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大魔王ターニャんの致命的な誤算  作者: 籠崎 莉々
第二部

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第25話 境界の残滓

 森の中を、ターニャは歩いていた。


 夜明け前。


 木々の隙間から、薄青い光が差し込んでいる。


「……最悪」


 ぼそりと呟く。

 ドレスはもう限界だった。

 裾は裂け、 泥まみれ。 ところどころ枝に引っかかって破れている。

 しかも動きづらい。


「こんなので逃亡とか無理なんだけど……」


 立ち止まり、 ターニャは自分の服を見下ろした。

 深い藍色。

 星みたいな銀糸。

 魔王城で着せられたドレス。

 

 思い出すのは――

 白い空間。

 脈打つ結晶。

 “こちら側へ来るか”。


「……っ」


 気づけば、 舌打ちしていた。


「気に入らない」


 しゃがみ込み、 裾を掴む。


「えい」


 ビリッ。


 布が裂けた。

 さらにもう一度。


 ビリッ。


 長かったスカートが、 膝上あたりまで短くなる。


「……」


 しばらく眺める。


「うわ、高そうなのに」


 今さらみたいに言った。

 けれど、 動きやすさは段違いだった。

 足が軽い。

 試しに軽く跳ぶ。


「おお」


 着地。


「もっと早くやればよかった」


 残った布を腰へ巻き直す。

 裂いた黒布が、自然とベルトみたいな形になった。

 不思議と馴染む。

 まるで最初から、そこにあるべきだったみたいに。


「……やだなぁ」


 無意識だった。

 なのに、身体が勝手にしっくりきてしまった。

 胸の奥が、また脈打つ。


 どくん。


「っ……」


 嫌な感覚だ。

 熱にも似ている。

 けれど風邪みたいなものとは違う。


 もっと、思考へ近い。


 世界の見え方が、時々変わる。


 木々。

 地形。

 距離。

 逃走経路。

 魔物の位置。

 人間の街道。


 視界へ入った瞬間、頭の中で勝手に整理される。


(……気持ち悪い)


 今までなら、感覚でやっていた。

 でも今は違う。


 “最適化”される。


 考える前に。


 それが怖かった。


 すると遠くから、鐘の音が聞こえた。


「……?」


 森を抜けた先。

 小さな村が見える。


 朝霧の向こう。

 石造りの門。

 煙突から煙が上がっていた。


「村……」


 そこで、ターニャは止まる。

 嫌な記憶が蘇る。

 閉ざされた扉。

 怯えた視線。

 拒絶。


「……」


 今の自分は、もっとまずい。

 英雄として顔も知られている。


 しかも今は――


(魔王因子、だっけ)


 胸元を押さえる。

 説明なんてできない。

 自分でも理解していない。


 でももし本当に、教会側へ知られていたら。


「……変装しないと」


 ターニャは近くの倒木へ腰掛けた。


 髪をまとめる。

 ドレスの装飾を引きちぎる。

 銀糸を外す。

 泥を擦りつける。


「よし」


 立ち上がる。

 ……ちょっと怪しい。

 いやかなり怪しい。


「でもさっきよりマシ!」


 自分へ言い聞かせるように頷く。

 そのまま村へ向かい――

 門の手前で、ぴたりと足を止めた。


「……」


 視線がこちらを射貫く。

 門番が見ている。

 若い門番と年配の門番だ。

 ターニャは反射的にフードを深く被った。


「……旅人か?」


「そ、そうです!」


 ちょっと裏返った。

 怪しい。

 ものすごく怪しい。

 門番の男が眉をひそめる。


「朝から災難続きだってのに……」


「災難?」


「あんた知らねぇのか?」


 男は声を潜めた。


「“魔王ターニャ”が現れたって噂だ」


「ぶふっ」


 変な声が出た。


「お、おい大丈夫か?」


「だいじょぶですっ!」


 咳き込む。

 なんなのその呼び方。

 最悪なんだけど。


「聖教会も騒いでるらしい」


「英雄だったのに魔王化したとか」


「怖ぇ話だよなぁ」


「あ、あはは……」


 乾いた笑いしか出ない。

 門番は気づいていない。

 目の前にいるのが本人だと。


 ふと門番の視線が、 ターニャの腰へ止まる。


「……その黒布」


「え?」


 どくり。

 胸が鳴る。


「変わった模様だな」


「っ!」


 見られている。

 腰へ巻いた黒布。


 そこには、いつの間にか奇妙な紋様が浮かんでいた。

 黒い亀裂みたいな模様。


 まるで――

 境界断裂器と同じ。


(なにこれ……!?)


 ぞわりと悪寒が走る。

 すると胸の奥で、また“なにか”が囁いた。


 ――排除。


「……っ!」


 ターニャは息を呑む。


 今、

 一瞬だけ、

 目の前の門番たちを、“邪魔”だと思った。


 理由もなく。


 ただ、通行の障害として。


「おい?顔色悪いぞ」


「な、なんでもない!」


 反射的に後ずさる。


 駄目だ。

 今、村へ入るべきじゃない。


 自分がおかしい。


「ご、ごめんなさいやっぱやめます!!」


「は?」


 ターニャはそのまま全力で森へ逃げ込んだ。


「なんだったんだあいつ……」


 門番の呟きが遠ざかる。

 もう一人も不思議そうに首を傾げた。


 枝を飛び越えながら、ターニャは胸を押さえた。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 心臓がうるさい。


 違う。


 今のは自分じゃない。


 なのに。


(……ほんとに?)


 頭の奥で、別の声がする。


 排除。

 最適化。

 効率化。

 不要。


「うるさい……!」


 叫ぶ。


 森へ、声だけが響いた。


 そして少女はまだ知らない。


 自分を追う者が、 もう動き始めていることを。

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