第22話 心のために
第22話 心のために
「言さん、とし姉ちゃん…とし姉ちゃんまだいる?」
シンレイはその日の夕方に服やら、かばんやら、ブーツやらの、
あちこちの金具をごちゃごちゃ言わせながら、必死の形相で帰って来た。
そしてもどかしそうにブーツを脱ぎ捨てると、俺のふとんに寝ている上杉に飛びつき、
上を取ってがっちりと固めた。
「うわん、とし姉ちゃん…!」
シンレイは「うわーん」と、声を大にして泣いた。
「…美映子、俺は大丈夫だから」
上杉がシンレイの背中を抱いてなだめても、泣き続けるばかりだった。
「とし姉ちゃんをいじめるやつは私が殺すう、台湾伊家…だけじゃなくて、
台湾黒社会全員に頼んで総攻撃するんだからあ! うおーん!」
「あかんシンレイ、お前がとし姉ちゃんいじめとんで…傷にさわるやろが」
俺は上杉からシンレイを引きはがそうと、足を両手に引っ張った。
「とし姉ちゃん、怪我したん? やっぱり総攻撃するう!」
「あかん、寝かしたり!」
必死でばたつかせるシンレイの足を持ったまま、叱っていると、
後ろの玄関で「お邪魔します」という声がした。
「シンレイ、高岡さまの言う事を聞きなさい」
シンレイのおかんだった。
…シンレイと一緒だったのか、こんな汚い部屋に最高のヤクザは似合わな過ぎだ。
もっときれいにしとけばよかった。
「伊さん…無茶言うてほんますんませんでした」
「構いませんよ。それより少し話がしたい、よろしいですか」
「あ、はい…上杉もか?」
俺は上杉の方を向いた。
「淑子さんも…あ、寝たままで結構」
シンレイのおかんは頷いた。
一応下部組織の姐さんだから、上杉は「淑子さん」か。
「淑子さんには辛い事を思い出させますが、さらわれた時の状況や、
その後の事をお聞かせ願いたい」
上杉は少しためらい、それからぽつりぽつりと話し始めた。
お使いに行ったコンビニの前で男たちにさらわれ、車で運ばれた事。
運ばれた先は小さな山に建つ家らしい事。
上杉は人質として、意外にも客人のような丁重な扱いを受けた事。
でも上杉自身が自分を餌にして、そこから逃げ出した事。
同じようにして車を運転している男に、自分を駅前まで送らせた事。
着ていた服は逃げ出さないよう、その時の男に取られてしまった事。
それから上杉の自宅は危ないと思って、ここに来た事…。
「淑子さん、その建物は神政会の本部です。
神政会総本部は、横浜市内の小さな山を丸ごと敷地にしています。
でも人質とは、扱いも丁重とは…何が目的だ」
シンレイのおかんは困惑し、長目に延ばしたくせ毛をかきむしった。
くそ、そんな細かな仕草まで決まってる。
「伊さん、人質やのうて何かの証人やないやろか」
「証人?」
「上杉が何や大事な事目撃したとか、知っとるとか。
証人やから神政会も上杉を保護したいんやないか?」
「…でも敵である上杉会や井上会の手には帰したくない」
俺の疑問にシンレイのおかんが言葉を添えた。
当の上杉は顔をしかめていた。
「俺…そんな目撃者や証人になるような心当たりないですよ?」
「良う思い出し、何かあるはずや。でなきゃ神政会かて訳もなくさろうたりせえへん」
「ええー? ほんとにそんなんないって」
「そんなのとし姉ちゃんが美人だからに決まってるよ!
あちこちださくなっても、とし姉ちゃんの美しさを前にひれ伏さない男はいないね…!」
シンレイは俺に両足を持たれたまま、腕を組んで「んぷう」と鼻を鳴らした。
「淑子さんの存在そのものに価値があるって言うのか…面白い事を言う」
シンレイのおかんは、娘の無茶苦茶な道理に感心した。
「えっ、俺に? そりゃないよ、今どきおなべとか特別珍しいってほどでもないし」
「うーん…上杉に何か心当たりがないか、聞いてみるとするか…」
「…吉富さん、おやじさんは無事なんでしょうか? 連絡がない」
上杉は恐る恐るシンレイのおかんにおやじさんの事を訊ねた。
シンレイのおかんは微笑み、かけぶとんをそっと掛け直した。
「そこは大丈夫、上杉は私の部下と一緒に行動しています。
ただ、若頭の武田さんたちが交戦中だ。
応援はよこしたけれど舞台が上杉の自宅だ、おやじさんも近づけない。
ここも知られたくない、連絡は取らない方が安全だと思います」
そう言って、彼は一台のスマートフォンをポケットから取り出した。
「淑子さん、これを持っていてください…電話帳に私の連絡先が入っています。
シンレイと高岡さまもこのスマートフォンの番号を、それぞれ登録しておいてください。
そしてもしもの時…少しでも不安があるなら、すぐに連絡してください。
どんな小さな事でも構いません、私か部下が対応します」
「ありがとうございます」
上杉はスマートフォンを、枕の下にしまった。
シンレイのおかんはそれを見届け、俺の方を向いた。
「高岡さま…ご迷惑と思いますが、ここはまだ敵に知られていない。
どうか淑子さんをよろしくお願いします、シンレイにも手伝わせますので」
「当たり前や、俺らの大事な人やもん」
「あのカードを淑子さんのためにもお役立てくださいまし。
しばらく上杉の家に帰れぬなら、淑子さんに着替えも何もかも要ります」
それから彼はシンレイの頬を手で挟んだ。
「シンレイ、お前が高岡さまと淑子さんを守るのだぞ」
「むきゅ」
「お前が私や家を思ってくれているのはわかる、私もお前が可愛くてならない。
でももうそろそろ、自分の人生を自分のために生きてもいいんじゃないか?
恩義ではなく自分の心のために、大事な人たちを守ってもいいんじゃないか?
何人殺しても構わぬ、いざという時はお前が盾になってでも守り抜くんだ…よいな」
…シンレイのおかんのこんな厳しい顔、初めて見る。
これが台湾伊家角頭の顔か、静かだがそれだけに恐ろしい。
俺はこんなすごい人に見初められたのだ。




