第20話 ムラ
第20話 ムラ
俺の実家は大阪府内の南東部、生駒の麓から始まるぶどう栽培地域の限界近くにある。
俺のいた集落はちょうど交通の盲点に当たり、陸の孤島と言われていた。
鉄道も離れており、少ないバスがやっと通るほどで買い物にも不自由で、
子供の頃は魚やら豆腐やらの行商が来ていたくらいだった。
陸の孤島だから当然インフラも取り残されていて、道路も狭く曲がりくねっており、
便所は未だに汲み取り、都市ガスも来ていない。
小さな丘を中心に出来た集落はほぼ「杉田」と、その分家の「高岡」しかおらず、
住民が集落を「ムラ」と呼ぶほどの、強固なムラ社会が形成されていた。
そしてその住民のほとんどが植木農家や造園業など、造園関係の職業に従事している。
あの辺りは被差別部落が多い地域で、国が指定したところだけでなく、
未指定の被差別部落も多いと聞く。
夕暮れの寂れた土地にユンボが並んでいるのを見ると、
やっているのかどうかもわからぬ造園屋の店先に、出荷前の庭石や松を見ると、
たぶんここもそのひとつなのだろうと思う。
そんな土地だったから学歴など不要で、高卒でも十分に高学歴だった。
わずかな子供らは小学校を出るととりあえずグレて、
中卒か高校中退で家業を手伝うのが普通だった。
当然ヤクザになる者も少なくはない。
たぶん売られてしまうのだろう、女の子らはいつの間にかいなくなってしまう。
そんな彼らにとって、地域の植木畑は犯罪を行うのに最適だった。
まだ子供だった俺でも、その現場をたびたび目にした。
それがあまりにも普通の事だったから、誰も警察に通報しないどころか気にも止めやしない。
どうやら警察でもあの集落には介入できないらしい。
だからみんなやりたい放題だった。
俺が初めて銃に触れたのも、やはり夜の植木畑だった。
ヤクザになった近所の兄さんが触らせてくれた。
初めて撃ってみたのもその時だった。
狙いはそれて、松の葉をかすっただけだった。
銃を手にすると、その夜の松葉の匂いや植木畑の光景を思い出す…。
大人になってから女連れで海外旅行に行く時、大体かっこつけで射撃に行く。
アホやったね、そんなん女にはただ怖いだけなのに。
当たり前だが、回数をこなせば射撃の精度も上がって来る。
銃の扱いにも慣れて来る、だから今夜のような事も出来る。
特別武道をやっていた訳じゃないから、接近戦は喧嘩レベルだが…。
「上杉はこれも見抜いて見初めたのか…いやそれはないか」
武田のじいさんは妙に感心していた。
もう敵の気配はない、上杉の自宅周辺は静寂を取り戻した。
俺たちは家の中へと戻った。
「それはないやろ、おやじさんと出会うた時の俺はただの一般人や。
上杉悠一の元カノの今カレ、そんなとこや」
「…若は無事でしょうか」
「武田さん、そういや上杉て戦えるんか?」
「あんまり知られたくはないんですがね…」
武田のじいさんは口ごもった。
「実はそんなに戦える人じゃないんです、仕事も上杉に付いて雑務をこなすぐらいで…」
「あ、やっぱり」
「若の場合は姐も兼ねているので、人望はあるのですがね…。
この先上杉に何かあれば、若頭の私が組を引き受ける事になります。
私が生きているうちは良いのですが、私ももう歳でその先を思うと心配で」
「武田さんの後は上杉やろか?」
俺は居間のちゃぶ台の前で頭を抱え込む武田のじいさんに、
ペットボトルからお茶を汲んで差し出した。
「皆そのつもりでおります」
…上杉の家も大変なのだな、まさか肝心の跡取りが最弱とは。
シンレイのおかんも、シンレイの行く末を心配して頭を悩ませている。
シンレイみたいな女だと、やっぱり利用されるだけ利用されて、
価値がなくなれば捨てられるか、それとも殺されるかが関の山だろう。
敵の襲撃はあれきりで、上杉の家にはもう一晩泊まり込んで、
俺は一度家に帰る事になった。
さすがにもうバイトもこれ以上休んではいられなかった。
武田のじいさんも、組員らもここは大丈夫と言ってくれた。
5日間続けてバイトに出て、家で寝てから上杉の家に顔を出す。
上杉は未だ戻らぬままだった。
5日目のバイトが終わり、やっと明日は休みという早朝だった。
勤務先の店でうどん玉と揚げ玉を買って、自宅のある川沿いのL字型マンションに戻る。
このマンションにエレベーターはなく、階段をぐるぐる昇るしかない。
今朝はその階段がいやに汚れていた…このシミは血痕だろうか。
物騒なマンションだな、そう思いながら自宅のある5階まで上がると、
部屋の前に人が座り込んで、ぼろ布の中に丸くうずくまっているのを見つけた。
酔っぱらいのホームレスが入り込んだのだろうか、ずいぶんぼろぼろじゃないか…。
俺の足音に彼は顔を上げた。
「あ…」
酔っぱらいのホームレスは安堵したような、すがりつくような目でふっと微笑んだ。
男は女だった。
上杉悠一、俺の唯一の友達だった。
「上杉…! どないしたんや、しっかりしい!」
俺は駆け寄り、上杉の肩を抱いた。
ほろ布の中の彼は何も着ていなかった。
きれいにしていた髪はぐちゃぐちゃに乱れ、陶器のような白い肌には無数の傷があり、
そのそれぞれから血が流れていた。
「…逃げて来た、ちょっとかくまって欲しい…ごめん、すぐ帰るから…」
そう言うと、上杉は俺の肩に頭をもたげた。
気を失ったのだ。
でもその頭が熱い、熱があるのか。
俺は上杉を家の中に運び込み、玄関に寝かせるとマンションの外を覗いた。
追っ手はいない、よかった。
家の中に戻った俺は電話をかけた。
もちろん上杉の家にだった。
上杉の自宅は応答しなかった、上杉のおやじさんも出ない。
俺は武田のじいさんの携帯にかけてみた。
こっちも出ない、留守番電話にメッセージを残しておく。
「あ、武田さん? 高岡や。…今、自宅前で上杉を発見した、保護すんで…」
すると、がちゃりという音がして武田のじいさんが出た。
「もしもし、高岡くんか…こちら取り込み中、敵襲だ」




