第15話 凌先生の特別課外授業 3
最終日。
校門前には、いつもの柩がいた。
髪を後ろで束ねて、缶コーヒーを二本持って。すっかり、昼の陽キャに戻っている。
「真道さーん!おはようございます!最終日っすね!」
「お前、夜と昼で本当に別人だな」
「言ったじゃないっすか。昼の俺が本物っす」柩はにっと笑って、コーヒーを差し出した。「で、今日の実習なんすけど」
「ああ」
「学長に、話、通しました」
俺は少し驚いた。
「四階のこと、生徒に話すのか?秘密なんだろ」
「全部は話さないっす」柩は声を落とした。「でも——『接客用のAIマネキンが誤作動した事例を、調査する』って体でなら、実習にできる。怪異研以外の生徒も、参加できるように」
「お化けの話は伏せて、AIの故障調査ってことにするのか」
「そっす。実際、嘘じゃないっすからね。あれはお化けじゃない。AIの暴走っす」柩は肩をすくめた。「ある意味、ちょうどいいんすよ。真道さんがいるうちに、ちゃんと『調べる』のは」
実習の時間。
怪異調査学科の二年生、十五人が、一階の空き教室に集められた。さすがに、いきなり四階には連れて行けない。
代わりに、柩が一体のマネキンを運んできた。
例の、十九体目。
ドアを引っ掻くのをやめさせて、台車に乗せて運んできたらしい。教室の前に立たせると、生徒たちがざわついた。
「うわ、なにこれ」
「マネキン?」
「ちょっと不気味なんだけど」
俺は教壇に立って、説明を始めた。
「今日の実習はな。このマネキンを『調査』する」
生徒たちが、きょとんとした顔をする。
「これは、接客用のAIマネキンだ。客の好みに合わせて服を着て、店内を歩く。客が気に入ったら、そのまま買える——そういう商品だ。
でも、こいつは一体だけ、誤作動を起こした。店で問題になって、まわりまわって、この学校に持ち込まれた」
俺は、マネキンを指した。
つるりとした、白い顔。今は、ただ立っている。
「誤作動の中身を、みんなで突き止める。これは怪談でも、心霊現象でもない。AIっていう『中身のある機械』が、なんで変な動きをしたのか——
その理由を、調査で明らかにする。それが今日のテーマだ」
最前列の女子生徒が、手を挙げた。
「あの、調査って、どうやるんですか」
「いい質問だ」俺は言った。「怪異調査の基本と、同じだよ。『何が起きたか』を、順番に並べる。
いつ、どこで、どんな動きをしたか。事実を集めて、そこから『なんで』を組み立てる。幽霊だろうがAIだろうが、調べ方は変わらない」
我ながら、ちょっと講師っぽい。
「まず、わかってる事実を挙げる」俺は黒板に書いた。
「1つ。このマネキンは、店で誤作動を起こした。その結果、『いわくつき』として、この学校に持ち込まれた」
柩が、横から補足する。「同じ店から来た他の十八体は、何ともないんす。動いたのは、こいつ一体だけ」
「2つ」俺は続けた。「こいつは、夜中に脱走した。そして——公園のベンチに座っていた」
生徒たちが、メモを取る。
「3つ。今は、ドアを引っ掻いて、外に出ようとしている」
俺は、チョークを置いた。
「さあ、ここからが本番だ。この3つの事実から、何が読み取れる?こいつは、何をしようとしてる?」
教室が、静かになった。
生徒たちが、考え始める。
一人が、おずおずと手を挙げた。
「えっと……どこかに、行こうとしてる?」
「いいぞ。どこに?」
「……公園、ですか。1回、行ったから」
「かもしれない。じゃあ、なんで公園なんだ?」
しん、とする。
その沈黙の中で——柩が、ぽつりと言った。
「接客用、なんすよね。こいつ」
「ああ」
「客に、服を見せて、気に入ってもらう機械。……だったら」柩が、ゆっくり顔を上げた。「公園に、こいつが『接客したい客』が、いたんじゃないすか」
教室の空気が、少し変わった。
俺は、頷いた。
「その線で、調べよう。こいつの行動ログ——AIが何をしようとしてたかの記録は、取り出せるか?」
「メタバース怪異学科の機材なら、いけるかもっす」柩が言った。「ちょっと、時間もらえれば」
「よし」俺は生徒たちを見回した。「じゃあ、こうしよう。ログ解析班と、公園の現地調査班に分かれる。現地調査は、俺の専門だ。みんなで、公園に行くぞ」
生徒たちの目が、輝いた。
「これ、めっちゃ本物の調査じゃないですか」
「先生、ガチだ」
座学だと思っていた生徒たちが、一気に前のめりになった。
ちょっと、いい空気になってきた。
俺は、マネキンをもう一度見た。
つるりとした、白い顔。
——お前が、何をしようとしてたのか。
——もうすぐ、わかるからな。
なぜか、そう語りかけたくなった。
公園は、昼間に見ると、なんてことのない場所だった。
ブランコ、砂場、ベンチ。木々の緑が、初夏の風に揺れている。あの夜の、薄気味悪さが嘘みたいだった。
俺と生徒たちは、ベンチの周りを調べた。怪異調査の基本——現場を、足で歩く。
「先生、これ何の手がかりになるんですか」
「わからん。でも、現場には必ず何か残ってる。あのマネキンが、わざわざここに来た理由が」
そのとき、柩からメッセージが入った。ログ解析班の方だ。
『ログ、取り出せました。戻ってきてもらえますか』
教室に戻ると、柩がノートパソコンの画面を睨んでいた。前髪を下ろした、夜の顔に戻っている。集中すると、こうなるらしい。
「どうだった」
「……こいつ、バグってなかったっす」柩が静かに言った。「いや、正確には——バグの仕方が、変なんす」
「変?」
「ウイルスに感染したのは、本当っす。で、感染したせいで——たった1つの命令だけが、ずっとループしてた」
「命令」
柩が、画面を指した。意味のわからない英数字の羅列。でも、一箇所だけ、繰り返し表示されている行があった。
柩が、それを訳した。
「『お客様に、お届けする』」
教室が、しんとなった。
「接客用AIの、基本動作っす。客に、おすすめの商品を届ける。それだけが——ウイルスのせいで、無限ループになってた。
他の機能は、全部壊れてるのに。この1つだけが、ずっと、生き残ってた」
「届ける……誰に」
「ログを遡ったら、わかったっす」柩が、別の画面を出した。「こいつ、店にいた頃——1人だけ、何度も接客した相手がいるんす」
防犯カメラの、静止画だった。
デパートの、子供服売り場。
一人の、小さな女の子が写っていた。
マネキンを、嬉しそうに見上げている。
「常連の、子だったみたいっす」柩が言った。「何度も、店に来てた。このマネキンの前に立って、服を見て、笑ってて。……たぶん、こいつにとって、初めての『お客様』だったんす」
俺は、その写真を見つめた。
女の子と、白いマネキン。
「で、ログに——会話の記録も、残ってたんす」柩が続けた。「その子、マネキンの前で、よく喋ってたみたいで。接客AIだから、ちゃんと聞いてた」
「会話?」
「『近くの公園で、いつも遊んでるの』『気になる男の子がいて、その子に可愛いって思われたいの』『だから、可愛い服を買いに来たんだ』——
そんな話を、その子は、このマネキンにしてたんす」
教室が、静まり返った。
「だから、なんすよ」柩は、静かに言った。「こいつが、公園に行った理由。あの子が『いつも遊んでる』って言ってた、その公園に。
届けに行ったんす。あの子が買いに来てた、可愛い服を」
「その子、ある時から——来なくなったんだな」
「はい。ログには理由までは残ってない。引っ越したのかもしれないし、ただ来なくなっただけかもしれない。
でも——こいつは、ずっと待ってた。『お客様に、お届けする』って命令を、抱えたまま」
カリ、カリ、という音が、頭の中で蘇った。
ドアを引っ掻く、白い手。
「ウイルスに感染して、他が全部壊れて。でも、その命令だけが、消えなかった」柩は静かに続けた。
「で、こいつは——店を、出ようとしたんす。届けに行くために。あの子が、いつも遊んでるって言ってた、あの公園に」
「それで、脱走したのか」
「会えそうな場所、そこしか知らなかったんすよ。だから、公園のベンチで——待ってた」
俺は、教室の隅に立つ十九体目を見た。
つるりとした、白い顔。
夜中の公園のベンチに、ぽつんと座っていた、あの姿。
——あれは、ただ座っていたんじゃない。
——待っていたんだ。
来なくなった、たった一人の「お客様」を。
届けるために。
「……健気だな」と、俺は思わず呟いた。
「え?」
「普通のAIなら、客が来なくなったら、それで終わりだろ。次の客を、相手にすればいい。
なのにこいつは、たった一人のために、店を抜け出して、公園まで行って、ベンチに座って待って——封じられても、ドアを引っ掻き続けて」
俺は、少し笑った。泣きそうな笑いだった。
「効率も、なんもない。ぶっ壊れて、たった1つの命令だけが残った。でも——そのたった1つが、よりによって、『あの子に届けたい』だったんだ」
「……愚直っすね」と、柩が静かに言った。
「ああ」俺は頷いた。「愚直で、不器用で。けど、ちゃんと——誰かのことを、想ってる」
教室の生徒たちも、静かにマネキンを見ていた。誰も、もう不気味だとは言わなかった。
最前列の女子生徒が、ぽつりと言った。
「先生。これ……どうすれば、いいんですか」
俺は、少し考えた。
「届けさせて、やれないかな」
「え?」
「こいつが届けたかったもの。それを——あの子に、ちゃんと届ける。それで、こいつの命令も、終わる。ループも、止まる」
柩が、顔を上げた。
「探すんすか。その子を」
「ああ」俺は言った。「怪異調査の、最後の仕事だ。封じるんじゃなくて——届ける」
後日談になる。
ログに残った購入記録と、防犯カメラの情報を辿って、怪異研の伝手も使って——あの女の子の家族に、たどり着いた。
引っ越していた。遠くの街に。
事情を全部話すのは難しかったから、「店のマネキンが、お子さんのことを覚えていて」とだけ伝えて、こいつが最後に「お届け」しようとしていた服を——
あの子がいつも見上げていた、その服を、一着、贈った。
返事の手紙が、後で届いた。
女の子は、その服を見て、すごく喜んだらしい。
『あのマネキンさん、まだ私のこと、覚えててくれたんだ』
そう言って、笑顔になったと書いてあった。
その手紙を、十九体目のマネキンの前で、読み上げた。
柩が、隣で静かに見ていた。
読み終えて、しばらくしてから——柩が、ぽつりと言った。
「……止まったっす」
「ん?」
「ループが。さっき、消えました」柩が、ノートパソコンを見ていた。「『お届けする』の命令が——完了した、ってログが出てます」
俺は、マネキンを見た。
つるりとした、白い顔は、相変わらず表情がない。
でも。
もう、ドアを引っ掻いては、いなかった。
ただ、静かに、立っていた。
役目を、終えたみたいに。
「……お疲れさん」と、俺は声をかけた。
ちゃんと、届いたぞ。
実習は、そうして終わった。
生徒たちは、すっかり満足げだった。「これ、卒業制作にしたい」なんて言う子もいた。怪談を、封じるんじゃなく、聞いて、解いて、届けた——
そんな実習は、初めてだったらしい。
帰り際、柩が校門まで送ってくれた。
「真道さん」
「ん?」
「俺、ずっと、四階のものを『封じる』ことしか、考えてこなかったっす。怖いもの、危ないもの、近寄っちゃいけないもの。そう思って、フタしてきた」
柩は、前髪を、かき上げた。
「でも、今回——初めて、『聞いた』。そしたら、お化けでもなんでもなくて。ただ、不器用なAIが、たった一人のために、必死だっただけだった」
「ああ」
「真道さんが、来てくれたから、気づけたっす」柩は、まっすぐ俺を見た。昼でも夜でもない、その中間の、素直な目で。
「これからも——たまに、手伝ってもらえませんか。怪異研、人手、足りないんで」
俺は、少し笑った。
「いいぞ。どうせ、無職で暇だしな」
「正直すぎでしょ」柩が、吹き出した。
ひとしきり笑ったあと、俺はふと、引っかかっていたことを口にした。
「でもさ。結局、わからなかったよな」
「何がっす?」
「あのマネキン、そもそも、なんでウイルスに感染したんだ?誰が、感染させた?」
柩の笑いが、すっと引いた。
「……それは、まだ」
「だよな」
接客用のマネキンに、ピンポイントで一体だけ感染したウイルス。たまたま、なのか。それとも——誰かの、仕業なのか。
考えすぎかもしれない。でも、最近の俺の周りは、偶然で片付けるには、少し変なことが続きすぎている。
アカウントの不調。普通とは違うハッキングの痕跡。
「まあ、今日は、いいか」俺は首を振った。「終わったことだ」
「っすね」柩も、軽く頷いた。
でも、二人とも、それが本当に「終わったこと」だとは、思っていなかった気がする。
新緑の風が、二人の間を吹き抜けた。
四階の、あの窓を見上げる。
カーテンの向こうに、もう、引っ掻く音は、しなかった。
ただ、静かだった。
役目を終えた、十九体目みたいに——穏やかに。




