第15話 堕ちた英雄
静けさが空間を満たしていた。
塔の内部に、もう戦いの気配はない。
床に伏しているのは、枢機卿ゼファエル。
その胸には、確かに致命の一撃が刻まれている。
それは本来の威力以上のもの。
速度重視で放った雷魔法で与えられる傷口ではない。
そして――
ゼファエルの顔には、苦痛ではなく。
満足にも似た微笑みが浮かんでいた。
「……なんで」
リリの声は、震えていた。
「……こんな……」
ターニャは、何も言わない。
ただ、ゼファエルの亡骸を見下ろしている。
あまりにも――あっけなかった。
戦いと呼ぶには短すぎて。
なのに、その終わり方だけが、あまりにも不自然だった。
「……わざと、だよ」
ぽつりと、ターニャが言う。
「え……?」
「アイツ、最初から勝つ気なかった。それに」
一度区切ってから確かめるように言葉をつづけた。
「牽制のつもりの雷魔法であんな傷を負うことはないよ。当たった瞬間に内側から裂けた」
「なん、で」
リリが息を呑む。
その問いに、ターニャはすぐに答えなかった。
代わりに、ゼファエルの手元へと視線を落とす。
そこには、小さな魔法刻印。
すでに発動し終えた痕跡。
「……発信系の術式」
「え……?」
「ここで何が起きたか、“誰かに見せる”ためのやつ」
リリの顔から、血の気が引いていく。
「じゃあ……これって……」
ターニャは、笑わなかった。
「罠だよ」
その言葉が落ちた――
その、直後だった。
――バンッ!!
塔の扉が、乱暴に開け放たれる。
「こっ、これは……!」
「ゼファエルさま!?」
なだれ込んできたのは、聖教会の党員たち。
白い法衣。
統一された紋章。
そして――
何も知らない目。
「……!」
リリが息を呑む。
彼らの視線が、一斉に向けられる。
床に倒れた枢機卿。
その前に立つ二人。
そして――
ターニャの手に残る、戦闘の痕跡。
「……貴様ら」
一人が、低く言う。
「ゼファエル枢機卿に……何をした!!」
違う。
違うのに。
リリは口を開こうとする。
「ちが――」
「黙れッ!!」
鋭い怒声が、言葉を断ち切る。
「言い訳は不要だ!」
「状況がすべてを語っている!」
空気が、一瞬で凍る。
ターニャは、動かない。
ただ、ゆっくりと視線を上げる。
「……へえ」
その声は、妙に静かだった。
「もう“決まってる”んだ」
「当然だ!」
一人が叫ぶ。
「英雄ターニャ……いや」
その言葉は、わずかに歪む。
「人類の反逆者め」
リリの胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「違う……!」
今度は、声が出た。
「違うんです! この人は――」
「捕らえろ」
その一言で、すべてが終わった。
空気が、完全に“敵”に変わる。
魔力が展開される。
拘束術式。
封印の準備。
「……っ」
リリが一歩下がる。
その瞬間。
――ぐいっ
手を、引かれた。
「行くよ」
ターニャだった。
「え……でも……!」
「ここで説明しても無駄」
その声は、冷静だった。
あまりにも、現実的で。
「向こうは“結論”だけ欲しい」
リリは、何も言えなくなる。
――正しいことを言えば、分かってもらえる
そんな考えが。
ここでは、通用しない。
「……逃がすな!!」
号令が飛ぶ。
光が放たれる。
それよりも早く
――轟音。
ターニャの魔力が、空間を裂いた。
床が砕け、視界が歪む。
「っ……!」
リリの視界が、白に染まる。
そして――
次に見えたのは。
塔の外。
夜の風。
そして。
遠ざかっていく、聖教会―偽典の塔。
「……はぁ……はぁ……」
リリの呼吸が乱れる。
「……どうして……こんな……」
声を震わせての問い。
ターニャは、しばらく何も言わなかった。
やがて、ぽつりと。
「……計画通り、って顔してた」
「え……?」
「ゼファエル」
リリの背筋に、冷たいものが走る。
「自分が死ぬことで、こうなるって分かってた」
何もない場所を、空気だけが通り抜ける。
「……最悪だね」
その一言には。
珍しく、感情が混じっていた。
「じゃあ……私たち……」
リリの声が、かすれる。
「……もう」
ターニャは、少しだけ笑った。
「うん」
「完全に“悪者”」
その言葉は、軽かった。
でも。
あまりにも、重かった。
――こうして。
英雄ターニャは。
枢機卿殺しの罪を背負った。
真実は、どこにも届かないまま。
夜は、静かに更けていく。




