第五話 祝祭の影
レストランを出た三人は、来た道を真っ直ぐ戻っていく。心なしか先ほどよりヒトの往来が増えている気がする。
「あ、あの……ラリナさん、お金……」
財布を取り出そうとカバンを漁るラルドの手を、ラリナがそっと止める。
「フィレンは治安が良い街だけど、今日みたいにヒトがたくさんいる日は用心するに越したことはないわ」
確かに、とラルドは納得する。
お金はブティックに戻ってから返そう。そう思い、カバンの口を閉じた。
「それに——」
ラリナはラルドの方を見ると、いたずらっぽく微笑む。
「高級ブティックのオーナーが、ノーディアスの子にお金を出させたなんて。そんな事があっていいはずがないわ」
そこまで言われると、ラルドはもう「返す」とは言えない。
お礼を言って、ラリナから離れないように懸命に歩く。
店の通用口がある裏道はヒトが少なく、安全に通れた。
ラリナが店の鍵を開けていると、背後から「ねぇねぇ、ボウヤたち」という声が聞こえる。
振り向くと、一人のマーメイディアが笑顔でラルドたちを見ていた。
「あら。久しぶりね、ミレカ。ここからは大公ご夫妻のパレードは見えないわよ?」
ミレカと呼ばれた女性はラリナに視線を向けると、楽しそうに笑って答える。
「パレードなんか興味ないよ。商機があるからここにいる、それだけ」
「商機?」
ラルドが首をかしげる。
「大通りで見物するヒトたちは、大公夫妻が来たら歓迎の意味を込めて花を投げるそうだよ」
ラルドに向かって笑顔でそう言うミレカに、ラリナはため息をはく。
「そういうことね……いいわ、この子たちに1本ずつちょうだい」
「まいどあり! ボウヤたち、白花とエルフローズがあるけどどっちにする?」
ミレカは二輪の花を少年たちに向ける。
白花はその名の通り白く可憐で、先ほど食べたデザートにも使われていたからか、どこか似た甘い香りがする。
一方、エルフローズは淡く透き通る黄緑色の花弁が美しく、仄かに上品な香りを漂わせている。
二輪の花を見比べていたロイだったが、花には興味がないのだろう。
「俺、どっちでもいいからラルドが決めてくれ」
そう言って、通りの方へ視線を向ける。
「ボクだってよく分からないよ……」
そう言って悩むラルドに、ミレカが助け舟を出す。
「エルフローズはね、大公妃殿下のために作られたバラなんだよ」
どういうことだろう。気になったラルドは、黙ってミレカの言葉を待つ。
「大公妃殿下が、元々アズレインの王族だったことは知ってるかな? 当時まだノーディアスだった二人が結婚したんだけどね」
ミレカは手にしたエルフローズへ目を落とす。
「妃殿下には家族も友人も、頼れる者は誰もいない。おまけに、本来ならマーメイディアになるはずだったのに、結婚したことでエルフィディアにならざるを得なくなった。どんなに寂しかったろうねぇ……それでも気丈に振る舞う彼女を不憫に思った当時の公子様が、少しでも彼女の心が晴れるようにって、作らせたそうだよ」
それを聞いたラルドの脳裏に、幼なじみの少女の顔が浮かぶ。
大公妃殿下とは、境遇も立場もまるで違う。
それでも、本来ならマーメイディアとなりいつか故郷へ帰るはずなのに、エルフィディアになるのだと笑っていた彼女の姿が、なぜか目の前の薔薇と重なって見えた。
「じゃあ……ボクはエルフローズで」
「はいよ。ちなみに花言葉は『異郷に咲く心』だよ」
幼なじみの姿を重ねたその花を受け取ったラルドは、しばらく目が離せなくなった。
「じゃ、俺は白花で」
「はい。白花の花言葉は、『清らかな祝福』ね」
ロイは白花を興味なさげに受け取る。
しかしふわりと漂う甘い香りに、思わず「さっきのムース食いてえ」と呟いた。
「おいくらかしら?」
「銀貨二枚でいいよ」
ミレカとのやり取りを終え、三人は店に入る。
しかし、ラルドがすぐに出てきた。
目を丸くしたミレカが、どうしたのかと尋ねる。
ラルドは少しためらってから、口を開いた。
「エルフローズ……もう一本、ください」
ミレカはたくさんの花が入った籠を覗き込み、エルフローズを探す。
なかなか見つからず、ラルドが不安になりかけた頃、ミレカが一本の黄緑色の花を取り出した。
「おっ、あったあった。運がいいね、ボウヤ。これで最後だよ」
エルフローズを受け取ったラルドは、安心したように笑う。
「なぁに、ボウヤ。もしかしてカノジョ?」
突然そう聞かれ、ラルドは一気に顔を赤くする。
「ち、違いますよ! サラは幼なじみです! もうすぐ誕生日だし、エルフローズって珍しくて綺麗な花だから、プレゼントにぴったりだと思っただけです!」
必死に否定するラルドを見て、ミレカはくすくすと笑う。
「そうかそうか。若いっていいねぇ」
ラルドは何か言い返したいが、言葉は出ず、ぱくぱくと口が動くだけだ。
「よし、オネーサンが特別にサービスしてあげよう。そのエルフローズ貸しな」
言われるままに花を渡す。
ミレカが茎にそっと触れると、風に揺れていたエルフローズの動きがぴたりと止まる。
透き通る花弁は美しい形を保ったまま、静かに水気を失っていった。
「はい。ドライフラワーにしたから、枯れずにずっとこのままだよ。壊れやすいから扱いに気をつけて」
再びエルフローズを受け取ったラルドは、銀貨一枚をミレカに渡す。
「まいどあり。持って帰る時は、ラリナに箱でも貰えばいいよ」
「ありがとうございます……」
そう言ってラルドは、足早に店内へと戻る。
その背を見送り、ミレカは手の中の銀貨に目を落とす。
「ホントは、銀貨一枚と銅貨五枚なんだけどね」
誰に聞かせるでもなく呟いたその声は、薄暗い路地に溶けていった。
店内に戻りラリナの作業部屋を覗くと、彼女は作業に没頭していた。
邪魔をするのは悪いと思いつつ、箱が一つ欲しいと伝える。
「そこにハンドバッグ用の箱があるから、好きに使ってちょうだい」
手頃なサイズの箱をひとつ手に取り、買ったばかりのドライフラワーをそっと箱に収める。
「ロイは二階にいるから、上がってね」
作業の手を止めずにそう言うラリナに、ラルドはお礼を言って二階へ上がった。
「おっ、来たな! もうすぐ大公殿下たちが乗った馬車が街に着くってよ!」
その言葉を聞いて、ラルドも興奮する。
「ホントに!?」
ロイの隣へ行き、窓から通りを覗き込む。
下からは、大公夫妻がもうすぐ到着すると知らせる声が聞こえてきた。
「いよいよだな、ラルド! マイゼルト様はどの辺にいると思う!?」
「馬車の扉はだいたい左側にあるから、大公夫妻もそっちから出てくると思う。だったら、護衛のマイゼルト様も左側にいるんじゃないかな?」
「そ、そうか……」
顎に手を当てて真剣に考えるラルドに、ロイは少し引き気味に答える。
その時、遠くから大きな歓声が響いた。
「来た!」
二人は揃って通りの先へ目を向ける。歓声は次第に大きくなり、やがて色とりどりの花が宙を舞い始めた。
大勢の人々に迎えられながら、白を基調とした豪華な馬車がゆっくりと大通りを進んでくる。馬車にはレイヴェルト大公とセシェアヴァリナ大公妃が並んで座り、沿道の人々に笑顔で手を振っていた。
馬車が近づくにつれ、その周囲を護衛する騎士たちの姿もはっきりと見えてくる。
ラルドは目を凝らし、馬車の左側を進む騎士たちを一人ずつ追っていった。
その中に、黒に近い深緑の髪をした一人の騎士がいる。白い騎士服に身を包み、周囲の歓声にも表情を変えず、真っ直ぐ前を見据えていた。
「……あの人」
ラルドの胸が高鳴る。
「あの人が、マイゼルト様……?」
「たぶんそうだ! ホントに左にいたな!」
ブティックはホテルへ向かう馬車の左手にあるため、その騎士の姿は二階の窓からよく見える。
初めて目にする憧れの騎士の姿に、ラルドは目を輝かせた。
「マイゼルト様……!」
やがて馬車がブティックの前へ差しかかる。
「ラルド、花!」
「あっ!」
ロイに言われ、ラルドも慌ててパレード用に買ってもらったエルフローズを構える。
「せーの!」
二人は同時に花を投げた。
白花とエルフローズが、通りを舞う色とりどりの花に混じって馬車へと飛んでいく。
その中で、セシェアヴァリナが淡い黄緑色の花に気づいた。少し驚いたように目を見開き、手を伸ばす。
エルフローズは、吸い込まれるように彼女の手の中へ収まった。
「……!」
ラルドは思わず息を呑む。
セシェアヴァリナは手にした花を見つめると、隣に座るレイヴェルトへ何かを囁いた。
レイヴェルトもエルフローズへ目を向け、それから二人揃って顔を上げる。その視線が、ブティックの二階へ向けられた。
二人は笑顔でこちらへ手を振った。
「ラルド! こっち見てるぞ!」
「えっ、ボクたちに!?」
嬉しさのあまり、ラルドは窓からさらに身を乗り出す。
「おい、危ない!」
ぐらりと身体が傾いた。
「うわっ!」
ロイが咄嗟にラルドの服を掴み、後ろへ引く。
どうにか落ちずに済んだラルドは、窓枠にしがみつきながら大きく息を吐いた。
「あっぶねぇな! 落ちたらどうすんだよ!」
「ご、ごめん……」
そう答えながら何気なく眼下へ目を向けたラルドは、一人の男に気づく。
通りにいる人々は皆、大公夫妻に向かって笑顔で手を振っていた。歓声を上げ、花を投げ、誰もがパレードを楽しんでいる。
しかし、その男だけは違った。
落ち着きなく辺りを見回し、何度も建物の上へ視線を送っている。周囲が笑顔に包まれる中、その男だけはひどく険しい顔をしていた。
「……?」
何かがおかしい。
そう思った瞬間、男が懐から小さな鏡を取り出した。
鏡の角度を変え、屋根の上へ向けて二度、鋭い光を送る。
それとほぼ同時に、屋根の上や建物の二階にいた数人が一斉に馬車へ手を向けた。
その掌に魔力が集まり、細く鋭い形へと変わっていく。
ラルドは息を呑んだ。
「危ない!」
ラルドの叫び声が響く。
護衛の魔術師たちもすでに異変に気づいていたのだろう。一斉に馬車へ手を向けると、次の瞬間、馬車を囲むように半透明の壁が現れた。
直後、屋根や窓から魔力が一斉に放たれる。
鋭く伸びた魔力が上方から斜めに馬車へ降り注ぎ、次々と障壁へぶつかった。
鈍い衝撃音が重なり、歓声は瞬く間に悲鳴へと変わる。
それでも障壁はびくともしない。
馬車に設置された壁は、その動きに合わせて進みながら、大公夫妻を包むように守り続けていた。弾かれた魔力は勢いを失い、そのまま石畳へ落ちて霧散していく。
「マイゼルト様……!」
ラルドはすぐにマイゼルトを探す。
きっと誰よりも早く動く。そう思っていた。
しかし、マイゼルトは動かない。
周囲の騎士たちが襲撃者を探し始める中、彼だけは剣に手をかけることもなく、ただ一点をじっと見つめていた。
「……?」
不思議に思ったラルドは、その視線を追う。
人混みから少し離れた建物の陰に、黒いローブを纏った男が立っていた。
騒ぎの中でも慌てる様子はなく、男もまたマイゼルトを見ている。
二人の視線が交わる。
やがてマイゼルトが、ごく小さく頷いた。
ラルドはもう一度、黒いローブの男へ目を向ける。
「……え?」
いない。
ほんの一瞬前までそこにいたはずの男が、跡形もなく姿を消していた。
その間にも護衛の騎士たちは次々と動き出し、合図を送った男を取り押さえる。
別の騎士たちは建物へ駆け込み、屋根や二階に潜んでいた襲撃者たちを追っていった。
魔術師たちは障壁を維持したまま、大公夫妻と馬車の安全を確認している。
やがて周囲の混乱も少しずつ収まり始め、馬車は護衛に囲まれたまま、そのまま大通りをゆっくりと進んでいった。
レイヴェルトとセシェアヴァリナは、先ほどまでと変わらない穏やかな表情で人々に手を振っている。
戸惑っていた人々からも、少しずつ歓声が戻ってきた。
まるで、何事もなかったかのように。
色とりどりの花が舞う中、パレードは再び華やかな賑わいを取り戻していった。




