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猪可以飛  作者: ヨシトミ
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第11話 売り物の女たち

第11話 売り物の女たち


男は俺やシンレイと同年代か少し上ぐらいだろうか。

胸ぐらいある黒髪に、前髪をかきあげておでこを見せている。

シンレイのおかんは赤みの強い肌をした、南方系の濃いめイケメンだったが、

この男は北方系なのだろう、髪以外は全体的に色素が薄い。

細く尖った目が特に印象に残った。

だがこの男もまた、シンレイのおかんとは違ったタイプのイケメンには変わりない。

そして職業はかたぎじゃないのだろう、やっぱり上質の黒いスーツにコートだ…。


「え…あう? えう?」


シンレイは目を白黒させて男の腕の中でもがいていた。


「上杉悠一…いや、淑子と言えばわかるはずだ」

「淑子…って、私の中ではとし姉ちゃんしか思い出せないんだけど…」

「その姜淑子だ! 忘れたか、最愛の女の名前を」 


上杉と名乗る男は細い目をより細めて、嬉しそうにシンレイの髪をかき乱した。

とりあえずシンレイの敵ではないらしい、ほっとした。

ただ、俺の敵ではあるらしい。


「…えー」


俺の作ったメシを食べた時のように、シンレイは嫌そうに顔を思い切りしかめた。


「とし姉ちゃんはこんなガリガリごつごつじゃないよう。

もっとふっくらとして美味しそ…いや、ぷりぷりと可愛かったはず…?

それに『悠一』とかださい名前じゃないよう、『淑子』ってうんときれいな名前だったよう…!」


シンレイがとうとう泣き出してしまったので、俺が上杉に話しかけてみた。


「あの、シンレイん友達やろか?」

「は?」


上杉は尖った目をより尖らせて鋭い光を放った。


「美映子の恋人ですけど?」


あ、やっぱり…そうだよな、俺だけがシンレイの味方になる男じゃないもんな。

シンレイほどの女なら敵も多いが、味方になりたい男だって山ほどいる訳だ。

まいったね、本当に俺の敵だ。


「美映子も趣味が悪いね…こーんないい男が目の前に現れたってのに、

そのおっさんのどこがいいのさ、デブじゃん、豚じゃんか」

「言さんは私の豚だよ! マイデブ! とし姉ちゃんこそ何さ、がりがりのださださじゃん!」

「ふふん、お互いさま」


上杉は笑うと、人ごみの向こうに手を大きく振った。


「わた…いや、俺も今東京に住んでるよ。今度久しぶりにデートしようぜ?

俺もやっと自由になれた、美映子もだろ? その目だ、わかるよ…」


そう言って連絡先を書いた名刺を差し出す彼に、スーツ姿の男たちが近づいて来る。

男たちが俺とシンレイに軽く会釈した。

ずいぶんいかつい男たちだ、たぶんヤクザなのだろう。


「悠一、用事は済んだのか?」

「はい、おやじさん」


上杉は幸せそうな顔で、男たちのボスであろう初老の男に返事をした。


「美映子、いや今はシンレイか…俺の主人だ。彼が俺を男にする事で解放してくれた。

『悠一』って名前もその時、彼がつけてくれたのさ…『上杉悠一』、ださい名前で結構」

「とし姉ちゃん…!」


シンレイはぱっと笑顔になり、嬉しさに涙をこぼした。


「絶対連絡しろよ」、上杉はそう言ってご主人の腕に自分の腕を絡めて歩き出した。

彼の外見はどう見ても完全に男だった、でもその仕草に女としての名残を感じた。

上杉悠一はかつて女だった男なのだ。

男から女になったシンレイのおかんとは逆みたいなもんか。


「…とし姉ちゃんはな、元は姜淑子(かん としこ)って言って、

どこかからさらわれて来た女たちが、集められる場所で一緒だったんだよ。

在日3世だって言ってた、すっごくきれいで優しくてね…大好きな人だったよ」


帰りの電車の中、シンレイは上杉の事を話してくれた。

彼女の昔話を聞くのは初めてかもしれない。


「えっ、あいつお前の恋人やて言うてたで?」

「だってほんとの事だもん」


シンレイは窓に流れる雨を眺めながら、ふふと懐かしそうに笑っていた。


「てかあいつ、女やろが」

「女だからだよ…とし姉ちゃんと一緒にいたあの頃、男は全員が全員敵だったから。

そんな中で信じられるのは、愛せるのは同じ女だけだったんだよ…」

「…ごめん、そんな辛い事話させてしもて」

「いや、もうちょっと話したい」


座席の下でシンレイの指が、俺の太い「かにぱん」のような指に触れた。

そのまま手をつないでそっと握ってやる。


「女は若さだけが価値じゃない、歳を取ったばばあにだって女としての価値がある。

自分の歳相応の女がいいって男もいるし、年上好みの男もいる。

性の奴隷だけじゃなく、女にはいくつになって働かせられる場所があるんだよ。

ばあさんになっても女は立派な商品だ」


それって、人身売買って事…?


「そんな女がそこから解放されるのは、簡単な事じゃない。

気が狂ったごときじゃ解放なんかされない、私やとし姉ちゃんは性目的だったから…。

身体の一部を失うか、それとも死ぬか…女としての価値を損ねて失うしかない。

私は偶然の事故だったけど、とし姉ちゃんは女を辞める事を選んだ…」


その「とし姉ちゃん」は、「上杉悠一」という男になってもなお美しかった。

女でいた頃は相当に美しかったのだろう、恐らくこのシンレイ以上に。


「『上杉悠一』とかださ過ぎだよね、ふっくらと女らしかった身体もあんなごつごつして…。

でもよかった…とし姉ちゃんが自由になれて、幸せになれて、うう…」


シンレイがまた涙を浮かべた。

純粋に誰かを思って涙を流す彼女が可愛くてならなかった。

それと同時に羨ましさを覚えた。

彼女への申し訳なさに泣いても、俺にはそんな涙はない。


「ええご主人に恵まれたみたいやな…何やヤクザみたいやったけど」

「ヤクザだっていい、とし姉ちゃんが幸せでほんとによかったあ…うわーん!」


電車の中だと言うのに、シンレイは子供のように鼻水を垂らして大泣きしてしまった。

周囲の乗客に好奇の目でじろじろ見られながら、俺は大いに困り果てた。



それから1週間ほどした朝、6時に仕事を上がって店を出た。

土手を歩いて、橋の近くの緑の屋根が付いたL字型マンションまで帰って来ると、

マンションの1階に入っているそば屋の縁台に、黒ずくめのヤクザが足を組んでいた。


「あ、お前…」

「待っていたぞ、高岡言」


ヤクザは先日会った上杉悠一だった。


「美映子の居場所と近況ついでに、お前の事も少し調べさせてもらった。

珍しい経歴はともかく、お前についてひとつ疑問がある」

「何や」

「お前の過去は声優…つまりただの一般人のはずだ。なぜヤクザが怖くない?」


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