第6話 境界を切るもの
夜の森は、静かだった。
焚き火の音だけが、小さく弾ける。
不可視の敵との戦いから数日後。
次の町へ移動する途中で二人は野営をしていた。
「……先日の戦い」
リリが口を開く。
「やっぱり、普通じゃありません」
「そう?」
ターニャは軽く首を傾げる。
「強いのは知ってるよ」
「そういう意味じゃなくて」
少しだけ言葉を選び——続ける。
「“あの武器”です」
沈黙が落ちる。
火の粉が、ひとつ弾けた。
「……どれくらい見えてたの?」
ターニャがぽつりと言う。
「完全に、とは言い難いですね。でも、わかります」
リリは視線を外さない。
「説明してもらえますか?」
少しだけ間があって。
ターニャは、焚き火を見つめたまま言った。
「説明できるほど、わかってない」
「ただ——」
ゆっくりと手を持ち上げる。
何もない空間に、指を差し入れるように。
空気が、歪む。
前回と同じ“何か”が、形を成す。
だが。
今回は、違った。
触れた瞬間——
「っ……!」
ターニャの表情が、わずかに歪む。
空間が軋む。
手にしたそれが、不安定に揺れる。
「やめてください!」
リリが思わず声を上げる。
次の瞬間。
それが、崩れた。
“消えた”のではない。
空間ごと、ほどけた。
パチパチと火の弾ける音だけが残った。
「……今のは」
リリが呟く。
「失敗」
ターニャは苦笑した。
「たまに、こうなる」
「たまに、で済ませていい現象じゃありません」
リリの声が強くなる。
「今の、周囲の空間が——」
「うん、壊れかけた」
あっさりと認める。
「……」
リリは言葉を失う。
「だから、あんまり使いたくないんだよね」
ターニャは、軽く肩をすくめる。
「便利だけど」
便利。
その一言が、妙に重い。
だが、あの時の敵はその武器に頼らざるを得ないものだった。
ターニャが敵を引き付けてくれていたからこそ、逃亡防止の結界を貼ることができた。
「名前は、あるんですか」
リリが問う。
「さあ」
ターニャは少し考えて——
「昔、誰かが言ってた気がする」
記憶を探るように、目を細める。
「“境界がどうこう”って」
その瞬間。
リリの背筋に、冷たいものが走った。
(境界——?)
聖教会の禁書に、似た記述があった。
だが——
(まさか……一致するはずがない)
「まあ、名前なんてどうでもいいよ」
ターニャはあっさり言う。
「使えれば、それで」
その軽さが、逆に怖い。
(この子は——)
危険を、理解している。
その上で、踏み込んでいる。
無自覚ではない。
だからこそ——厄介だ。
焚き火が、静かに揺れる。
誰も、それ以上は言わなかった。
(“境界”を、切るもの——)
リリは、胸の奥でその言葉を反芻する。
その名を、まだ口に出すことはできなかった。




