていた。
そして何より、このスマホには標準インストール以外のアプリが何も入っていない。
俺とはLINEしていたのに、それも入っていなかった。
電話帳を見ても、メーラーを開いても、何のデータも入っていない。
リストアでもしたのか、ほとんど購入時の状態だった。
ただ、アルバムに写真が一枚だけ入っていた。
髪の長い女が一人で写っている写真だった。
女は撮影者に向かって恥ずかしそうに微笑んでいた。
ずいぶんな美人じゃないか、身長もあるし、細身だが出るところはきっちりと出ている。
ゴージャスという言葉が合うだろう、写真だけでも十分にその華が伝わって来る。
こういう女はどこに出ても、男の目を惹いて離さないはずだ。
華やかながら、どこか影を感じさせる女だ。
そういう女は男の心をかき立てて熱く燃やすはずだ。
それが恋人や妻を持つ男であっても。
でもその夏物の白いワンピースは見た事があるよ…。
俺のすぐ後ろのクローゼットで。
…この写真の女は上杉本人なのだ。
まだおやじさんと出会った頃、女だった頃の上杉なのだ。
この写真だけがなぜ残されていたのか、俺にはわかる。
上杉悠一と名を変えても、男のなりをしても、その心までは変えられない。
未練などではなく、上杉は女を捨てられなかったのだ。
この写真を捨てられなかったように。
スマホの画面に涙が落ちる、どれだけ苦しかった事だろう。
おやじさんは大事にしてくれたけれど、そこに女としての喜びはなかった。
出会ってようやく恋をした俺はシンレイの男だった。
男にもなりきれず、女にも戻れず、思いが叶う事もなく。
俺はようやく上杉のしようとしている事に思い至った。
上杉、お前は生きる事に絶望している?
「…武田さん、スマホあったで」
俺は一階に降りて、武田のじいさんに2台のスマホを手渡した。
「シンレイのおかんが持たせてくれはったのんは、電源が切られとる。
もう1台、私用のんはほぼリストアされとる」
「えっ…」
「上杉はもうここには帰って来おへんつもりや」
「でも高岡くん、若の行く宛てなんて…」
行くところならある。
神政会からは一度逃げ出している、神政会ではない。
上杉を欲しがっている組織はもうひとつある。
「おやじさんは上杉のいた組織の事は、ほとんど教えてくれはらへんかった。
上杉はそこへ帰ろうとしとるんやないかな…帰ってんただや済まへん。
帰って、組織に殺される事で死のうとしとるんやないかな」
上杉とシンレイのいた組織ならば、上杉の身柄を喉から手が出るほど欲しいはずだ。
彼女たちは組織を知っている女、組織から逃げ出した女だ。
シンレイは娘として台湾伊家の庇護を受ける事で、自らの安全を守った。
上杉は男になりきれなかった、おやじさんにも死なれてしまった。
そして女の幸せが、見果てぬ夢だと気付いてしまった。
彼女がもう外の世界にいる理由はどこにもない。
たぶん、生きる事の意味も。




