第29話 また上杉か
第29話 また上杉か
シンレイと出会うまでの俺だったら、こんな状況になっても平然としていたはずだ。
むしろ逆に俺が勝手に浮気や二股をしておいて、女のせいにして責めるぐらいだったはずだ。
俺は男なんだから仕方ない、お前に女としての魅力がないからと。
それが今は何かをしでかした少年のように、びくびくと怯えている。
「猪可以飛…奇跡は起こる、私が言さんを飛ばしてあげる」、これが奇跡か。
…こんな奇跡なんて知りたくもなかった。
シンレイはふとんに潜り込み、俺の隣に寝て首筋にしがみついた。
「甘くて優しくてすごくいい匂い…私、この匂い好き」
その匂いは上杉の移り香だからだよ、シンレイ。
俺の匂いと上杉の匂いが混じり合って、ひとつになった情交の匂いだよ。
シンレイは俺の脚に自分の脚を巻き付けた。
「ね、してよ言さん、今朝はなんだかそんな気分だよ…」
脚にシンレイの発情を感じる。
仕方なく唇や指でごまかすが、一体どうしたのだろう。
シンレイはいつにない乱れ方をする。
「…とし姉ちゃん、とし姉ちゃん…」
触れているのは俺の指なのに、俺の唇なのに、シンレイは上杉の事を呼ぶ。
うわ言のように、繰り返し繰り返し。
「言さん、今朝はどうして私を『上杉』と呼ぶの。
どうしてしてくれないの、どうして指や唇で私に触れるの。
女の子同士みたいだよ…そんな事されたら私」
シンレイは俺を上杉だと思って燃えに燃え上がる。
俺は最後まで上杉になりきった。
俺たちは睦み合いながら、お互い上杉の影を抱いて、上杉の影に抱かれた。
それから執り行われた、おやじさんの通夜と葬儀には俺も出席したが、
あの雨の日がまるで嘘だったかのように、
上杉は上杉悠一という男に戻って、喪主として弔問客の相手に忙しくしていた。
葬儀には台湾からシンレイのおかんも来てくれ、おやじさんとの別れを惜しんだ。
「…悲しいけれど、私らヤクザはそういう職業だから仕方ないね」
シンレイのおかんは淋しそうにつぶやいた。
「伊さん…」
「上杉の家はおやじさんがそういう事にもしっかりしていたし、
武田さんもいてくれるから当分の間は良いが…うらやましいばかりだよ。
私もまたヤクザ、明日殺されても何らおかしくはない。
台湾伊家にも優秀な構成員が大勢いるけれど、武田さんのような信頼出来る人はいない。
私が死んだらシンレイがどうなるのかと思うと…」
シンレイのおかんはそう言って、背中を丸めた。
台湾伊家は上杉の家などよりはるかに大組織だから、派閥や覇権の争いがあるのだろう。
つまり、家族以外の誰も信用出来ないって事。
彼女の死後、台湾伊家の内部抗争が激化するのは必至だ。
彼女の夫が守っても、シンレイは必ずそこに利用されるはず。
だから彼女はそういう争いとは無関係な、かつ無欲の俺に白羽の矢を立てたのだ。
その期待には応えたい、でも…。
その年の暮れに実家から、一度正月に帰って来いとの電話があり、
そのついでに結婚の挨拶をしようと、シンレイを伴った。
普段の様子から、シンレイではろくな挨拶も出来ぬかと心配していたが、
そこは台湾伊家の娘、あのおかんから厳しく教育されたらしい。
意外にもシンレイは俺の家族に対し、きちんとした挨拶をした。
ヤクザの多く出る地域にある実家の事なので、家族はあまりうるさくなく、
シンレイの素性や右目の事も深く詮索される事はなかった。
実家は兄夫婦の代になっており、俺の部屋はもう物置にされてあったので、
俺たちは仏壇のある座敷に、ふとんを敷いて寝泊まりしていた。
家族はシンレイを俺の嫁になる人として遇してくれたが、
俺はどうも浮いた気になれずにいた。
「言さん、眠れないの…?」
「お前こそ起きとるやんか」
真夜中、俺たちは隣り合ったふとんから声を掛け合った。
「私と言さん、結婚するんだよね?」
「シンレイは嬉しくないんか」
「嬉しくない訳がないよ、私言さん大好きだもん。
でもね、でもね…素直に喜べないんだ、とし姉ちゃんの事を思うと」
…また上杉か。
「とし姉ちゃんが幸せじゃないと、私ちっとも幸せになれないよ」
「お前はほんま上杉大好きやな…お前が上杉と結婚でんするか?」
俺は呆れて苦笑した。
「できないよ、女の子同士だもん…言さんの意地悪」
シンレイは拗ねて、ふとんを鼻までかぶると背を向けた。
彼女はそのまま寝入ってしまったらしい、俺はひとり取り残されてしまった。
実家に結婚の挨拶を済ませ、隣に婚約者が寝ていても、
俺たちの間には上杉の影がいつもあった。
上杉、お前は今どうしてる?
幸せ…な訳ないよな、またひとりで泣いてるの?
実家で三が日を過ごして、4日の午後に実家を発って東京へ帰る事にした。
その朝、俺はシンレイを連れて散歩に出た。
散歩ついでに実家周辺をあれこれ案内して歩く。
神社、植木畑、墓地、川向こうの会館、竹の子山、それからお寺、菓子屋…。
「言さん、このへん『高岡』と『杉田』ばっかりだあ」
もともと丘だった集落を横道から菓子屋まで登り、そこから実家へ下る最中、
家々の表札を見たシンレイがふと言った。
「田舎やからな…『杉田』が本家で、『高岡』はそん分家や」
「…私ね、最初の名前を『杉田美映子』って言うんだよ。
だからこのへんは『杉田』さんがいっぱいいるから好き、なんか懐かしい感じがする」
「お前はどないなとこで生まれたん?」
俺はシンレイに故郷の事を初めて聞いた。
「ううーん…私はうんと小さい頃にさらわれたから、あんまり覚えてないけど、
やっぱりこんな坂がある小さい集落でね、やっぱり川が近くにあってね、
坂の途中に家があってね、ここはすっごく似てるんだ…」
シンレイは坂の途中にある一軒の家の前で急に立ち止まり、しくしくと泣き出した。
「…すごく似てるんだ」
「シンレイ、どないしたん?」
「私の家…」




