第六話 路地裏の邂逅
大公夫妻が何者かに命を狙われるという、衝撃的な事件が起きた。
幸いにも二人に大きな怪我はなく、パレードは再開され、無事にホテルへと入っていく。
窓の外では、先ほどの騒ぎが嘘だったかのように再び賑やかな声が飛び交う。
その姿を最後まで見届けたラルドとロイは、ようやく張り詰めていた緊張から解放され、窓際の壁にもたれるようにしてその場に座り込んだ。
「何だったんだよ、あれ……」
ロイがボソリと呟く。
早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように、その手は胸元を押さえていた。
「大公様と大公妃様を狙ってたよな……」
ラルドも黙って頷く。
目の前で起きた出来事が、今になってじわじわと現実味を帯びてくる。
「そういえば……どうしてマイゼルト様は動かなかったんだろう」
ラルドがふと疑問を口にする。
あれほどの騒ぎの中でも、マイゼルトは大公夫妻のそばを離れなかった。
「そりゃー他の騎士たちが動いてたし、大公様たちの護衛なんだから離れらんないだろ」
「……そっか」
ラルドはそう答えながらも、どこか腑に落ちないままだった。
騒ぎの最中、マイゼルトが誰かに向かって小さく頷いたように見えた。
けれど、あれほど慌ただしい状況だったのだ、見間違いだったのかもしれない。
「まあ、誰も怪我しなくてよかったじゃん」
ロイがそう言って、胸元から手を離した。
その時、ドタドタと激しい足音が階段を駆け上がってきた。
「ふたりともっ!!」
勢いよくドアがバンッ!と開かれ、息を切らしたラリナが飛び込んでくる。
「あ、おばさん」
ロイが手をヒラヒラと振って応える。
「下で作業をしてたら、急に大きな音と悲鳴が聞こえて……アンタたち、怪我は無い!?」
ラリナは返事を待つより先に二人のそばへ駆け寄ると、まずラルドの肩や腕に触れ、怪我がないか確かめるように全身を見回した。
「どこか痛いところはない?」
「だ、大丈夫です……」
ラルドがそう答えてもまだ安心できないのか、今度はロイの頬を両手で挟み、そのまま顔を左右に向ける。
「アンタも! ちゃんと見せなさい!」
「ちょっ、おばさん! 大丈夫だって!」
ロイが鬱陶しそうに身をよじるが、ラリナは構わず頭から足元まで確かめていく。
二人とも無傷だと分かると、ラリナは大きく息を吐き、胸を撫で下ろした。
「よかったぁ……アンタたちに何かあったらと思うと……はぁ、寿命が10年縮まったわ……」
ラリナはもう一度大きく息を吐くと、ようやく安心したのか階下へ戻っていった。
しばらくして二人も下へ降りると、ラリナは作業台に向かい、先ほどまでの作業を再開していた。
その様子を眺めていたロイが、壁の時計へ目をやる。
「帰りの馬車までまだ時間あるし、俺も手伝うよ」
「今日はいいわよ。せっかく遊びに来てるんだから」
「いいって。時間あるし」
一度は断ったラリナだったが、ロイが引く様子はない。
仕方なさそうに笑うと、簡単な作業をいくつか任せることにした。
「そっちはどうする?」
ロイに聞かれ、ラルドは少し考えてから、ラリナの様子をちらりとうかがう。
「さっきレストランから帰ってくる時に、気になるお店を見つけたから……ちょっと行ってみたいんですけど」
案の定、ラリナの表情が曇った。
「えぇ? さっきあんなことがあったばかりよ?」
「でも、大公様たちはもうホテルに入ったし、人もだいぶ減ってきたから大丈夫だと……思い、ます……」
ラリナにじっと見つめられ、ラルドの声が少しずつ小さくなっていく。
「んー……」
ラリナはしばらく考え込んだあと、念を押すようにラルドを見る。
「じゃあ、人通りの少ない場所には行かないこと。目的のお店を見終わったら、寄り道しないですぐ戻ってきてね」
「はい!」
ラルドは元気よく返事をすると、急いで二階に戻る。
バッグの中に財布がちゃんと入っているかを確認し、肩にかけて一階に降りると、二人に「行ってきます!」と声をかけて店を出た。
パレードが終わったからか、裏通りにもたくさんのヒトが歩いている。
大公夫妻が素晴らしいと語る者、マイゼルトがかっこよかったと興奮する者、襲撃の犯人を予想する者——
気にはなるものの、すぐに戻ると約束したのだ。ラルドは立ち止まることなく、目的の店へと足を進める。
しばらく進むと、マーメイディアの男性が営む露店が見えてきた。
「あった!」
自然と足取りが速くなる。
露店の前まで来ると、ラルドは並べられた品々を覗き込む。
小さな指輪や髪飾り、動物を模したブローチなど、色とりどりの装飾品が所狭しと並んでいた。
その中から、目当てのものを見つける。
「これ……!」
騎士団の紋章を模した、小さなピンバッジ。 精巧なものではないが、遠目に見れば本物の紋章とよく似ている。
ラルドは嬉しそうにそれを手に取った。
「ボウズ、それが気に入ったのか?」
店番をしていたマーメイディアの男が声をかける。
「はい! これ、騎士団のですよね?」
「ああ。今日みたいな日はよく売れるんだ。さっきも、あんな騒動があったしな」
「……そうなんですか」
少し複雑な気持ちになりながらも、もう一度手の中のピンバッジを見る。
憧れている騎士たちと同じ紋章。そう思うと、ますます欲しくなった。
「これ、ください!」
ラルドがそう言うと、男は「銅貨五枚だ」と答える。
カバンの中から財布を取り出し、中から慎重に銅貨を一枚ずつ数えて取り出すと、男に渡す。
「まいど」
男は銅貨を受け取ると、すぐに隣で商品を眺めていた少年へ声をかけた。
ラルドも特に気にすることなく、露店を離れる。
手のひらには、買ったばかりのピンバッジ。歩きながら何度も角度を変えて眺めては、小さな紋章に頬を緩ませる。
――早くロイにも見せたいな。
そんなことを考えながら歩いているうちに、周囲の賑わいが少しずつ遠ざかっていることにも気づかなかった。
ふと顔を上げる。
「……あれ?」
いつの間にか、狭い路地へ入り込んでいた。
先ほどまで聞こえていた話し声も、露店の呼び込みもほとんど聞こえない。
ラリナの言葉が頭をよぎる。
『人通りの少ない場所には行かないこと』
「……戻らなきゃ」
慌てて踵を返し、人通りの多い通りへ戻ろうとした、その時だった。
突然、後ろから腕を強く掴まれる。
「――っ!」
声を上げる間もなく身体を引き寄せられ、背後から羽交い締めにされた。首元にひやりと冷たいものが触れる。
「騒ぐんじゃねぇぞ」
耳元で低い声がする。
視線だけを下へ向けると、首筋には一本のナイフが突きつけられている。
「……っ、ぁ……」
息が詰まる。何が起きているのか分からず、頭の中が真っ白になった。
逃げなきゃ。
そう思った瞬間、反射的に身体が動きかける。
「動くな!」
男の腕に力が入り、刃先がわずかに首へ押し当てられた。
「ひっ……!」
ラルドは慌てて動きを止める。心臓が痛いほど激しく鳴り、呼吸もうまくできない。
どうしよう。どうすればいい。
焦りで頭の中がぐちゃぐちゃになる。
――落ち着け。
ラルドは震える息をゆっくり吐き出した。
怖い。今すぐ逃げ出したい。それでも、ここで取り乱したら余計に危ない。
まずは相手の目的を聞こう。そう自分に言い聞かせ、必死に冷静さを取り戻そうとする。
「……な、何が……目的、ですか……?」
震える声で、どうにか言葉を絞り出す。
背後の男が小さく鼻で笑った。
「テメェには悪ィが、俺が無事に街を出るまで一緒にいてもらうぜ」
「……っ」
その言葉の意味を理解した瞬間、背筋が冷たくなる。
人質にされる。
そう気づくと、せっかく落ち着きかけていた心臓が再び激しく脈打ち始めた。
「わ、分かりました……。だから、その……ナイフを……」
「あ?」
男の声が低くなる。
首筋に触れる刃がわずかに動き、ラルドは息を呑んだ。
「……なんでも、ないです」
刺激しちゃ駄目だ。
ラルドはぎゅっと目を閉じ、震えそうになる身体に必死で力を入れる。
今は言うことを聞くしかない。
「生きて家に帰りたきゃ大人しくしてろ。さもないと——」
「さもないと、どうなる?」
不意に聞こえた低い声に、男の身体がぴくりと強張る。
「……誰だ!」
男が声のした方へ顔を向ける。
ラルドも恐る恐る目を開き、その視線を追った。
路地の先に、黒いローブを纏った男が静かにこちらを見据えていた。
いつからそこにいたのだろう。
足音どころか、ヒトの気配すら感じなかった。
「テメェ……いつからそこに……」
「いつからだろうな?」
ローブの男は淡々と答えると、ラルドの首元に突きつけられたナイフへ視線を落とした。
「さて、俺はお前を捕まえに来たわけだが……」
「こっちに来るな! このガキがどうなってもいいのか!?」
男の腕に力が込められ、ラルドは呼吸が苦しくなる。
「まあ待てよ。ここで大人しく捕まるなら、命は助かるぞ」
黒いローブの男はそこで一度言葉を切り、静かに目を細めた。
「――だが、そのガキに傷一つでもつけた瞬間、お前の命もそこまでだ」
「……舐めやがって!」
男はラルドを拘束したまま、空いている手を黒いローブの男へ向ける。
掌に淡い光が集まり、次の瞬間、魔術の弾が勢いよく放たれた。
黒いローブの男は咄嗟に身をかわす。
魔術はその背後の壁と地面へ激突し、轟音とともに石片や砂埃を巻き上げる。
「……っ!」
ラルドは反射的に目を閉じた。
たちまち辺りは濃い土煙に包まれ、互いの姿すら見えなくなる。
「……やったか?」
男が土煙の向こうを睨みつける。
やがて風に流されるように煙が薄れていく。
しかし、先ほどまで黒いローブの男が立っていた場所には、誰もいなかった。
「……どこ行きやがった?」
ラルドも目を凝らすが、その姿はどこにも見当たらない。
――消えた?
そう思った、その時。
「探し物か?」
「――っ!?」
低い声が、すぐ背後から聞こえた。
男が振り返るより早く、黒いローブの男の手がナイフを握る手首を鋭く打つ。
「ぐっ!」
乾いた金属音とともに、ナイフが石畳へ落ちた。
同時に、ラルドを拘束していた腕が緩む。
「離れろ」
「っ、はい!」
ラルドは弾かれたようにその場を離れる。
「テメェ――!」
男が振り向きざまに腕を振り上げる。
だが、それより早く黒いローブの男がその腕を掴み、身体を捻る。
体勢を崩した男はそのまま石畳へ倒れ込み、次の瞬間には片腕を背中へ捻り上げられていた。
「ぐぁっ……!」
「大人しくしてろ」
低く、静かな声が落ちる。
ほんの数秒の出来事だった。
あれほどラルドを怯えさせていた男は、もう身動き一つ取れなくなっている。
少し離れた場所まで逃げたラルドは、呆然とその光景を見つめていた。
いつ土煙の中から抜け出し背後へ回ったのか、まるで分からなかった。
「おい」
不意に声をかけられ、ラルドの肩がびくりと跳ねる。
「怪我は?」
「え……あ、はい。大丈夫、です」
そう答えながら、ラルドはようやく男の顔をまともに見る。
黒いローブの隙間から覗く深緑の髪。その顔は、どこか見覚えがあった。
――似てる。
さっきまで、あれほど目で追っていた人物に。
「……マイゼルト、様?」
思わず、その名前が口からこぼれる。
「……」
数秒の沈黙の後、眉間に深い皺を寄せた目の前の男が、深いため息をつく。
「なんだガキ。オメーもマイゼルト様のファンか」
そう言いながら、拘束していた男の背に手を添える。 一瞬、掌から淡い光が滲んだ。
「……っ」
男は短く息を漏らすと、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
「えっ……!?」
突然のことに、ラルドは思わず目を見開く。
一瞬、何をされたのか分からなかったが、男の背に添えられた手に残る淡い光を見て気づく。
――魔術だ。
黒いローブの男は気を失った男を一瞥すると、何事もなかったかのように手を離した。
「あ、あの……じゃあ、マイゼルト様じゃ……」
控えめに尋ねるラルドに、男は興味が無さそうに答える。
「違う。俺はマイゼルトじゃねぇ」
即答だった。
「す、すみません……似てたから、つい……」
「知ってるよ」
男は面倒そうに眉間の皺を深くする。
「昔から散々言われてる」
そう呟くと、未だに尻もちをついたままのラルドへ手を差し出した。
ラルドが恐る恐るその手を取ると、男は軽く引き上げる。
「あ、ありがとう……ござい、ます」
「別に。コイツを捕まえるのが俺の仕事だ。お前を助けたのはそのついでだよ」
そう言って、倒れている男を一瞥する。
「あの、あなたのお名前を——」
「捕らえたか、ライカルト」
恩人の名を聞こうとしたラルドの声に被さるように、背後から別の男の声が聞こえる。
ラルドがハッとして振り向くと、そこには自分を助けてくれた男と同じ顔——しかし、白竜アルシェドを思わせる白い制服を身に纏った男が立っていた。
「ま、マイゼルト様!?」
驚いて思わず叫ぶラルド。
しかしマイゼルトはそちらに目を向けることもなく、ライカルトと呼ばれた男のもとへ歩み寄る。
「これで最後だな。ご苦労、あとは騎士団が引き継ぐ」
そう告げると、マイゼルトは胸元から紙巻き煙草と細身の吸口具を取り出した。
慣れた手つきで茶橙色のフィルターを吸口具の奥へ差し込み、続けて小さな金属製の火晶器を取り出す。
蓋が、乾いた音を立てて跳ね上がる。
中で深紅に揺らめく焔晶石へ煙草の白い先端を押し当てると。
やがて先端が赤く燻み始めると、マイゼルトは火晶器を閉じ、煙草を口元へ運んだ。
「あぁ……ところで、そこのガキはどうする?」
「ガキ?」
そこで初めて、マイゼルトの視線がラルドへ向いた。
「コイツが、そこのガキを人質にして逃げようとしてた」
地面に倒れている男を踏みつけながら、ライカルトは答える。
「そうか——少年、こちらに来なさい」
呼ばれたラルドは、顔を赤らめながらおずおずと二人のもとへ歩み寄る。
「あ、あの……」
「怪我はないか?」
マイゼルトは煙草を口元へ運びながら、ラルドの姿を上から下まで確かめる。
「だ、だい……じょうぶ、です……」
声が少し裏返る。
目の前にいるのが、つい先ほどまで遠くから眺めていたマイゼルト本人だと思うと、どうしても緊張が抜けない。
「そうか。では少年、気をつけて帰りなさい」
「えっ……」
あまりにもあっさりと話が終わりそうになり、ラルドは思わず声を漏らした。
マイゼルトの視線が、再びラルドへ向く。
「どうした。まだ何かあるのか?」
「あ、あの……帰り道が、分からなくて……」
言い終える頃には、ラルドの声はすっかり小さくなっていた。
マイゼルトは何も言わず、じっとラルドを見つめる。
その沈黙が妙に長く感じられて、ラルドは思わず背筋を伸ばした。
やがてマイゼルトは煙草を口元へ運び、一度だけゆっくりと吸う。
細い煙を吐き出しながら、隣へ視線を移した。
「ライカルト」
「…………」
名前を呼ばれただけで、何を言われるのか察したらしい。
ライカルトは露骨に面倒そうな顔をすると、大きなため息をひとつ吐いた。
「お前、家はどの辺りだ」
「えっと、ボクの家では無いんですけど……ブティック・ラグーナってお店です」
ライカルトは一瞬だけ考えるように目を細める。
「……行くぞ」
そう言うと、返事を待つこともなく歩き出した。
「あっ……はい!」
ラルドも慌ててその後を追おうとする。
けれど、数歩進んだところでふと足を止めた。
振り返る。
マイゼルトはまだその場に立っている。
薄く立ちのぼる煙の向こうで、こちらを見ていた。
何か言わなければと思った。
けれど、結局うまく言葉にはならない。
ラルドはただ姿勢を正し、マイゼルトへ深く頭を下げた。
マイゼルトは煙草を指に挟んだまま、わずかに片手を上げる。
それを見届けると、ラルドは踵を返し、先を歩くライカルトの背中を追った。




