第14話 凌先生の特別課外授業 2
四日目の講義も、つつがなく終わった。
帰り支度をしていると、また担当者が顔を出した。
「真道講師、生徒が質問したいそうで。職員室でお待ちいただけますか」
「あ、はい」
昨日は来なかったしな、と思いながら、職員室で待った。
今日は、来た。
「お疲れさまっす」
柩 灯也だった。ただし——今日は、髪を下ろしていた。前髪が目元を覆って、表情が読めない。昼間の陽キャの面は、どこにもなかった。
夜の、あの顔だった。
「質問って、お前か」
「はい。真道さんに、聞きたいことがあって」
柩は向かいの椅子に座って、低い声で切り出した。
「問題を起こす怪異って、どうやって鎮めるんすか。真道さん、そういう経験、あります?」
俺は少し考えた。
吊り橋のAI。死後の世界のメタバース。墓の中の祖父の相棒——どれも、向き合った。でも。
「……鎮めた、って言えるのは、ないな。話を聞いたり、放っておいたら落ち着いたり。鎮め方は、正直わからん」
「そっすか」
柩は、少し落胆したようだった。でも、想定内、という顔でもあった。
「なあ」と俺は逆に聞いた。「なんで、そんなこと聞くんだ」
柩はしばらく黙ってから、口を開いた。
「真道さん。最近——マネキン、見ませんでしたか」
どきり、とした。
「……見た」
俺は、観念して話した。深夜の公園。ベンチに座っていた、白いマネキン。子供だと思って声をかけたこと。写真を撮って、立ち去ったこと。
柩は、じっと俺の話を聞いていた。前髪の奥の目は見えないが、視線の重さだけは伝わってくる。
聞き終えると、彼は静かに言った。
「……やっぱり」
「やっぱり、って?」
「いや。やっぱり、何かしら関係ありそうだなって」柩は立ち上がった。「真道さん。今夜、付き合ってもらえませんか」
「今夜?」
「四階に。あのマネキンを、見に行きます」
夜の校舎は、昼とまるで別の場所だった。
非常灯の薄明かりだけが、廊下を頼りなく照らしている。昼間あれだけ賑やかだった建物が、しんと静まり返っている。自分の足音が、やけに大きく響いた。
三階の、その先。
立ち入り禁止の、四階へ続く階段。
「ここからは、俺の後ろを歩いてください」柩が言った。「勝手に何かに触らないこと。声をかけられても、返事しないこと」
「……声、かけられるのか」
「たまに」
軽く言うな、と思った。
四階に上がると、長い廊下が伸びていた。三階までと同じ作りなのに、空気が違う。重い。耳の奥が、つんと詰まるような感覚があった。
廊下の両側には、教室が並んでいる。
ドアには、それぞれ札が貼ってあった。手書きの、達筆な字で——「開放厳禁」「夜間立入禁止」「応答するな」。
「この学校は——」と柩が、歩きながら静かに言った。「表向きは都市伝説の専門学校じゃないすか。でも——四階だけは、別なんす」
「別、って」
「学校ができたあと、いわくつきのものが、周りからどんどん持ち込まれてきたんすよ。『おたくの学校、ああいうの詳しいんでしょ』って。
寺でも神社でもどうにもできなかったやつが、回り回ってここに来る」
柩は、ドアの札を一つひとつ確認しながら進んでいく。
「学長が、対処に困って。それで——霊感のありそうな学生を集めて、サークルを作ったんす。『怪異研』。表向きは、ただのオカルト同好会。
でも実態は、ここに持ち込まれたものを、封じて管理する係っす」
「お前が、その怪異研」
「はい。四階のことは、学長と怪異研しか知らないっす。普通の先生も、生徒も、知らない」
廊下の突き当たり近く。
1つの教室の前で、柩が足を止めた。
ドアの札には——「19」とだけ書いてあった。
「ここっす」
柩がドアに手をかけた。鍵を開ける。重い音がして、ドアがゆっくりと開いた。
俺は、息を呑んだ。
教室の中に——マネキンが、座っていた。
白い、大人サイズのマネキン。それが、ずらりと並んだ机に、まるで授業を受ける生徒のように、行儀よく座っている。
数えた。
十八体。
全部、同じ方向——黒板の方を、向いている。のっぺりした顔。表情のない、つるりとした白。
それが十八体、整然と前を向いて座っている光景は、控えめに言って、最悪に不気味だった。
「これ、全部……」
「デパートの、接客用AIマネキンっす」と柩が言った。「ある店から、まとめて持ち込まれた」
「接客用?」
「最新型なんすよ。AIが入ってて、本当は——客の好みに合わせて、おすすめの服を着て、店内を歩き回るんす。
客が『あ、それいいな』と思ったら、そのコーディネートのまま、ワンセットで買える。そういう商品っす」
「マネキンが、自分で歩く……?」
「まだほとんど普及してないんすけどね。実際は、たまにポーズ変えるくらいしか使われてない。歩かせるところまでは、どこの店もやってない。試験導入の段階で」
俺は、ずらりと座る十八体を見た。
どれも、動かない。ただ、前を向いて座っている。
「……で、これが、なんで四階に」
「一体が、おかしくなったんす」
柩が、教室の奥を指差した。
そこで、俺は——気づいた。
十八体が前を向いて座っている、その教室の。
一番奥の、ドアの前。
十九体目が、いた。
そいつだけ、座っていなかった。
立っていた。教室の奥にある、もう1つのドア——その取っ手に手をかけて。開けようとする、その途中の姿勢のまま、止まっている。
カリ。
カリ、カリ。
そいつの指が、ドアを、引っ掻いていた。
ゆっくりと。規則的に。出ようと、するように。
「……動いてる」俺の声が掠れた。
「そいつだけっす」柩が言った。「他の十八体は、ピクリともしない。最初からおかしいのは、その一体だけ」
カリ、カリ、と。
十九体目は、ドアを引っ掻き続けている。
「そいつが、こないだ脱走したやつっす」柩が低く言った。「四階から、どうやってか抜け出して。夜中に——公園のベンチに、座ってた」
公園。ベンチ。子供だと思って、声をかけた、あの。
「回収して、また封じた。それからは、ずっと動かなかった。微動だにしなかった」
柩が、こちらを見た。前髪の奥の、見えない目で。
「——真道さんが、授業に来るまでは」
ぞくり、とした。
「俺が来てから、そいつが、動き出したっていうのか」
「そっす。ぴったり、初日からっす。それまで何ヶ月も置物だったのが、急にドア引っ掻き始めた」
カリ、カリ、カリ。
「呼ばれてるのが、そいつなのか、真道さんなのか」柩が呟いた。「それとも——呼び合ってるのか」
俺は、十九体目を見た。
ドアを引っ掻く、白い手。出ようとする、その姿。
不思議と——怖さの中に、別の感情が混じった。
なんだか、その姿が。
必死に、見えた。
「柩」と俺は言った。「お前、霊感あるんだよな。こいつから、何か感じるか」
柩は、しばらく十九体目を見つめていた。
それから、ゆっくり首を横に振った。
「……それが、変なんすよ」
「変?」
「俺、こういうの、いつもなら何か感じるんす。怨念とか、未練とか、そういう『気持ち』が。四階のものは、大体そう。だから封じてる」
柩は、十九体目に一歩近づいた。
「でも、こいつからは——何も、感じない」
カリ、カリ。
「霊的なものは、ゼロっす。きれいに、何もない。たぶんこれ——お化けじゃないっす」
「じゃあ、なんなんだ」
「たぶん」柩は、少し考えてから言った。「AIの、暴走。ウイルスか何かに感染して、誤作動してるだけ。霊現象に見えるけど、中身は——ただの、バグった機械」
カリ、カリ、カリ。
ドアを引っ掻く音だけが、静かな教室に響いていた。
「でも、それなら」と俺は言った。「なんで、俺が来たタイミングで動き出すんだ。バグなら、関係ないだろ」
柩は、答えなかった。
そこが、わからない。ということだった。
しばらく、二人で十九体目を見ていた。
そいつは、ずっとドアを引っ掻いている。誰かに、何かを、伝えようとするみたいに。でも、口がないから、何も言えない。ただ、カリカリと、引っ掻くことしかできない。
「……今夜は、ここまでにしましょう」柩が言った。「これ以上は、たぶん何も出ない」
帰り道、駅までの夜道を、柩と二人で歩いた。
街灯がぽつぽつと続く、静かな住宅街。柩は前髪を下ろしたまま、何か考え込んでいる様子だった。
「なあ」と俺は沈黙を破った。「一個、引っかかってることがある」
「なんすか」
「あのマネキン、ドアを開けようとしてただろ。出ようとして、引っ掻いてた」
「はい」
「でも、考えてみたら変だ」俺は歩きながら続けた。
「あいつ、前に1回、四階から脱走に成功してるんだよな。公園まで行った。つまり、ドアの開け方、本当は知ってるはずなんだ」
柩の足が、止まった。
「……あー。それは」柩は少し気まずそうに頭をかいた。
「あの教室のドア、鍵が壊れてたんすよ。元々。それであいつ、隙間から出たっぽくて。
だから——回収したあと、ちゃんと修理して、外から施錠できるようにしたんす。今は、内側からは、どうやっても開かない」
「じゃあ、あいつは」と俺は言った。「出たいのに、出られなくて、ずっと引っ掻いてる、ってことか」
カリ、カリ、という音が、頭の中で蘇った。
必死に見えた、あの姿。
「なあ柩。一個、聞いていいか」
「はい」
「お前、あいつが『なんで公園に行ったのか』は、調べたか?」
柩は、少し意外そうな顔をした。
「……いや。AIの暴走だと思ってたんで。行き先に意味があるとは、考えてなかったっす。バグった機械が、たまたま公園にたどり着いた、くらいに」
「でもさ」俺は言った。「霊感のあるお前が、何も感じないんだろ。怨念も、未練もない。きれいに何もない、って」
「はい」
「だったら、逆に——『気持ち』じゃなくて、『目的』があるんじゃないか。お化けの未練じゃなくて、AIの、行動目標みたいなのが」
柩が、こちらを見た。前髪の奥で、目が見開かれる気配がした。
「……AIの、目的」
「俺、IT系の専門だったんだよ。一応な」と俺は言った。
「AIってのは、無意味には動かない。バグってても、何かしらの『やろうとしてること』が、ねじ曲がった形で残ってる。暴走に見えても、元の目的の残骸が、必ずある」
カリ、カリ。
接客用のAIマネキン。客の好みに合わせて、おすすめの服を着て、店内を歩き回る。客が気に入ったら、そのまま買える。
「あいつ、本来は——客に、何かを届ける機械なんだよな」
「……そっす」
「届けようとしてるんじゃないか」と俺は言った。「公園の、誰かに」
柩が、息を呑んだ。
「明日、最終日だよな」俺は続けた。「実習があるって、聞いてる」
「はい」
「その実習で——あいつが、何を届けようとしてたのか、調べよう。生徒たちと、一緒に」
柩は、しばらく俺を見ていた。
それから——前髪をかき上げた。
露わになった目は、夜の能面のものでも、昼の陽キャのものでもない、その中間みたいな、まっすぐな目だった。
「真道さん」
「ん?」
「あんた、やっぱ面白いっすね」
柩は、ふっと笑った。
「お化けだって決めつけてたの、俺の方だったかもしれない。霊感あるくせに、一番、思い込みで見てたのかも」
「いや、お前の見立ては正しいよ。あれはお化けじゃない。でも——」
「機械にも、伝えたいことがある、っすか」
「かもな」
夜道の先に、駅の灯りが見えてきた。
「明日、楽しみにしてるっす」と柩が言った。「初めてかもしれない。怪異研で、何かを『封じる』んじゃなくて——『聞く』のは」
二人の影が、街灯の下で長く伸びていた。
——カリ、カリ。
四階のあのマネキンは、今もきっと、ドアを引っ掻いている。
出ようとして。
何かを、届けようとして。
明日、その理由がわかる。
そんな予感がした。




