第11話:君が死んだ世界に、ログインした
「死後の世界を旅できるメタバースがあるらしい——信じますか?」
視聴者からのお便りを読み上げながら、俺は少し考えた。
天国とか、そういう話じゃない。自分が死んだ後も、この世界のどこかに自分が存在し続けるifの世界線——生きていた頃の日常が、そのままそこにある。
そんなメタバースワールドが存在するという噂だ。
信じるかどうかで言えば信じない。でも調査する価値はある。
送ってきたのは常連の視聴者で、ネットの怖い話スレで見つけたらしい。
書き込みの内容は単純だ。
「死んだ人間の日常を再現したメタバースワールドがある。入ると出られなくなるという噂がある」——それだけ。ソースも証拠もない。
俺は掲示板のアーカイブを掘り始めた。
一時間ほどで、それらしいスレを見つけた。書き込みは少ない。でも1つだけ、妙に具体的な書き込みがあった。アドレス値と、名前。
「真流、ありがとう」
真流。
ハンドルネームか、人の名前か。わからないけど、手がかりはこれだけだ。
「悪いんだけど、今回は代わりに現地調査してきてほしい」
後輩の日向 蓮に言うと、案の定、怪訝な顔をされた。
『なんで凌が行かないんですか』
「最近、アカウントが調子悪くてさ。メタバースにログインできたりできなかったりするんだよ」
『それハッキングされてんじゃね?』
「俺もそう思って認証デバイス変えたりしたんだけどな……。凪さんの調査に関わってから、なぜかずっとこんな感じで」
『怖っ』
「というわけで頼む」
『えー、なんで俺が——』
「高級焼肉」
『!』
「食べ放題」
『!!!!!!』
ニヤリとした。
『……待って。俺たちの間で高級焼肉って2000円以上からだろ。まさかあの1500円のカルビしかない店じゃねーよな』
「……」
『凌さん?』
「肉じゃん。焼けるじゃん」
『カルビだけ!!!タン塩もないのかよ!!!』
交渉は難航した。
結論から言うと、1500円のコスパギリギリのカルビしか食えない店で手を打ってもらうことになった。なんだかんだ、蓮は渋々承諾した。
ところで、どうやって死後の世界を再現するのか。
「エージェントAIって知ってるよな。何かお願いしたら勝手にやっといてくれるやつ」
『ああ』
「あれの仕組みって、パソコンの中をAIが自由に扱えるようにしてあって——つまり、パソコンの中を全部AIに見られてるってことなんだよ」
『えっ、そうなの?』
「それだけじゃない。今はスマートグラスで見ているものも全部AIに映像で送ってるし、会話も、行動も、全部記録されてる。
つまり俺らが普段見ている世界も、やり取りしている内容も、全てAIが把握しているわけだ」
『……なんか急に怖くなってきたんだけど』
「そのデータがあれば、その人の日常をメタバース上に再現できる。街も、よく会う人たちも、部屋の間取りも」
『あー……だからか』
メタバースに入るには、まず「ゲート」と呼ばれる場所にログインする。
いろんな世界への入口となる場所で、インターネットで言えばホーム画面みたいなものだ。今回は初めて行く場所なのでアドレス値を手打ちで入力していく。
『俺、あんまり好きじゃないんだよなこういうの。文字をぽちぽち打つの』
「視線入力に慣れすぎてるお前がおかしいんだっつーの」
SFチックな効果音がして、ワームホールの色が変わった。
『じゃあ……入るよ』
ワームホールをくぐった先は——。
『……なんか、普通じゃね?』
俺はモニター越しに蓮のスマートグラスの映像を見ていた。
確かに、普通だった。
どこかの住宅街。5月か6月頃だろうか。街路樹の葉が青々と茂っていて、風が吹くたびにさわさわと揺れる。
日差しは明るいのに、木陰に入るとひんやりする。コンビニがあって、電柱があって、自転車が一台フェンスに立てかけてある。
『生活感あるな』
「あるな。誰かの記憶から再現してるんだろう」
しばらく歩いていると、人がいた。近所のおじさんみたいなアバター、犬を散歩させているおばあさん。声をかけると普通に返事をしてくれる。でも手がかりが出てこない。
「真流って名前で聞き込みしてみろ」
蓮が近所のおじさんらしきAIに話しかけた。
『すみません、真流って人、ご存知ですか』
おじさんのAIが少し間を置いてから、奥の路地を指差した。
突き当たりに、一軒の家があった。
こじんまりした、古い造りの家。庭に枇杷の木が一本。大きな濃い緑の葉が初夏の日差しを受けて、てかてかと光っている。洗濯物が干してある。
蓮がチャイムを押した。
しばらくして——縁側の方から声がした。
『こっちだよ』
縁側に、一人の男が座っていた。
庭の枇杷の木を眺めながら、お茶を飲んでいる。三十代くらい。穏やかな顔。
『来てくれたんだ』
『あ……はい。真流さん、ですか』
『そうだよ。座りなよ』
蓮が縁側に腰を下ろした。
『掲示板、見てくれたんだね』真流が静かに言った。
『病気でもう長くないとわかった時にさ、書いたんだよ。死んだ後、誰かが遊びに来てくれないかなって。まさか本当に来てくれるとは思わなかったけど』
『……来てよかったです』
『ありがとう』
しばらく二人で庭を眺めた。風が吹いて、枇杷の葉がざわざわと揺れる。
『どんな感じですか、ここ』と蓮が聞いた。
『俺の記憶の中にある、一番落ち着く場所を再現してもらっただけだよ。天国とかじゃなくて、俺が死んだ後もこの世界のどこかに居続けるための場所』
『なんで作ったんですか』
『見たかったんだよ』真流はあっさり言った。『俺が死んで、みんながどう生きていくか。泣いてくれるのか、すぐ忘れるのか。気になるじゃない』
『……見て、どうでした?』
真流はしばらく黙った。
庭の枇杷の木を見たまま、静かに答えた。
『泣いてくれた。みんな』
『……そうですか』
『それだけで、十分だったかな』
風が吹いた。枇杷の葉が揺れた。
『一個だけ聞いていいですか』と蓮が言った。
『どうぞ』
『怖くなかったですか。死ぬの』
真流は少し考えてから、首を横に振った。
『怖かったよ。すごく。消えるのが怖かった。忘れられるのが怖かった。でもここにいれば、誰かが来てくれる限り——俺はまだ、ここにいられる気がして』
蓮は何も言わなかった。
「怖くなかったですか」と聞いた声が、さっきより少し掠れていた。強がって平静を装おうとしているのに、感情がじわりと滲み出てしまっているような、そんな声だった。
真流はそれに気づいているのかいないのか、柔らかく笑った。
『そういえば』と、ぽつりと言った。『昔、真流って名前の犬を飼ってたんだ。ハンドルネームもそこから取った。もう死んじゃったけど、ここには来てくれてるよ』
縁側の端を見ると、小さな犬が丸くなって寝ていた。
さっきまで気づかなかった。
『かわいい』と蓮が言った。
『でしょ』
真流が、初めて柔らかく笑った。
———動画を上げたのは三日後だった。
サムネイルは「死後の世界、潜入してみた」。内容はいつもより静かな動画になった。BGMは最小限、ナレーションも抑えた。
コメント欄が、少し違う雰囲気になった。
「なんかこれ、笑えない」
「泣いてくれたって言ったとき、ちょっとやばかった」
「縁側の犬、気づいたとき涙出た」
「これ心霊動画じゃなくて普通に泣いた」
再生数は、過去一番伸びた。
数日して、DMが来た。
知らないアカウントだった。
『動画、見ました。兄のワールドに来てくれたんですね』
兄……。
「真流さんの妹さんですか」
『はい。兄が亡くなって、もうすぐ一年になります。あのワールド、兄が生前に作っていたなんて、知りませんでした』
「動画を見て気づいたんですか」
『それもあるんですが——縁側とか、家の間取りが、子供の頃に住んでいた実家と全く同じだったんです。もうとっくに取り壊された家で。
あの間取りを知っているのは家族だけだから、絶対兄だって。それで真流って名前も、昔家で飼っていた犬の名前で。兄がすごく可愛がっていたんです』
俺は画面を見つめた。
「行ってみてください、ワールドに。まだそこにいます」
少し間があった。
『AIですよね。本人じゃない』
「そうです」
『わかってます。でも、兄の言葉で話してくれるんですよね』
「……そうです」
『それで十分です』
俺はスマホを置いて、天井を見た。
それで十分です、か。
「……そうだな」
誰にともなく、呟いた。
後日、蓮からメッセージが来た。
『なあ』
「何」
『俺もワールド作っておこうかな。死後の』
「お前まだ二十代だろ」
『でも、いつ死ぬかわかんないじゃん』
「不吉なこと言うな」
『来てくれる?もし俺が死んだら』
俺は少し笑った。
「死後のメタバースで焼肉おごれ。タン塩もつけろ」
『死んでるから無理だろ!!!というか1500円問題まだ根に持ってたのかよ!!!』
このワールドは今も、どこかで誰かを待ち続けている。
初夏の風が吹いて、枇杷の葉がざわざわと揺れる。縁側にお茶が冷めないまま、小さな犬が丸くなって眠っている。
来てくれる人がいる限り——そこには、まだ誰かがいる。




