閑話 勝者の歴史Ⅱ 破滅の足音
ターニャん封印後の聖教会の話‥‥けっこう気合を入れて書きました。
聖印元年―魔王ターニャ封印から七日。
人々はまだ勝利の余韻の中にいた。
街には祝いの旗が掲げられ、広場では酒が振る舞われている。
もうこの先、幸福な事しか待っていないと信じていた。
魔物たちが世界の各地で動き始めていることを知らずに。
―西部教会―
枢機卿ビズレスタは教会の最上階にいた。
「結界が破られただと!?」
報告を聞いた瞬間、机を叩く。
「あり得ん!」
「しかし現に魔物が――」
「黙れ!」
怒鳴りつける。
魔王は封印された。
ならば魔物など恐れる必要はない。
そう思っていた。
窓の外で爆発音が響く。
悲鳴が上がる。
街の一角が燃えていた。
「護衛を集めろ!」
金庫室へ向かいながら叫ぶ。
「猊下、避難を!」
「財産を置いて行けるか!」
金貨、宝石、契約書、土地の権利書……莫大な資産。
それらを抱え込みながら階段を下りる。
背後から魔物の咆哮が響いた。
「来るな!」
ビズレスタは炎魔法を放つ。
巨大な火柱が魔物を包み込む。
本来ならそこへ聖属性が重なり、魔物を浄化するはずだった。
だが今回は違っていた。
魔物は身体を焦がしながら前へ進む。
苦しんではいる。
しかし致命傷にはなっていない。
「なぜだ!」
さらに魔法を撃つ。
「もっと魔力を!」
火炎が荒れ狂う。
けれど結果は変わらない。
ビズレスタは最後まで気付かなかった。
失われたのは出力ではない。
聖なる加護そのものだったことに。
散らばった金貨の上へ巨大な爪が振り下ろされる。
その日、西部教会は陥落した。
―東部教会―
枢機卿ケイステイラーは城壁の上に立っていた。
冷静に、蹂躙されていく市民、その街並みを見下ろしていた。
「魔物の進軍速度は想定より速いな」
魔力形成をし、空中に氷槍が浮かぶ。
指令と共に氷槍は一直線に飛び、魔物の胸を貫く。
だが浄化が起きない。
ケイステイラーは表情がわずかに揺れた。
もう一度放つ。
結果は同じだった。
三度目も……やはり同じ。
「なるほど」
そこで理解する。
聖属性が発現していない。
いや、発現できなくなっている。
それは単なる魔法の不調ではない。
もっと根本的な問題だった。
彼は遠くを見た。
魔王封印、聖女の死、ゼファエルが示した解釈。
それを疑うことなく受け入れた自分たち。
ばらばらだった事実が一本の線になった。
「そういうことか」
かすかに笑う。
「前提が違っていたのだな」
側近が叫ぶ。
「猊下!避難を!」
「不要だ」
ケイステイラーは踵を返した。
自室へ戻る。
部屋には数人の女性がいた。
彼女たちは怯えながら彼を見上げる。
「心配するな」
穏やかに言う。
「答えは出た」
女たちからしたら意味が分からない。
外からは悲鳴と魔物たちの方向が聞こえてくる。
女たちは怯え、涙を流した。
ここから逃げられないという事実と、この先に起こる結末を予想して。
ケイステイラーは女たちを慰めるでもなく、その肉体に触れる。
しかし頭では別のことを考えていた。
自分たちは負けた、ということを。
戦いにではない。
もっと前の段階で。
判断に。真実に。
やがて扉が破られる。
東部教会もまた、その日のうちに沈んだ。
―南部教会―
枢機卿ミルケルは祈っていた。
「女神様」
返答はない。
「女神様」
もう一度呼ぶ。
返答はない。
以前なら違った。
女神の声は確かに届いていた。
それは指針であった。
存在意義でもあった。
女神の声を聞くことのできる我々の血筋、有象無象ではなく、唯一の。
だが今は何も聞こえない。
ただ空虚だけが広がっている。
「女神様!」
叫び、祈り、縋る。
認めたくはない、認めたくはないが脳裏に浮んで来る。
あの日の言葉。
『愚か者』
最後に聞こえた女神の声はそれだけ。
責める声ではなく、怒りでもない。
あったとすれば、それは諦観。
諦めの一言は確実に胸に刺さり、そのまま残っていた。
ミルケルは膝をつく。
理解してしまった。
自分は利用された。
なぜ女神の言葉の意味をゼファエルに聞いたのか。
絶対的な安心があったからだ。
だが、その安心の根拠が溶けていくのを感じていた。
決断したのは自分自身だった。
聖女リリを処刑台へ送ったのも。
英雄を裏切ったのも。
全て。
「リリ様……」
震える声が漏れる。
「申し訳ありません」
その謝罪が届く相手はもういない。
南部教会を包む炎の中で、ミルケルは頭を垂れた。
教会のガラス戸の割れる音が響いた。
―北部教会―
フェルナンドは避難する人々を見送っていた。
「急げ!」
兵士たちが叫ぶ。
子どもたちが走る。
荷車が連なる。
教会の鐘が鳴り続けていた。
レイツェが駆け寄る。
「猊下!」
フェルナンドは羊皮紙の束を差し出した。
「持って行きなさい」
「ですが!」
「未来へ残せ」
レイツェはためらい、そして受け取った。
羊皮紙だけではない。
それは未来への意思だった。
「必ず」
短く答えた。
フェルナンドは頷く。
彼になら託せる。
そう思えた。
遠方から魔物の群れが迫る。
フェルナンドは杖を握った。
白い光が溢れる。
魔物が浄化される。
レイツェは目を見開いた。
「まだ聖属性が……」
フェルナンド自身も驚いていた。
理由は分からない。
だが考える時間はない。
「行きなさい」
レイツェは唇を噛む。
それでも走った。
未来へ向かって。
真実を残すために。
―中央教会―
そこは既に地獄だった。
瓦礫の山、炎の海、溢れる血だまり。
人の叫び声より魔物の咆哮の方が多い。
エリオットは壁にもたれていた。
全身が血だらけだった。
ソフィは彼を支えている。
「すまない」
エリオットが言う。
「守れなかった」
「そんなことない」
ソフィは首を振った。
「あなたは最後まで戦った」
エリオットは笑った。
「俺のことはもういい」
弱々しく。
けれど優しく。
「ここで置いていけ」
「そんなこと……っ、できるわけない!」
「どのみち、俺はもう……」
そう言ってエリオットは意識を手放した。
「エリオット!?ねえ、エリオット!」
ソフィが必死に呼びかける。
気絶したからか、体重が支えていた左手にかかりソフィもまた態勢を崩す。
足を止めたことで魔物たちの気配が近づいてくる。
血の匂いも感じ取っているのだろう。
濃厚な死の気配を放っていた。
「守るよ……」
魔物たちが迫る中、ソフィは呟く。
「それが百年後でも千年後でも」
声が震える。
「きっと私たちは二人の少女の名誉を守り抜くよ」
自分でもわかっていた。
私たちはここで終わりだと。
「だからきっと、私たちの未来は明るい」
強がりだった。
願いだった。
祈りだった。
足が震える。
涙が滲む。
英雄を。
聖女を。
人類を守っていた存在を、私たちは失った。
あの日から。
きっと何かが狂ってしまった。
これは罰なのだ。
女神さまからの罰。
でも、許されるのであれば未来に語り継ぐ術を持ちたい。
彼女たちが守ろうとした世界を失わせたくなかった。
未来を繋ぎたかった。
大地を踏みしめる音が近づいてくる。
魔物たちは既に姿を視認できる距離まで迫っていた。
左手でエリオットを抱えたまま。
ソフィは魔物たちを前に剣を構えた。




