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猪可以飛  作者: ヨシトミ
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第19話 上杉の部屋

第19話 上杉の部屋


女…そうか、ここは上杉の部屋だったのか。

部屋は他の部屋と同じく微妙に散らかっていたが、窓辺には鉢植えのミニバラが、

低い棚の上には花瓶に挿した生花が、床には女向けのファッション誌があった。

部屋の中央のテーブルには化粧品と鏡が置かれてあり、

朝出かける前につけたであろう香水の残り香が、未だこもっていた。

上杉はかつて女であった事に、今でも未練があるのだろうな…。


そしてこの部屋にはベッドが置かれてある。

…おやじさんとは一緒に寝ていないのか。

おやじさんがもう歳だからだろうか。


部屋のクローゼットに上杉の服はしまわれてあった。

見た事のある例の高そうなスーツや、料理の時のちょっとオラついた普段着とか。

下着は男物と女物が混在していた。

きっと用途やシチュエーションで使い分けているのだろう。


そんな中クローゼットの一番端に、一着だけ女物の服が吊るしてあった。

夏物の白いワンピースか…上杉はどんな女だったのだろう。

シンレイは女だった頃の上杉を、それは美しかったと言う。

上杉は一体どんな気持ちで、おやじさんの提案を受け入れたのだろう。

どんな気持ちで女である事を捨てて、上杉悠一という男になったのだろう。


シンレイは上杉のために戦いたいと言った。

今はそれぞれの幸せを見つけても、過酷な環境を共にした女同士の絆は固い。

上杉にとってもそんなシンレイは可愛いだろう。

シンレイが大事に思った人…今は俺にとっても大事な友達だよ。

一般人の俺に出来る事は少ない、でも出来る限りの事はしたい。


俺に出来る事は、この家に上杉がいつ帰って来ても良いようにしておく事。

風呂も沸かしてある、食事も着替えも用意した。

それからこの家の安全を、武田のじいさんと上杉の組員らで守る事。


全ての準備が済むと、俺は1階の居間で武田のじいさんと二人きりになった。

時々持ち込んだお茶を飲みながら、二人でテレビを見ながら待機する。


「高岡くん、私たちもいる事だし…今のうちに少し寝ておいたらどうですか」

「おおきに…でも皆の事を思もたら…」

「横になるだけでもだいぶ違いますよ、体力の温存は大事です」


武田のじいさんはそう言うと、二階から掛け布団を運んで来てくれた。


「おおきに武田さん…そういや武田さんて、『武田』やのに味方なんやね。

ここは上杉の家やで、武田は上杉の敵やないんかい…」

「良くネタにされて笑われています、給料が塩で支払われてるとか、

社員研修は絶対川中島だろとか、喧嘩が絶えないんじゃないかとか」


武田のじいさんはぷぷと笑った。


「…武田と上杉だから、最初は私と上杉も敵同士だったんです。

神政会ではないですが、出会った頃の私は敵対勢力の人間でした。

上杉とはシマをめぐって、何度も何度も激しい抗争を繰り返していてね…」

「あ、やっぱ敵やったんか」


俺は横になって、ふとんを鼻までかぶった。


「当時の上杉はまだ井上会の組員で、私はその敵の幹部。

上杉とは絶対にわかり合えないであろう敵だったんです。

それがね、神政会の台頭で私のいた組を含めた、組織が潰されてしまったのです」


武田のじいさんは座布団を折り畳んで、俺の頭の下に差し込んでくれた。


「路頭に迷っていたある日、上杉と偶然に再会してね…。

敵同士でもそこは長年の付き合いで、会えば話もよく通じるのです。

その頃の上杉は、井上会から自分の組を持つお許しをもらっていて、

ちょうど人を探しているところでした…彼はなんと敵だった私を誘ってくれたのです」


俺は武田のじいさんと上杉のおやじさんのなれそめを、横になったままじっと聞いていた。

興味深い話だ、どうやって敵同士が心強い味方になったのか。


「暇してるなら一緒に組をやってみないか、新しい組にお前の力を貸してくれないか、

上杉の言葉を今でも覚えています…一生忘れないと思います。

その言葉に報いたい一心で、今日まで仕えてきました。

上杉の家は最初は私と上杉の、それから組員の皆が心を持ち寄って出来た家なのです」


素敵な話やね…俺はふふと笑った。

武田のじいさんもふふと微笑みを返してくれた。


「俺も上杉のおやじさん好きやで…困っとるもんは放っておけん人なんやね」

「そうなんですよ、上杉が誰彼なく拾って来るもんだから、

そのためにもめ事も多くてね…でもおかげで暇してる暇なくて楽しいですよ」

「…おやじさん、俺にまで声かけてくれはったで」

「高岡さんは上杉のひと目惚れですよ、ぜひ育ててみたいって。

私ら極道は交渉事が多いから、きっと一流の交渉人になるって…」


武田のじいさんとそんな他愛ない話をしていると、だんだんに眠くなって来て、

俺はうとうとし始めた。

眠るでも起きるでもなく、しばらく横になっていると、外が急に騒がしくなった。


「どうした?」


武田のじいさんが見張りの者に声をかけた。

俺も起きて、彼について外に出る。

そこには組員のひとりが血を流して倒れていた。


「狙撃す! 俺は大丈夫すから、若頭も高岡さんは家に入っててください!」


彼の命に別条はないらしい。

俺は倒れた組員が持っていたらしきスナイパーライフルを拾い上げた。


「えっ、ちょっと…」

「ちょと借りるで」


大丈夫、弾はまだある。

俺はセーフティをはずして、スコープを覗いて狙いをつけた。

倒れた組員の傷の付き具合を見れば、大体の方向はわかる。

そこやろ、あそこんビルん屋上に隠れとんのわかっとんで。

俺は引き金を引くと、スコープの向こうで男が倒れ込んだ。

死んだかはわからない、だがどこかには当たったのだろう。


「ちょっ、高岡くん…! 嘘だろ…」


家の中から武田のじいさんが目をむいていた。


「俺は一般人やけど、銃は初めてやないで…」

「驚いたね、どこでそんな…海外か?」

「海外でも行くたんびにようさん撃ったで…それにそういう環境で育ってん」


俺の脳裏に松の並んだ植木畑が見えていた。

陽が落ちると、あの畑に入る者は誰もいない。

拳銃を発砲しても、近くを走る川の音がかき消してくれる。

夜の植木畑の奥なら何だって出来る。

麻薬の取引も、殺人も強姦も、何だって。

それがよくあるいつもの日常だった。

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