第13話 凌先生の特別課外授業
自称YouTuberの真道 凌は、パソコンの画面を呆然と見つめていた。
並んでいる動画のサムネは、どれもオカルトや怖い話ばかり。
「……完全にオカルト系になっちまったな、俺のチャンネル」
初期の頃は「深夜に牛丼食べてみた!」とか、そういうのを上げていたのに。すっかり様変わりしてしまった。
まったく伸びなかったあの動画を思い出しながら、ふと考える。食費が経費になるなら、いっそ大食い系でもやればよかったかもしれない。今さら悔やんでも遅いけど。
ネットの世界では、空前のオカルトブームが来ていた。視聴者からの投稿怪談、そして怪談師と呼ばれる怖い話を語るプロたち——巷には怪異があふれている。
投稿怪談と現地調査の二軸でやっている凌のチャンネルは、このレッドオーシャンの中で必死にもがいていた。
いまだに収益化できていない。
チャンネル登録者数は、五百五十二人。再生時間も全然足りない。
「俺はいつになったら金が稼げるんだ……」
失業保険も、残り一ヶ月。退職金のない職場だったことが今になって悔やまれる。貯金が尽きるのも時間の問題だ。
「企業案件……探さなきゃ……」
そうだ。YouTubeから金をもらえなくても、企業から商品紹介で報酬を得ればいい。
凌は真っ黒な背景に白文字で「大切なお知らせ」と大きく書いたサムネ画像を用意し、生放送の配信予定をセットした。
雨乞いならぬ、仕事乞いをしよう。
スパチャも解禁されていないし、今できることなんてこれくらいしかない。
夜の二十一時。予告通り生配信を始めた凌は、視聴者に必死に語りかけた。
リアルタイムで見てくれている視聴者は、三十人ほど。
少な——いや。学校の教室一つ分だと考えれば、先生になった気分である。
結構多いんじゃないか。三十人。うん。
パラパラと流れるコメントに答えつつ、「何でもしますので企業の方、お仕事ください!」と雑談していたら、いつのまにか二時間を過ぎていた。
配信を切って、寝ることにする。
寝る前のルーティンは、十五分くらいの雑談動画を聴きながらの寝落ちだ。布団に潜って今夜の寝落ち動画を漁っていると、スマホに突然メールが届いた。
送信者の名前は——「都市伝説専門学校」?
なんとも怪しい名前である。
Googleで検索すると、いくつかわかった。
正式名称、私立 怪異総合専門学校。通称オカ専。
少子化の時代、専門学校はとにかく尖った特色を出さないと生き残れない。製菓、ゲーム、声優——その流れの先に「都市伝説」があった。誰かが本気で作ってしまったらしい。
学科はいくつかある。
怪異調査学科。現地に赴き、噂の真偽を検証する。フィールドワーク中心。心霊スポットへの実習もあるが、保険の都合で深夜は不可。日没まで。
怪談制作学科。語りの技術を学ぶ。間の取り方、声の落とし方、オチの伏せ方。卒業制作は「百物語」。九十九話まで語って、最後の一話は語らずに卒業する伝統があるという。
民俗考証学科。なぜか一番真面目。文献を漁り、地方の風習を追い、消えた祭りを記録する。地味だが就職率は校内トップ。博物館や大学に進む者が多い。
メタバース怪異学科。新設。仮想空間の怪談を扱う。電子の世界に生まれた新しい怪異を研究する。実態はまだ誰もよくわかっていない。
「誰がこんな学校に入るねん!」
心の中で一人ツッコミを入れた。
てっきり、オカルトブームに乗っかった怪談師養成所みたいなものかと思っていた。YouTuberになるための専門学校があるなら、怪談師のための学校があってもいいじゃないか。
しかしだ。どの学科も、やたらガチっぽい。
怪談制作学科が、まあ怪談師になるための学科っぽい。これはわかる。
あとの学科は、マジでわからない。
「この学校、通う意味があるのか……?」
そう思いながら、メールの本文に目を通した。
どうやら、俺を講師として呼びたいらしい。
オカルトスポットを現地調査するYouTuberは少ない。だから「怪異調査学科」の特別講師をやってほしい、という依頼だった。
「俺が生徒に教えられることなんて、あるのかな……」
それに、なんだかこの学校、怪しい。
しかし——条件の項目を見て、息を呑んだ。
講義は五日間。月曜から金曜の集中講義。単発の仕事だが、三ヶ月は暮らせるくらいの金額が提示されていた。
破格すぎる。
「こ、こんなに講師ってもらえるのか?」
不安になってググる。ググる。
……どうやら相場は、一日3万円程度らしい。
「いや、これ怪しすぎるだろ……」
しかし、失業保険がもう切れるこの状況で、断ることなんてできるはずもない。
俺は渋々、「詳細を聞きたい」とメールに返事をした。
これが、凌先生の特別課外授業事件の始まりになるとも知らずに。
一週間後。
俺は、私立 怪異総合専門学校の門の前に立っていた。
「……思ってたより、普通だな」
校舎は四階建ての、わりとちゃんとした建物だった。都内の住宅街の一角。周囲にはコンビニも自販機もある。怪しげな雰囲気はまったくない。
少し拍子抜けしながら、正門をくぐった。
受付で名乗ると、すぐに案内された。廊下を歩いていると、すれ違う学生たちがちらちらこちらを見てくる。
「あの人が……」
「現地調査系の……」
ひそひそ声が聞こえる。なんだか有名人になった気分だ。登録者五百五十二人の弱小YouTuberなのに。
案内された講師控室で、担当者と名乗る女性が待っていた。
「真道講師ですね。お待ちしておりました」
きっちりしたスーツ姿の、三十代くらいの女性。物腰は丁寧だが、目の奥が読めない。
「あ、どうも……真道です」
「今週はよろしくお願いします。怪異調査学科の二年生、十五名のクラスを五日間お願いします」
「五日間」
「はい。月曜から金曜まで。最終日には、生徒たちと簡単な実習も予定しています」
担当者が、少し声を落とした。
「ただ、一つだけ」
「はい?」
「四階には、行かないでください」
「……四階?」
「この校舎、四階建てですが——授業で使うのは三階までです。四階は、立ち入り禁止になっています」
「何があるんですか」
担当者は、少しだけ微笑んだ。
「さあ。私も入ったことがないので」
笑顔のまま、それ以上は何も言わなかった。
なんだそれ。怖いんだけど。
初日と二日目の講義は、思ったよりうまくいった。
俺の現地調査の話を、生徒たちは目を輝かせて聞いてくれた。心霊スポットでの失敗談、機材トラブル、空振りに終わった調査——どれもウケた。
「講師、本当に幽霊って見たことあるんですか」
最前列の女子生徒が手を挙げて聞いてきた。
「いや、実は一度もない」
教室がどっと沸いた。
「でも、説明がつかないことは何度かあったよ」
そう言うと、今度は静かになった。
吊り橋のAI。死後の世界のメタバース。そして——つい先日の、公園のマネキン。
あれは、まだ何もわかっていない。なぜ公園にいたのか。なぜデパートのマネキンと同じ顔だったのか。なぜ視線が動いた気がしたのか。
何ひとつ解決していない。思い出すと、今でも背筋 が少しひやりとする。
「怪異っていうのは、さ」と俺は続けた。「実在するかどうかより、誰かが本気でそれを語った、っていう事実の方が大事なんだと思う」
我ながら、それっぽい ことを言った。
生徒たちが、真剣にメモを取っていた。
ちょっといい講師っぽいじゃないか、俺。
二日目の講義が終わった後。
帰り支度をしていると、担当者が控室に顔を出した。
「真道講師、生徒の一人が質問があるそうで。放課後、職員室で待っていてもらえますか」
「あ、いいですよ」
熱心な生徒もいるもんだ、と少し嬉しくなった。
職員室で待つことにした。
——待った。
十八時。生徒は来ない。
十九時。まだ来ない。
「忘れたかな……」
二十時を過ぎた。窓の外はもう真っ暗だ。職員室の先生たちも、ほとんど帰ってしまった。残っているのは数人。それも、ぽつぽつと帰っていく。
結局、生徒は来なかった。
質問があると言ったのに、すっかり忘れてしまったらしい。まあ、学生なんてそんなもんか。
帰るか、と立ち上がって——ふと、思った。
二十時。校舎にはもう、ほとんど人がいない。
立ち入り禁止の、四階。
「……ちょっとだけ」
普通なら、行かない。常識的に考えて、行かない。
でも俺は、オカルトYouTuberだ。誰もいない夜の校舎、立ち入り禁止の四階。この状況で行かないでいられるほど、できた人間じゃない。
スマホのカメラを起動して、職員室を出た。
廊下は薄暗かった。非常灯だけが、ぼんやりと床を照らしている。階段を上る。一階分、また一階分。
三階に着いた。
その先に——四階へ続く階段がある。
ごくり、と唾を飲んだ。
スマホを構えて、一段目に足をかけた、そのとき。
「——行かない方がいいですよ」
背後から、声がした。
心臓が跳ねた。
振り返ると、踊り場に一人の男子生徒が立っていた。
長い髪が、顔の半分を覆っている。前髪が目元を隠していて、表情が読めない。青白い肌。隙間から覗く顔立ちは、不気味なくらい整っている。
暗がりの中で、そこだけ妙に浮き上がって見えた。
「……びっくりした。誰だ、君」
「メタバース怪異学科の、柩 灯也です」
低い声で、それだけ言った。彼は四階への階段を見上げる。前髪の奥の目は、相変わらず見えない。
「そこ、行っちゃダメなんです」
「なんで」
「……」
「何かあるのか、四階に」
柩は答えなかった。ただ、じっと階段の上を見ている。何かを見張っているような、何かに聞き耳を立てているような——そんな気配だった。
前髪に隠れて目元は見えないのに、視線だけが鋭く上に向いているのがわかる。
「とにかく」と彼は静かに言った。「今日はもう、帰ってください」
声に、有無を言わせない響きがあった。
不思議だった。怖いはずなのに、この生徒の言うことには従った方がいい、と本能的に思った。
「……わかった」
俺はスマホをポケットにしまった。
柩は、それを確認するように小さく頷いた。
その瞬間。
彼の雰囲気が、ふっと変わった。
前髪をかき上げて、顔を上げる。さっきまで隠れていた目元が現れた——意外なほど、人懐っこい目だった。能面みたいだった空気が嘘みたいに消えて、彼はにっと笑った。
「いやー、すんません脅かして!俺、柩っす。灯也でいいっすよ」
「お、おう……」
落差がすごい。さっきまでの不気味さは何だったんだ。
「講師の授業、めっちゃ面白かったっす!俺メタバース学科だから本当は受けられないんすけど、こっそり廊下で聞いてました。現地調査系の人ってマジで貴重なんすよ」
「そ、そうなんだ」
「あ、明日車で来るんで、もし駅から遠かったら送りますよ。俺、友達多いんで何かあったら言ってくださいね!」
くるくる変わるテンションに、ついていけない。
さっき四階を睨んでいた、あの能面みたいな男と同一人物とは思えなかった。
「じゃ、お疲れっした!」
柩は軽い足取りで階段を降りていった。
俺は一人、踊り場に残された。
四階へ続く、暗い階段。
見上げると——。
何も、見えない。
でも。
何かが、いる気がした。
あいつは、何を見張っていたんだ。
俺はもう一度だけ階段の上を見て、それから踵を返した。
今日は、帰ろう。
なぜか、そう思った。




